三浦大輔の生涯成績!横浜ベイスターズ一筋の野球人生を追う

三浦大輔の生涯成績!横浜ベイスターズ一筋の野球人生を追う

三浦大輔の生涯成績は現役最多の172勝!150勝以上で負け越しは特異的な成績だった!

三浦大輔は、トレードマークのリーゼントで、「ハマの番長」と親しまれるプロ野球・横浜DeNAベイスターズの投手。プロ入り25年目となる今シーズンをもって、現役引退することを発表したばかりです。それでは、惜別の意味を込めて、三浦大輔の生涯成績を紹介しましょう。

三浦大輔は、奈良県橿原市出身で、1973年12月25日生まれの42歳。身長183cm、体重88kg、右投げ右打ちです。プロでの生涯成績は、535試合に登板して172勝184敗で、勝率は4割8分3厘。完投数78、完封23、投球回数は3276回で2481奪三振、防御率3.60となっています。タイトルは、最高勝率、最優秀防御率、最多奪三振それぞれ1回ずつ獲得。1995年から一軍投手陣に定着した三浦大輔は、1998年には、12勝を挙げて、チーム日本一に貢献しました。

1995年から昨年までの21シーズンにわたって、先発として勝利を記録してきましたが、これは日本歴代1位。現役投手の中では最多勝利という息の長い活躍ぶりですが、172もの勝ち星を挙げながら、同時に負け越してもいるという特異な生涯成績です。

このような生涯成績を記録しているのは、150勝以上に限定すると、元阪急ブレーブスの梶本隆夫(254勝255敗)、元広島カープの長谷川良平(197勝208敗)、ロッテオリオンズ他でプレーした坂井勝二(166勝186敗)、そして三浦大輔の4人しかしかいません。4人とも、投手陣の大黒柱として投げ続け、チームの戦力に恵まれなかった時期を経験していることが共通しています。

三浦大輔の横浜一筋のプロ野球人生!実はFAで阪神移籍が現実味を帯びていた!

三浦大輔のプロ野球人生25年間は、同一球団でプレーし続けたという珍しいものです。1992年に横浜大洋ホエールズへ入団した三浦大輔は、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと、横浜一筋のプロ野球人生。近年は、FA権行使による国内他球団への移籍や、アメリカ・メジャーリーグに挑戦する選手が増えたことから、同一のプロ球団一筋という例は、極めて貴重になってきました。

そんな背景を考え合わせると、三浦大輔のプロ野球人生は、ひときわ強烈な輝きを放っているといえます。しかし、実は三浦大輔にも、FA権を行使して他球団に移籍する可能性はありました。それは、6年契約が切れた2008年シーズンオフのこと。FA宣言した三浦大輔に、すかさず阪神タイガースが獲得に動き、横浜を上回る好条件で猛アタックしてきました。これは、抜群のコントロールと完投能力を持ち、三振も取れる三浦大輔が、阪神にとって、のどから手が出るほど欲しい存在だったからです。

加えて、関西出身ということと、阪神戦にめっぽう強いというキラーぶり。三浦大輔の獲得は、阪神にとって、ファンへのアピールになるとともに、苦手投手が自軍に加わることでマイナス材料が減るという戦力上の大きなメリットもありました。このように、かなりの現実味を帯びていた三浦大輔の阪神移籍構想でしたが、横浜球団挙げての説得や、ファンの熱心な引き留めに心を動かされた三浦大輔は、チーム残留を表明。幻に終わりました。

三浦大輔の2016年登板内容!出身高校やドラフト順位は?

三浦大輔2016年シーズン内容は未勝利!ラスト登板も24年連続勝利の大記録ならず!

三浦大輔は、2016年のシーズンに、ある大記録がかかっていました。それは、連続シーズン勝利記録です。2015年シーズンまで、1993年から23年連続勝利を挙げていた三浦大輔。これは、工藤公康、山本昌という200勝投手と並ぶタイ記録で、右腕投手としては単独記録になります。

2016年の登板で勝利投手を記録すれば、24年連続勝利という記録更新になるところでしたが、今シーズンは、その記録が達成されることはついにありませんでした。今シーズンの登板内容は、3試合に登板して0勝3敗で未勝利。14回と2/3を投げて奪三振こそ14を記録したものの、防御率11.05。今シーズン初登板が、7月11日の本拠地での対中日戦、先発投手としてマウンドに上がった三浦大輔は、4回6失点という内容で敗戦投手に。

2014年からは、投手コーチ兼任という立場にあったため、一軍公式戦の登板がなくとも一軍の遠征に帯同。遠征のない場合には、もっぱら二軍での調整が続けていました。しかし、アレックス・ラミレス新監督体制のチームの中で、三浦大輔は、年齢的なこともあって、かつてのように投手陣の大黒柱ではありませんでした。9月16日の甲子園での対阪神戦に、先発でシーズン2度目のマウンドに上がったものの4回1/3で降板し、2回目の敗戦を喫します。

引退表明後の29日の本拠地でのヤクルト戦でラスト登板に臨むも、7回表でワンアウトを取ったところで降板。投球回数は6回1/3で10失点、3敗目を喫して24年連続勝利はならず、チームの勝率も5割を切る結果に。しかし、三浦大輔は、背番号18のユニフォームを着たナインから、18回胴上げされて有終の美を飾りました。

三浦大輔は高田商業から6位指名で入団!イチローと同期だった!

三浦大輔の出身校は、奈良県・高田商業高校です。1991年、3年生になって迎えた県大会決勝は、春夏ともに、谷口功一が君臨する天理高校が立ちはだかり、ついに甲子園出場はなりませんでした。その1991年のドラフト会議で三浦大輔を指名したのが横浜大洋ホエールズです。

指名順位は6位で、入団当時の三浦大輔の背番号は「46」。谷口功一は巨人から1位指名されましたが、現役生活の結果から見ると、プロ入り後は完全に立場が逆転し、三浦大輔は25年で172勝に対して、谷口功一はわずか8年間で0勝に終わっています。この事実は、プロ野球で大成するためには、実力以外の要素も重要であることを示す一例といえるものです。

ちなみに、横浜大洋ホエールズの1位指名は、のちにメジャーリーグにも渡り、楽天で現役生活を終えた斎藤隆(東北福祉大)。メジャーリーグで3000本安打を記録したイチローが、「鈴木一朗」としてオリックスに4位指名されたのも同じ年であり、三浦大輔ともプロ入り同期生でした。

ほかにも、現在阪神の監督を務める金本知憲(東北福祉大→広島4位)に、田口壮(関学大→オリックス1位)、石井一久(東京学館浦安高→ヤクルト1位)、中村紀洋(渋谷高→近鉄4位)ら個性派、実力派が、この年のドラフト会議で指名され、プロ入りしています。

三浦大輔が引退!「新しい横浜のエースナンバーに」とこだわった背番号18は準永久欠番に!

三浦大輔が今シーズン限りでの現役引退を明らかにしたのは、9月20日。9月16日の対阪神戦で先発するも、4回1/3でシーズン2敗目を喫した後のことでした。三浦大輔は、この試合後に現役引退を申し入れて、球団側も引退を了承。所属する横浜DeNAが、9月19日に史上初のクライマックスシリーズ進出を決めたことを受けて、翌20日に、このシーズン限りで引退することを表明しました。

三浦大輔が引退を決断した理由は、「勝てなくなった。先発でやれなくなったら引退すると決めていた」とのことです。しかし一方で、「まだできる」と葛藤に揺れ動く複雑な胸中も明かし、「今日の会見で引退を伝えられて、少しスッキリした」と、安堵感を漏らす場面も見られました。

「25年の現役生活で1番の思い出を」と質問されると、1998年の優勝を挙げ、「優勝ってこれほどうれしいものなのか。1年間のしんどいことすべてが報われたというか。98年の優勝は最高にうれしい」と感慨もひとしおの様子を見せた三浦大輔。引退後の進路については、「現役からは卒業しますが、野球からは卒業しません。ずっと野球に関わっていたい」と述べ、思い入れ深いリーゼントは、「このままです。できる限り、(リーゼントを)やり続けたいと思います」と貫く姿勢を断言し、場を沸かせました。

ラスト登板の9月29日の試合も勝利こそなりませんでしたが、試合後は、「今シーズンをもって引退しますけど、これからも三浦大輔はずっと横浜です。ヨ・ロ・シ・ク!ありがとうございました!」と花道を飾っています。「18番を横浜の新しいエースナンバーにする。そのために頑張る」とこだわった背番号18は、「横浜ナンバー」として事実上の準永久欠番となることが決定。横浜を背負って立つ将来の中心選手が、「ハマの番長」三浦大輔の背番号18を新たに背負うのは、何年後のことでしょうか。

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