モハメド・アリとマイク・タイソンどちらが強い?名言に見るボクシングスタイル

モハメド・アリとマイク・タイソンどちらが強い?名言に見るボクシングスタイル出典:http://dakahi.com

モハメド・アリとマイク・タイソンどちらが強い?名言に見るボクシングスタイル

モハメド・アリ、マイク・タイソンとどちらが強い?優劣がつけがたい白熱のファイトか?

モハメド・アリがこの世を去りました。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」で知られ、数々の伝説を残した元ヘビー級ボクサー、モハメド・アリの訃報は、1つの時代に終わりを告げるものでした。モハメド・アリと同じヘビー級で、「最強」と称されたマイク・タイソンとどちらが強いのか?とは、ファンの議論が尽きないところです。実際、モハメド・アリとマイク・タイソンのどちらが強いかは非常に興味深いテーマ。勝敗予想については、ネットでも喧々諤々と意見が分かれています。

モハメド・アリに軍配を上げる意見は、「心理戦にも長けたモハメド・アリが、マイク・タイソンを撹乱する」、「モハメド・アリは強靭なメンタルを持っている」、「身長面からもモハメド・アリが優位」などというもの。これに対して、マイク・タイソン有利説は、「あのダイナマイトパンチを浴びれば、いかにモハメド・アリといえどもKO」、「パワー、スピード、テクニックはマイク・タイソンの右に出る者はいない」、「全盛期のマイク・タイソンは怪物」という意見が見られました。

総じて、スピードとフットワークに加えてクレバーなモハメド・アリと、破壊的なパンチ力で圧倒するマイク・タイソンという特徴を踏まえた興味深いもの。モハメド・アリとマイク・タイソン、どちらが強いかといえば、もはや優劣がつけがたい白熱したファイトになると予想されます。勝負の決着は白黒がつかないほうが、むしろ楽しみがあってよいのではないでしょうか。

モハメド・アリ、名言「蝶のように舞い、蜂のように刺す」に凝縮されたボクシングスタイル!挑発行為などのPRにも長けていた!

モハメド・アリといえば、名言「蝶のように舞い、蜂のように刺す」がよく知られています。これには続きがあり、「奴には、私の姿は見えないから、打てるわけがない」というものです。つまり、「俺があまりに俊敏なので、相手は俺をとらえられないのさ」というモハメド・アリ流のアピール。従来のヘビー級ボクシングは、ゴツい大男たちがひたすら殴り合うという、これといった見どころのない内容でしたが、モハメド・アリは「蝶のように舞う」華麗なフットワークと、「蜂のように刺す」シャープな左ジャブで、リングを縦横無尽に動き回るスタイルを確立したのです。

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「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という名言そのものに、モハメド・アリのボクシングスタイルが凝縮されているといっても過言ではありません。相手の攻撃を予測して瞬時にかわす洞察力や、パンチを連打させて体力を消耗させたうえで、一撃で仕留める捨て身のクレバーさもモハメド・アリの持ち味。さらに、モハメド・アリは、自分の試合に注目を集めるためのPRにも長けていました。その手法は過激なもので、「俺より強い奴はいない」、「俺が一番偉大だ」などと傲慢とも思える言動や、相手をからかったり、KOラウンド数を予告したりするなどの挑発行為に出ることは当たり前。

このPRには、相手をカッカさせるよう心理戦を仕掛ける意図もあったようですが、この態度で大きなバッシングを浴びたのは言うまでもありません。もっとも、モハメド・アリ自身は、「こう言えば、みな俺の試合に注目する」と告白しています。「野次や罵声の中でリングにあがるのは最高さ。俺が言ったとおりの結末になるからね」というモハメド・アリのタフさは並大抵ではありません。

モハメド・アリの死因はパーキンソン病だった?経歴や生涯戦績は?

モハメド・アリの死因はパーキンソン病か?パンチを打たせる頭脳的な戦法でダメージか?

モハメド・アリは、74歳で亡くなる直前まで、パーキンソン病と戦い続けてきました。亡くなった直後には、死因はパーキンソン病だったとの噂も飛び交いましたが、その後、遺族により、直接の死因が敗血症による自然死だったことが明らかにされています。

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モハメド・アリの患っていたパーキンソン病とは、進行性の神経変性疾患。日本国内でも難病に指定されています。脳からの指令が伝わらなくなり、震えが起こる、動作が緩慢になる、バランスを崩しそうになったときの反射に支障を来たすなどの症状が知られているところです。パーキンソン病の発症原因は、はっきりと解明されてはいませんが、加齢や生活習慣などが考えられています。

しかも、パーキンソン病には、認知症などの病気を誘発する傾向も。現役引退後にパーキンソン病の宣告を受け、長く闘病生活を続けていたモハメド・アリ。現役時代晩年には、手の震えや、早口ではっきりしないスピーチをする姿に、すでにパーキンソン病の兆候を疑う報道も出ていたほどです。パーキンソン病と診断された当時、医師から「余命は10年から15年」との宣告を受けたことも明かされましたが、それから30年以上も生き延びたモハメド・アリ。闘病生活の中で、パーキンソン病の認知に尽力するなどの姿は、バッシングにさらされた現役時代とは打って変わって、非常に高い評価を受けました。

モハメド・アリ12歳からボクシング開始の経歴!通算戦績は56勝で37KO!

モハメド・アリは、アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビル出身。イスラム教へ宗派替えする前の本名は、カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニアでした。1960年にローマオリンピックに出場し、ボクシングのライトヘビー級種目で金メダルを獲得。その後、プロに転向すると、1964年に世界ヘビー級王座を獲得し、ジョージ・フォアマンとのタイトルマッチや、ジョー・フレージャーとの死闘など、モハメド・アリは、ボクシング史上に残る名勝負として語り継がれる試合を残します。

さらに、WBA・WBC統一世界ヘビー級では、通算3度のチャンピオン奪取成功と、19度の防衛成功で、不滅の名声を残しました。また、モハメド・アリとアントニオ猪木との「格闘技世界一決定戦」も、ボクシングファンの語り草となっています。一方では、イスラム教改宗、ベトナム戦争への徴兵拒否などのモハメド・アリの言動が、当時の米国政府や保守派政治家たちからは異端視され、世界タイトル剥奪や、試合を禁止されるなどの圧力を受け、モハメド・アリの人生そのものが闘いの日々。

その出自はアフリカ系アメリカ人であり、イングランドとアイルランドの血も引いているというモハメド・アリがボクシングを始めたのは12歳の頃だったといいます。父親からの誕生日プレゼントの自転車が盗まれ、警察に行った際に対応した警官がボクシングジムのトレーナーもしていたという縁で、ボクシングジム入り。その後、アマチュアデビューし、実績を重ねて、1960年のローマオリンピックのボクシング・ライトヘビー級で優勝を飾り、同年10月にプロデビュー。1964年にヘビー級世界チャンピオンに輝きますが、その経歴に暗雲が漂うのが1967年。

イスラム教への信仰から、「俺とべトコンに争いはない」と、ベトナム戦争への徴兵拒否を表明。ボクシングライセンスとタイトルを剥奪されてしまうのです。しかし、1970年にライセンスを再度取得して、プロボクシング復帰を果たしたモハメド・アリは、1974年に世界王座を実力で奪い返します。通算19回の防衛を達成して生涯戦績は56勝5敗、このうち37勝がKO勝ちですですから、KO率は6割6分1厘。1975年3月に行われたチャック・ウェプナーとの初防衛戦を観戦していた無名時代のシルヴェスター・スタローンは、モハメド・アリから、映画『ロッキー』のヒントを思いついたそうです。

モハメド・アリがアトランタオリンピックで聖火台に!尊厳を守って闘った英雄の姿に拍手が!

モハメド・アリの人生は、黒人差別との闘いの連続でもありました。1960年にローマオリンピックで金メダルを獲得しながらも、黒人であることを理由にレストランへの入店を拒否されると、金メダルを、惜しげもなくオハイオ川へ投げ捨てました。そして、1967年には、「ベトコンは、俺をニガー(黒人を侮蔑した呼称)とは呼ばなかった」として、ベトナム戦争の徴兵を拒否。ボクシングライセンスと王座剥奪のリスクを負うことは分かりきっていた上でのモハメド・アリの行動でした。もちろん、社会からもバッシングを浴びることも目に見えていました。

しかし、それでも恐れることをしなかったモハメド・アリ。それは、何としても守らなければいけないものがはっきりしていたからです。メダルや王座のベルトを捨てなければならないほどの重さともいえるそれは、人間としての尊厳。
1996年のアトランタオリンピックの開会式では、世界中が驚きを隠せませんでした。当日まで極秘とされていた聖火の最終点火者が、なんとモハメド・アリだったからです。

オリンピックが開催された南部ジョージア州は、かつては黒人差別が激しかった地域。その因縁の場所で、聖火への点火という大役を引き受けたモハメド・アリ。パーキンソン病のため、小刻みに震える手でトーチを握りしめ、聖火台に火を灯すかつての英雄に、大勢の観衆が送る拍手は感動的な光景でした。それから20年の歳月が流れ、帰らぬ旅路へとついたモハメド・アリ。しかし、尊厳を守るために闘った英雄モハメド・アリの記憶は、人々の心に深く刻まれるでしょう。

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