三宅宏実(重量挙げ)母もかわいいと話題!筋肉トレーニングの方法は?

三宅宏実(重量挙げ)母もかわいいと話題!筋肉トレーニングの方法は?

三宅宏実(重量挙げ)のかわいいと話題の母親は音楽大学出身のピアノ教師!メダリストの父親と伯父を持つ重量挙げ界のサラブレッド!

三宅宏実(重量挙げ)は、女子重量挙げで、ロンドンオリンピック銀メダルを獲得した実力派選手。リオオリンピックでの活躍も期待されるところです。身長147cmと小柄で、愛らしい顔立ちの三宅宏実ですが、今、母親もかわいいと話題になっています。

三宅宏実の母とは、一体どのような人なのでしょうか。三宅宏実母娘一緒にならんでいる写真がありますが、それから受ける印象では、三宅宏実の母は、かわいいというよりは、むしろ品格のある教育者という感じ。それもそのはず、三宅宏実の母は、音楽大学出身のピアノ教師という経歴を持っています。三宅宏実自身の笑顔も愛らしいので、その母親もきっとかわいいに違いないということなのでしょう。

三宅宏実は、1985年11月18日生まれの30歳。埼玉県新座市出身です。法政大学卒業後は、いちごグループホールディングスに所属。父親は、メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した三宅義行で、伯父は、東京、メキシコ両オリンピックの金メダリストの三宅義信という家系に生まれました。次兄の三宅敏博も、重量挙げで、過去4度の優勝経験を持つ、まさに重量挙げ界のサラブレッドの三宅宏実。

しかし、幼少の頃は、母からピアノを教わり、中学時代は軟式テニスに打ち込んでいたといい、重量挙げには興味がなかったようです。中学3年の時に、シドニーオリンピックを見たことが三宅宏実の転機でした。女性にも重量挙げができると知った三宅宏実は、本格的に重量挙げへ転向。父親とのマンツーマントレーニングで腕を上げ、アテネ、北京とオリンピック2大会連続出場するまでになります。

結果は出せなかったものの、それをバネに経験を積んだ三宅宏実は、ロンドンオリンピックでは、女子重量挙げ初となる銀メダル獲得。これは、オリンピック史上初となる、父娘2代に渡っての快挙でした。2015年からは、所属するいちごグループホールディングスのウエイトリフティング部の兼任コーチとなり、自らプレーする一方で、後輩の指導も手掛けています。

三宅宏実(重量挙げ)のハードな筋肉トレーニング方法!持ち上げるバーベルの重量は最高140kg!

三宅宏実(重量挙げ)のかわいい笑顔からは想像もつきませんが、身長147cmの小柄な体格で持ち上げる重量は最高記録117kg!その体は、日々のハードな筋肉トレーニングで鍛え抜かれています。では、その筋肉トレーニングには、どのような方法を取り入れているのでしょうか?腹筋は、5kgの重りを後頭部に持って負荷をかけ、1セット=30回として、3セット繰り返します。

つまり、90回行っているわけですね。次に、背筋のトレーニング。こちらは一風変わっています。上半身は台に乗せて、下半身を激しく揺らすという、三宅宏実オリジナルスタイルです。これも1セット=30回で3セット繰り返します。しかし、これらのトレーニングは、三宅宏実にとってはまだウォーミングアップ段階でしかありません。いよいよ重量挙げの本格的なトレーニングメニューに入っていくわけですが、初めは、持ち上げるバーベルの重量を45kgでスタートし、段階的に、重量を65kg、さらには140kgまで上げていきます。

徐々に重量の重いものに切り替えて、体をなじませる方法です。スタートの45kgという重量は、三宅宏実の体重に匹敵しますが、苦にすることなく持ち上げます。三宅宏実の最高記録117kgを上回る140kgまでいくと、さすがに頭上までは上がらないので、バーベルを持ち上げては降ろすという動作の繰り返し。その時の筋肉の盛り上がり具合は、なまじの一般男性ではとてもかないません。

三宅宏実の表情には、いつもの笑顔からは想像できない気迫と集中力がみなぎります。三宅宏実によると、日々のトレーニングで鍛えると、筋肉も太くなるので、誰でも持ちあげられるようになるとのこと。実際、三宅宏実も練習を始めた3カ月後には42.5kgのバーベルを挙げたといいますから、その言葉には説得力があります。

三宅宏実(重量挙げ)父の記録も凄かった!オリンピックの戦績は?

三宅宏実(重量挙げ)メキシコでの父親の記録が凄かった!不可解な判定に打ち勝ち兄弟そろって表彰台に!

三宅宏実(重量挙げ)の父親である三宅義行は、1968年のメキシコオリンピック重量挙げで、銅メダルを獲得しました。その時、兄の三宅義信も金メダルを獲得したので、同一種目で兄弟が表彰台に上るという、オリンピック史上初の記録を実現させています。

しかも、その記録は、不可解な判定の壁にも強靭な精神力で打ち勝った凄いものでした。兄に肉迫する2位タイで迎えた中、最終種目に挑んだ三宅義行。持ち味の勝負強さをいかんなく発揮し、見事にクリアしたかと思われましたが、「バーベルの落とし方が粗い」という理由で「失敗」と判定されてしまいます。この不可解な判定に納得がいかない日本代表チームは、徹底的に抗議。

そのため、競技が中断すること約15分に及びました。「体が冷えてしまうからこれ以上待てない」と感じた三宅義行は、「もう一度バーベルを挙げてやる」と奮起。自分を高揚させ、チャレンジした結果は吉と出ました。「ほとんど奇跡に近い。自分の強気な面を出せた」と振り返る三宅義行ですが、「兄に勝ちにいった」と話す中での記録は、凄みすら感じさせますね。結果、兄には及ばなかったものの、兄弟がそろってオリンピックの表彰台に立ったのです。

三宅宏実(重量挙げ)のオリンピック戦績は?「三度目の正直」ロンドン大会で銀メダル!

三宅宏実(重量挙げ)のオリンピック日本代表としての戦績を振り返ってみましょう。オリンピックは、2004年のアテネオリンピックが初出場となる三宅宏実ですが、この年は、父親や伯父の母校でもある法政大学へ進学したばかり。オリンピック出場を視野に入れて、それまでの53kg級から上位が狙える48kg級に転向しました。

そして三宅宏実は、代表選考会を兼ねた全日本選手権で優勝を飾り、親子2代にまたがるオリンピック日本代表の座を射止めます。重量挙げのサラブレッドである三宅宏実には、メダル獲得の期待もかかりますが、結果は9位止まりでした。2回目の2008年北京オリンピックは、前年の世界選手権で5位入賞を果たしたため、日本代表に内定。社会人1年目となって初のオリンピック出場でもありました。

体操の相原親子、塚原親子に続けとばかり、親子2代の日本代表メダリストの期待が高まったものの、結果は6位。三宅宏実は、世界の壁に阻まれ、またもメダルに手は届きませんでした。「3度目の正直」となるか注目された2012年のロンドンオリンピックは、前年の世界選手権6位により、日本代表にまたも内定した三宅宏実。メダル獲得に向けて注目が集まった結果、日本記録を更新して見事に2位入賞!銀メダルを獲得して、日本女子重量挙げ史上初のメダリストの栄誉を勝ち取りました。

同時に、オリンピック日本代表史上初となる父と娘2代でのメダル獲得という快挙も達成した三宅宏実。三宅家からメダリストを3人輩出するという偉業を成し遂げたことになります。

三宅宏実(重量挙げ)が合宿で回復順調をアピール、2大会連続メダルで「勝負タオル」伝説更新へ!

三宅宏実ら重量挙げ日本代表は、リオオリンピックを目前に控え、合宿を公開。春先からの腰痛で一抹の不安を残す三宅宏実(重量挙げ)も、まずまずの結果を見せ、順調な回復ぶりをアピールしました。競技本番を想定した結果とあって、「重量に挑戦できたことが収穫」と話す表情にも明るさが。それに先立ち、母校法政大学で開催された壮行会にも出席した三宅宏実は、「オリンピック挑戦は4度目ですが、持てる力全てを出し切りたい」と抱負を語っています。

この席上で、「オリンピックに持参するもの」として、三宅宏実が真っ先に挙げたのが、前回のロンドンオリンピックで有名になった「勝負タオル」です。競技直後に首にかけていたキリン柄のタオルで、三宅宏実自身が大ファンの歌手・YUKIのライブツアーで購入したグッズとのこと。

銀メダルを獲得した「縁起もの」なので、今回のリオオリンピックにももちろん帯同。今回は、別の2種類の柄のタオルを用意するそうですが、デザインは、「中継で見えたら、あれかと思って欲しい」と、競技当日までは「マル秘」扱いだそうです。そんな中、選手団の一員としてリオデジャネイロ入りした三宅宏実は、「いよいよという気持ち」と、気持ちを高めています。

しかし、腰痛の不安を抱えて本番に臨むとあって、「90%。やってみないと分からない」と、素直な心情も。監督として帯同する三宅宏実の父親も、「銅に引っかかればいいかな」と語るように、決して思わしくない様子。できるだけベストの調整を行い、後は、いい意味で開き直りできれば、好結果も見えてくるのではないでしょうか。

生まれた1985年、プロ野球で打撃「三冠王」に輝いた落合博満(当時ロッテオリオンズ)とランディ・バース(当時阪神タイガース)にちなみ、名前に「うかんむり」の漢字が3つ含まれているという三宅宏実。「かんむり」ならぬメダルを2大会連続獲得し、「勝負タオル」伝説を更新できるのでしょうか。三宅宏実の出場する48kg級重量挙げの日程は、現地時間で8月7日の予定です。

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