森脇健児 干された理由は?結婚相手、息子、兄は?名言が寒いけど笑えます!

森脇健児 干された理由は?結婚相手、息子、兄は?名言が寒いけど笑えます!

森脇健児 干された理由はタモリを激怒させたから?再ブレイクの理由

森脇健児が語るあの頃 干された理由はタモリを激怒させたから?

森脇健児がテレビから干されていた理由が「タモリを激怒させたから」というのは本当でしょうか。

森脇健児は1999年、タモリが司会を務める「笑っていいとも」の降板の後、ほとんどテレビで見かけることはなくなっていましたが、その原因とされる事件は焼肉店で番組の食事会が行われた時に起きました。どんどん網の上に隙間なく肉を並べる森脇健児に、「仙人のようだ」と温厚なことで有名なタモリが、周囲が引くくらい激怒したというのです。しかし6月17日放送の「ナカイの窓」(日本テレビ系列)に出演した森脇健児は、「事件、事故、スキャンダルも起こさず、仕事がなくなった」と当時を振り返っていました。かつて森脇健児が「どうやったら芸能界に残れるか」をタモリにたずねると、「広く浅くだね」と温かいアドバイスをくれたといいますから、「タモリ激怒=干された」ではないようですね。単に自身のこだわりから、タモリは他人に肉の調理を任せたくなかっただけだと思われます。

森脇健児 石原さとみも大絶賛!再ブレイクの理由

再ブレイクを果たすまで、森脇健児を全国ネットで見るのはTBS系「オールスター感謝祭」だけといっても過言ではありませんでした。しかし、2013年の「ナカイの窓」で見事に再起し、その他のバラエティー番組にも出演するようになりました。「大ブレイク中です、私の中で!」とあの石原さとみも大絶賛の森脇健児。その再ブレイクの理由は、森脇健児の豊富な「どん底に落ちた人間の過去の裏話」がみんなの大好物だったからでしょう。しかし「どん底話」を披露したところで、誰もが再ブレイクを果たしているわけでありません。ところが森脇健児は過去にひた隠しにしていた「天然ボケキャラ」という素顔をもさらけ出し、これまたみんな大好きな「イジラレ芸人」というポジションを獲得したのです。しかもアイドル芸人時代とは違い、いつも礼儀正しく真面目と評判の森脇健児は、こうして「新幹線の座席がグレードアップ」という確かなブレイクの手ごたえも実感しているようです。

森脇健児 結婚相手、息子、兄は?名言が寒いけど笑えます!

森脇健児の結婚相手、相葉雅紀似の息子、兄は?陸上一家の血筋

森脇健児はアイドル芸人として人気絶頂中の1994年7月10日に結婚しています。結婚相手は一般女性ですが、過去に一度、嫁・佐季、娘・佑有、息子・倖平と家族揃って「オールスター感謝祭」のマラソン出場でテレビ出演したことがあり、その時に息子・倖平(当時18歳)が「嵐の相葉雅紀に似ている」と話題になりました。その息子・倖平は高校時代陸上部で第66回京都府高校陸上競技対抗選手権大会に花園高校から出場していたそう。宮脇健児と同じく陸上三昧の青春を送っていたようです。宮脇健児も京都洛南高校陸上部時代は「森脇三兄弟」の次男として、名実ともに有名な陸上選手でした。その三兄弟のうち、現在2歳上の兄はイベント会社勤務、5歳下の弟は高級菓子セレクトショップ勤務だそうで、どちらも一般人のようです。

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森脇健児の暑苦しい名言が寒いけど笑えます!

高校時代に取った杵柄のおかげなのか、森脇健児は干されている時期もいろんな意味でひたすら走り続けました。「俺は今責任感で走ってるねんよ。子供2人もおんねんで。家のローンもまだ残ってんねん」と森脇健児は語っていますが、このなんとも暑苦しくも寒い名言が笑えると評判になっています。しかし決して笑いの巧みなセンスがある発言というわけではありません。他にも寒い名言は伝説となって流布していますが、どれも一流アスリートが言えばカッコイイものを、宮脇健児の場合マラソンのことを言っているのか人生に奔走していることを言っているのか、なんともツッコミどころが満載なのです。しかし本人はこぶしを突き上げながら「謙虚!素直!感謝!」と意気揚々。全く意に介せず叫び続けます。この絡みにくさにも似たテンションから生まれる寒い名言が笑われることで、森脇健児が芸能界で再走するきっかけを作ることができたのは間違いないでしょう。

森脇健児 走り続けて勝ち取った!「寒い名言」「イジラレ芸人」のタイトル

「コツコツ地道に走っていれば誰かが見てくれるやろって思って走った」という森脇健児の意地が実を結び、見事芸能界で再ブレイクを果たしました。何と干されている間は、誘われても副業をせず、髪が抜けるほどのストレスを抱えながら自分の仕事に走り続けたというのですが、何といってもそれを支えてきた家族の愛は素晴らしいですよね。それを物語っているのは森脇健児が「ナカイの窓」で息子・倖平の手紙が朗読されたのをきっかけに大号泣したときのことです。手紙は「お金も仕事もない時期でも森脇健児が愚痴や弱音を吐かず、どんな小さな仕事にも一生懸命だった」ということから始まり、「自分もいつかテレビを作る側の人間になって、父親と一緒に仕事がしたい」という感動的な内容のものでした。それが読み上げられている時、森脇健児は人目もはばからず鼻水をダラダラたらし、声を上げて泣いていたといいます。こんな感動的な話も、結局大号泣したことまで大爆笑を買ったというオチがついて、ますます今の森脇健児は一貫性があって「キテるなあ」と思わざるをえません。干されてから約15年、「寒い名言」や「イジラレ芸人」なんて呆けたタイトルこそついていますが、ここまでまっすぐ走り続けた森脇健児の不屈の精神には、私たちも学ぶべきものがありそうです。

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