武蔵(格闘家)は弟と個人事務所を経営!本格的な指導者活動を開始

武蔵(格闘家)は弟と個人事務所を経営!K-1時代の成績は?

武蔵(格闘家)は弟と個人事務所を経営する実業家!数少ない日本人ヘビーファイター

有名な空手道場・正道会館出身で、元K-1格闘家として名を馳せた武蔵は、K-1界では数少ない日本人ヘビーファイターとして活躍し、現役引退後はタレントや俳優業にも進出しています。さらに現在は、実の弟でキックボクサーのTOMOとともに立ち上げた個人事務所の経営に携わるなど、実業家としての顔も。

実弟と立ち上げた「株式会社パウンドフォーパウンド」の事業内容は、芸能プロダクションや、スポーツ&各格闘家のプロモーション活動、各種武道道場の経営などです。このように、専務の武蔵は、社長である弟の会社経営をサポートしながら、タレント兼実業家の道を歩んでいます。

大阪府堺市南区で生まれた武蔵の本名は森昭生です。旧リングネームはカタカナ表記の「ムサシ」で、左右両方撃てる二刀流であることから、二刀剣法で有名な剣豪・宮本武蔵に由来して付けられました。近畿大学短期大学部商経科卒業後の1995年に、パトリック・スミスとの対戦を2ラウンドKO勝ちしてデビュー戦を飾った武蔵は、翌1996年のK-1グランプリに唯一の日本人として出場し、ベスト4へ進出。

1999年までの12試合でわずか2勝という大スランプを経て、2003年からの2年間は、K-1GPファイナリストになっています。2009年8月に現役引退を発表したため、9月の「K-1ワールドグランプリ」が最後の試合となりましたが、判定負けを喫し、引退の花道を飾ることはかないませんでした。

武蔵(格闘家)のK-1時代の成績は通算49勝!年間最高11試合を闘いながらブーイングの嵐に?

K-1格闘家時代の武蔵の成績は、15年間で、84試合49勝(19KO)29敗5分け、無効試合1です。数少ない日本人ヘビー級選手だったため、年間最高で11試合も闘っていました。通常の日本人K-1選手の試合数は年間で2試合がいいところですから、武蔵のハードスケジュールが際立ちます。それほどの試合数をこなすとなると、コンディション調整にも相当苦労したことでしょう。

突出した成績という印象は受けませんが、ハードな年間スケジュールの中で、これだけの成績を挙げてきたことは、十分評価に値すると言えます。このように、常にトップレベルの中で闘い続けてきた武蔵ですが、当時の評価は芳しいものではありませんでした。

それは、ディフェンスに徹したファイトスタイルが「逃げ腰」とみられたからです。ファンやマスコミからはブーイングの嵐で、見知らぬオジさんから「なんでもっと攻めてくれないんだよ!」と言われたこともあったと言います。しかし、武蔵の側からすると、やむにやまれぬ理由があったのも事実です。

K-1時代の対戦相手には、アーネスト・ホーストやミルコ・クロコップといったレジェンドクラスの強豪が揃っていました。それは、武蔵に言わせれば「対戦相手が全員化け物ばかり」。試合の密度が濃いことに加え、多すぎる年間試合数という過酷な状況下から生み出されたのが、「逃げ腰」のファイトスタイルだったと言えます。本人にとっても不本意だったでしょうが、当時の事情からすると仕方のない選択だったのでしょう。

武蔵(格闘家)の祖先は「新右ヱ門さん」?!結婚や熱愛彼女の情報は?

武蔵(格闘家)の祖先は「新右ヱ門さん」?!蜷川幸雄とも親戚だった?!

武蔵(格闘家)の祖先や親戚に凄い顔ぶれが揃っていることをご存じでしょうか?江戸幕府の旗本・蜷川家というれっきとした武士の家系に連なる武蔵のさらに祖先へとさかのぼっていくと、蜷川親当(にながわちかまさ)という人物に行き当たります。この名前だけではピンとこないでしょうが、蜷川新右エ門(にながわしんえもん)と言えば気が付く方もいるかもしれません。

蜷川親当とは、あの人気アニメ「一休さん」に登場する「新右ヱ門さん」のモデルとなった人物です。アニメの「新右ヱ門さん」は、武勇に秀でたひとかどの武士で、時の将軍・足利義満から無理難題を吹っ掛けられては「一休さーん!一大事でござるー!」と駆け込んでくるのがお約束。ドジでお茶目なイメージも強いキャラクターですが、史実では、足利幕府の実力者で、歌人としても優れた才能を発揮した傑物と伝えられています。

一休宗純とも交流があったとされている点が、アニメの設定に生かされたのでしょう。「誰も信じてくれませんけど、これ本当のことなんですよ。すごいでしょ」と武蔵。しかし、びっくりするのはまだまだこれからです。日本赤十字社連盟発足に携わった法律学者の蜷川新(あらた)を大祖父に持ち、厳しい指導で知られたカリスマ演出家の蜷川幸雄は遠い親戚関係にあると言います。

さらに、遠い祖先には、日本初の征夷大将軍として日本史に登場する坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が名を連ねているのですから、武蔵の家系図は本当に豪華です。

武蔵(格闘家)は結婚せずに独身?熱愛彼女がいないのはシャイな性格だから?

1972年生まれで、40代半ばの武蔵(格闘家)には、長いこと独身を貫いているという噂があります。どうやら独身という情報は本当のようで、過去に結婚したという事実もない武蔵。2012年のブログで「彼女いない歴は15年以上」と告白しており、現在までも熱愛報道はないので、彼女いない歴はすでに20年以上に更新されている可能性が高そうです。

実は、熱愛彼女がいないのには、武蔵のシャイな性格が災いしていると言います。K-1で数々の猛者と闘ってきた武蔵ですが、女性を前にすると極度にあがってしまい、恋愛に発展しないとか。せっかくデートに漕ぎつけても、「嫌われたくない」という心理が働いて、どのようなトークをすればいいか分からなくなり、趣味の釣りの話ばかりして振られた経験もあるそうです。

そうなると、武蔵にとっての最強の敵は女性だと言えるでしょう。とはいっても、決して男性が好みというわけではありません!日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」に出演した際には、女医の西川史子に「すごく綺麗な方だと思います」とアプローチしています。しかし、「これがホントのバカ」と一蹴され、あっけなく撃沈する羽目に……。そんな有様ですが、シャイな性格を理解してくれる女性と出会えれば、永すぎた春にピリオドを打つこともありえます。早く彼女ができてゴールインとなるといいですね。

武蔵(格闘家)が本格的な指導者活動を開始!ディフェンスの極意を後進に伝授!

2009年の現役引退以降は、タレント兼実業家として活動している武蔵(格闘家)。これまでは後進の指導を手掛ける機会は少なかったようですが、このほど指導者として本格的に活動を開始しました。武蔵の元に集ったのは、初防衛戦に挑むホーストカップ日本スーパーライト級王者・麻原将平や、正道会館全日本4連覇中の小西雅仁、真正会全日本重量級王者・谷川聖哉といった若い実力者ばかり。

その他にも、極真会館女子世界大会2連覇でホーストカップ女子チャンピオンの谷山佳菜子や、RISEフェザー級ランカーの泰良拓也、昨年復活したベテランの濱崎一輝らも参加するなど、顔ぶれは多士済々です。なぜ、武蔵が彼らの指導を手掛けることになったのかというと、きっかけは、正道会館所属のプロ選手たちから、揃って「面倒を見てもらえないか」と相談を受けたこと。

それには、活動拠点を東京としながらも、故郷の大阪に帰った時には、寸暇を割いて道場で後輩たちを指導していたという背景がありました。選手たちの面倒を見ることまでは考えていなかった武蔵ですが、事務所社長の弟TOMOに相談し、選手たちを受け入れて指導する機会を増やしていくことにします。

指導者としての今後の目標は、「スター候補の選手を育成し、リングで活躍させることと、ファンが見たい試合を組んでいくこと」。練習会では進んでスパーリングに参加し、現役時代に培ったディフェンスの極意を選手たちに伝えようと汗を流している武蔵。

一方、日本の格闘技界については「団体の都合で実現しない試合には、ファンが見たいと願う試合があるはず。それを実現するためにも団体間の相互交流などが重要になってくるのでは」と展望を語りました。この言葉からも分かる通り、指導者としての自覚と才能にも恵まれている武蔵には、後進たちの育成も十分に期待できそうです。

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