森進一の息子・Taka(ワンオクロック)は元ジャニーズ!紅白卒業の真相

森進一の息子・Taka(ワンオクロック)は元ジャニーズ!紅白卒業の真相

森進一の息子・Taka(ワンオクロック)は元ジャニーズ!紅白卒業の真相

森進一、若年労働者として苦労した時代あり!長男Takaは元ジャニーズ!

森進一は、2015年の「紅白歌合戦」で卒業すると話題になりました。本名は森内一寛(もりうち かずひろ)。1947年11月18日山梨県甲府市生まれ、鹿児島県出身で現在68歳です。中学校卒業と同時に、集団就職で大阪に出ています。俗に「金の卵」と呼ばれた若年労働者として、家族に仕送りするために職を転々とした苦労人の時代がありました。

1966年「女のためいき」でデビュー。芸名の名付け親は元クレージーキャッツのハナ肇でした。本名の「森内」と「一寛」から一字ずつ取り、所属する渡辺プロダクション創業者・渡辺晋(しん)の名前を進と読み替え合成したのが、芸名誕生の由来です。美声歌手が主流だった歌謡界で、独特なかすれ声は衝撃的であり、世間から一時期、かなりバッシングを受けました。しかし、その後も「命かれても」「盛り場ブルース」でヒットを連発し、1968年には「花と蝶」で、第19回NHK紅白歌合戦へ初出場の栄誉を勝ち取りました。

私生活では大原麗子、森昌子との結婚歴があり、いずれも離婚しています。森昌子との間にもうけた3人の息子のうち、長男・森内貴寛は、ロックバンド「ONE OK ROCK」(ワンオクロック)のボーカリストTakaとして活動中です。Takaは元ジャニーズの一員だった時期があります。13歳のときにジャニーズ事務所に入所し、NEWSのメンバーとしてデビューするもメンバーを脱退。

森進一の息子という話題性で入ってきたTakaが、ジャニーズグループのメインになることに対してバッシングを受けたのです。それが原因で、ジャニーズ事務所を自主的に退所したあと「ONE OK ROCK」に転じます。なお、次男はテレビ東京の社員となり、三男・森内寛樹は、ロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカリストとして活動中です。

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森進一、48年連続をもって紅白卒業!真相はTakaの紅白出場?

森進一は、2015年で歌手デビュー50周年の節目を迎えました。そして、2015年の「紅白歌合戦」出場をもって、紅白卒業を発表しました。1968年の「第19回紅白歌合戦」の初出場以来、48年も連続出場してきました。森進一公式サイトによると、2015年12月4日「今年(2015年)の第66回紅白を区切りとして紅白歌合戦から卒業する」とあります。

このメッセージは、「紅白歌合戦」公式サイトにも掲載され、しかも「昭和43年から今年まで48回連続出場という長きにわたり...(途中省略)...そのご決断を重く受け止め、森進一さんの紅白歌合戦・最後のステージを盛り上げていきたいと思っております」と紹介されたほど。ここ何年かは、紅白出場の当落線ギリギリと報じられることも多く、落選前に自ら卒業宣言でプライドを保ったとも噂されています。しかし実は、この卒業宣言にはもう一つ理由があったのだといいます。

森進一は「紅白歌合戦」48回連続出場。本来なら50回出場が区切りのいいところですが、あえて今年卒業に踏み切ったのは、森自身の考えだそうです。実は、同番組の目玉企画として「ONE OK ROCK」(ワンオクロック)に、初出場の打診があったといわれています。ロック界でもその歌唱力は評価も高く、出場にも十分な実力。ボーカルを務めるTakaは森進一の長男であり、森親子の共演で話題性も十分。父親もお忍びで「ONE OK ROCK」(ワンオクロック)ライブを見に行き、息子の歌唱に目を細めているとも。

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しかし、“親の七光り”と、実力以外での注目を嫌うTakaが断固拒否したと言われています。そこで、2016年、は父親の卒業と入れ替わりで、「ONE OK ROCK」出場というのが事の真相とされています。つまり、森進一が卒業表明し、息子に「紅白歌合戦」出場の席を譲ったというのです。TakaはNHKと良好な関係にある、大手芸能事務所との契約もあり、本人の意向次第で初出場は十分ありえるとみられています。

森進一が前々妻・大原麗子と離婚した理由は?「おふくろさん」騒動の結末

森進一、前々妻・大原麗子と4年で離婚!理由は「互いのすれ違い」?

森進一は2015年に、28歳年下であるOLとの交際が発覚しました。そんな森進一、前々妻は女優の故・大原麗子でした。結婚生活は4年と短いもので、離婚理由は、多忙を極める中での互いのすれ違いとされています。このころの森進一は、デビュー以来約14年間に渡り在籍した渡辺プロダクションから独立し、森音楽事務所を設立しています。

しかし、大手芸能事務所からの独立は、芸能界における自身の居場所と地位を失う、いわゆる「干される」というリスクを抱える行為。実際、森進一の活動も多くの苦難に見舞われることとなります。しかし、再起を賭けて1979年夏ごろリリースした「新宿・みなと町」がヒットを飛ばし、以降の活動に大きく弾みをつけました。このころ、元所属事務所・渡辺プロダクションの大原麗子との交際がマスコミに取り沙汰されます。

しかも、大原麗子は既婚者でした。しかし1980年、森進一と大原麗子は結婚を発表します。幸せの連鎖は続き、1982年に松本隆作詞、大瀧詠一作曲「冬のリヴィエラ」がヒット。そのポップな曲調で、従来とは異なる新たなファン層を獲得しています。しかし、公私共に充実し順風というのは表向きで、実際の夫婦生活は、すれ違いが積み重なっていたそうです。そして、結婚生活にピリオドが打たれ、1984年に離婚発表となりました。離婚後に社会福祉活動に参加していた森進一は、その活動が縁で歌手の森昌子と再婚します。

森進一、「おふくろさん騒動」で恩人の川内康範と確執!結末は勃発から1年9ヶ月!

森進一の代表作の一つ「おふくろさん」。川内康範作詞、猪俣公章作曲のコンビで1971年5月にリリースされ、第13回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞受賞、1971年度年間50位(オリコン)にランクされた名曲です。しかし、その「おふくろさん」をめぐり、勃発したのが世にいう「おふくろさん」騒動。その発端は、2006年12月31日放送のNHK「第57回紅白歌合戦」で、「おふくろさん」を歌唱から始まります。

その時に歌った歌詞が、オリジナルには存在しない台詞が無許可で足されていたと、川内康範が激怒。2007年2月に著作権の侵害を訴え、「もう森には歌ってもらいたくない」と言い放つまでに。これを受け、森進一が同曲の封印を宣言するまでに混迷化しました。もともと、森進一と川内康範との付き合いは古く、親分肌の川内康範が森進一の境遇に同情し、人柄も気に入ったことで交流が始まったそうです。

森進一が数々のトラブルに見舞われた際も、川内康範が尽力・奔走し、事態を切り抜けたといわれています。いわば森進一にとって、川内康範は芸能生活の大恩人。しかし、両者はついに和解には至らず、2008年4月に川内康範は88歳で逝去。結末が見られたのは2008年11月でした。

会見で、川内康範の長男で、弁護士の飯沼春樹と同席した森進一は、「今後は川内康範のオリジナル作品のみ歌唱すること」を条件として、川内康範が作詞した全33曲(同曲を含める)について、歌唱することを承諾された、と発表しました。
紅白歌合戦からの勇退を表明した森進一が、締めくくりに選んだ曲は、「おふくろさん」でした。

森進一、離婚後の心労で老け込んだ?持病も影響か?

表情を美しく保ちたいのは女性だけではありません。往年のベテラン男性歌手でも、キレイに顔を保ちたいものです。最近の森進一、顔がやばいことになっている、と巷で噂になっています。一部では整形疑惑も向けられています。しかも、その整形に崩れが生じ始めた、とすら言われているのです。

静止画ではあまり目立ちませんが、動画で見ると、不自然な顔の張りらしきものが浮き出てきています。整形というよりは、どちらかというと心労などの原因で老けこんだとも見えます。まるで、玉手箱を開けた後の浦島太郎といったごとく、の劣化状態。表情もうつろで、覇気が感じられないのです。森昌子と離婚したのを境目に、年々、体と顔から張りが失われていくような印象がぬぐえません。
20代前半のジャケット写真を見ると、キリッとしたイケメンの森進一。しかし、持病だったC型肝炎の悪化や、うつ病の発症などで体はボロボロ状態とも言われており、それが影響しているのかもしれません。歌声も以前のものが失われていくように思え、歌手活動の継続も厳しい、との声も聞かれます。

年齢も68歳、致し方ないとも思えますが。ただ、28歳年下のOLとの交際が発覚した森進一。今後、森進一電撃再婚というニュースも飛び込んでくるかもしれませんね。そうなれば、以前のような森進一の歌声と表情も拝めるかもしれません。これからの、森進一と彼女の行方にも注目です。

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