「徹子の部屋」の黒柳徹子(港区乃木坂出身)ユニセフ親善大使は滑舌が悪い!甘いモノを食べ過ぎた入れ歯のせい!?玉ねぎ頭からどら焼きを取り出す!ももクロ大興奮 !!

「徹子の部屋」の黒柳徹子(港区乃木坂出身)ユニセフ親善大使は滑舌が悪い!甘いモノを食べ過ぎた入れ歯のせい!?玉ねぎ頭からどら焼きを取り出す!ももクロ大興奮 !!

2022年3月3日 更新

「徹子の部屋」の黒柳徹子ユニセフ親善大使は滑舌が悪い!甘いモノを食べ過ぎた入れ歯のせい!?玉ねぎ頭からどら焼きを取り出す!

2015年3月3、テレビ朝日系「徹子の部屋」放送内で、
ゲストのももいろクローバーZへ、玉ねぎ頭に隠してあった
どら焼きを取り出し、サプライズプレゼントをしました!

「徹子の部屋」レディ・ガガの回の黒柳徹子のサプライズ!!

2011年7月11日に、レディ・ガガさんが「徹子の部屋」に初出演した時には、
ガガさんの方から50cmに結い上げた髪の毛の中から
キャンディーを取り出し、徹子さんへプレゼント!徹子さんを喜ばせました。
徹子さんの方からのプレゼントは、徹子バージョンの
キティちゃんのぬいぐるみで、「可愛い!」とレディ・ガガさんからも歓喜の声!
渡航の際にはパスポートや大事なものを収納し、ポケットがわりに
使っているようです。検査は大丈夫?とちょっと心配に。

「徹子の部屋」の黒柳徹子玉ねぎ頭を続けているワケ

玉ねぎ頭の考案者は須賀勇介さんとおっしゃるヘアデザイナーさんです。
徹子さんが38歳でニューヨークに留学していた際に「こんなのはどう?」と提案を
してくださったのがきっかけだそう。
須賀勇介さんは、海外で成功した初の日本人ヘアデザイナーであり、
日本人美容師の先駆者です。
過去にハリウッド女優のヘアスタイリストも担当されていましたが、
1990年に惜しくも48歳という若さで亡くなられています。
第1回放送より、玉ねぎヘアーだった徹子さんは、自ら
「ゲストの話に頷く姿が視聴者に分かりやすいようにと思って。」
と始められたそうです。
しかもそのヘアスタイルをずっと変えず続けているのは、
「視聴者さんの注目が、ゲストの方の話よりも、私の方へ
集まってしまう事を避けたかった」と
明かされています。
ちなみに、最初に「玉ねぎ」と表現したのは「ザ・ベストテン」で
一緒に司会として共演されていた久米宏さんだそうです。

「徹子の部屋」の黒柳徹子(港区乃木坂出身)は滑舌が悪い

黒柳徹子は、最近、滑舌が悪い感じですね。
やはり80歳というお年のせいもありますし、入れ歯が合ってない感じもありますね。
黒柳徹子が『一人暮らしだから』というのも大きいですよね。
家族がいないので、入れ歯が合ってないよ。と言ってくれる身近な人がいないのでしょう。
自分では、そこまでは気がつきません。
近藤真彦や中尾ミエがいくら黒柳徹子と仲が良くても、
さすがに入れ歯の事までは言えないですね。

黒柳徹子みたいに喋りや声を商売にしている芸能人が何故、
きちんとした入れ歯を作らないのかに疑問は残ります。
黒柳徹子ならいくらでもお金はあるんでしょうにね。

「徹子の部屋」の黒柳徹子の歴史

「徹子の部屋」の黒柳徹子はユニセフ親善大使、社会貢献と福祉活動

1984年より国際連合傘下のユニセフ(国際連合児童基金)の親善大使を務めています。
アジアの人物として初めて就任されましたが、そのきっかけは、
当時のユニセフ事務局長のジェームス・グラントさんが
緒方貞子さんのご紹介により、黒柳徹子さん著作の
「窓際のトットちゃん」を読まれたことだそうです。
緒方貞子さんは曽祖父に犬養毅氏をおもちの方です。
国連連合難民高等弁務官に9年在任し、国連公使、
国際連合児童基金執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表、
アフガニスタン支援政府特別代表、国際協力機構(JICA)理事長なども歴任されています。
徹子さんは独自に「トット基金」という募金活動も行っており、
2014年までの累計は50億にも上ります。
それらの全てを事務費用には一切使わず、100%ユニセフの本部に送っています。
テレビなどのドキュメンタリー番組内でもソマリア、
アフガニスタンの現地視察の様子がテレビ朝日系からも放送されましたね。

「徹子の部屋」の黒柳徹子、印象の深い主要出演番組の色々

日本初のトーク番組「徹子の部屋」は、1976年からの放送から
2011年4月27日放送分で8961回を数え、
「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」と
してギネス世界記録に認定されました。
ゲストと一対一のトーク番組、
「一切編集を入れないので生放送そのもの。ゲストが本心を話してくださる。」
と徹子さんは語ります。視聴者にとっては驚きの衝撃告白もあり、
翌日の芸能ニュースになることもしばしば。
ローラさん出演時には、ローラVS黒柳徹子と注目され、
そのトークの展開を皆が見守りました。
毎回、様々なゲストに感じたまま対応される黒柳さんの
人柄が如実に画面から滲み出てくるようです。

また、1978年から始まった音楽番組「ザ・ベストテン」は
久米宏さんと司会を務め、最高視聴率41.9%を記録する大ヒットとなりました。
1985年に久米宏さんは降板されましたが、
徹子さんは1989年の最終回まで司会を務めています。
1986年には「日立 世界・ふしぎ発見!」が放送を開始し、
初回から毎回出演されているのは、司会の草野仁さんと黒柳徹子さんのみ。
野々村真さんは準レギュラーであり、坂東氏は2012年に降板しています。
クイズ正解率はトップでその知識の豊富さは素晴らしく、
並外れた努力家であることが伝わってきます。

「徹子の部屋」の黒柳徹子の出身地は東京都赤坂区乃木坂(現在の港区乃木坂)

「徹子の部屋」の黒柳徹子の出身地港区乃木坂にある八芳園
桜の季節は絶景で、都内には珍しい広い日本庭園があり、
誰でも散策ができます。土日は結婚式場として賑わうので、
平日の空いた日がおすすめです。
併設されているカフェは出来るだけ予約をした方が良さそう!
近くに地下鉄の駅もあるのでアクセスは便利です。
結婚式場としてのサービスの評判も高く、暑い日の日傘、
飲み物、更にはお琴演奏など日本的で風流ですよ。

 

徹子の部屋」の黒柳徹子の出身地港区にある根津美術館

尾形光琳の燕子花図屏風など日本の国宝も多く展示され、
茶道具、書、陶磁器、彫刻、絵画など様々なコレクションが並び、
企画展も度々催されます。
都内とは思えないような起伏のある庭園を備え、四季折々に景色を変えながら、
秋の紅葉頃には来訪者が時を忘れるぐらい見入ってしまうと評判です。
併設のカフェものんびりと優雅な時間を過ごせます。
表参道駅から10分程歩いた場所に位置していますよ。

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