なべおさみの人脈がスゴすぎる!勝新太郎、安倍晋三との関係は?

なべおさみの人脈がスゴすぎる!勝新太郎、安倍晋三との関係は?

なべおさみは、昭和の芸能界が生んだ異形のコメディアン

なべおさみは、1939年生まれの76歳。もはや伝説のバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」で、大声で助監督を怒鳴り散らす映画監督(植木等の無責任シリーズを撮った古沢憲吾監督といわれています)をパロディ化したコントで注目を集めました。

山田洋次監督の喜劇「吹けば飛ぶよな男だが」では主演も務め、以後はピンのコメディアン・俳優として活躍します。昭和30年代のはじめ、映画産業の隆盛に加えて、新しいメディア・テレビが登場。そのフロンティアで誕生したスターやアイドル、映画や番組制作のさまざまな仕事に携わった若いスタッフたちが、今の芸能界の礎を築きました。そんな時代に、渋谷をウロウロしていた不良少年が、明治大学に入ったものの何だか楽しそうな芸能界の周辺をウロウロします。

やがて青年は、当時ビックスターだった勝新太郎や、歌手・水原ひろしのマネージャーを務め、当時、隆盛を極めた渡辺プロで、クレージーキャッツのリーダー・ハナ肇の付き人に。この青年こそ、「やくざと芸能界」「昭和の怪物」など、最近、次々と芸能界の暴露本を出して物議を醸している、なべおさみです。

なべおさみの、政財界ややくざ、芸能界の有力者にすり寄るコバンザメ的生き方

なべおさみのタレントとしての表の顔とは別に、彼は芸能界の裏方として、政治家ややくざと芸能界の人脈を繋ぐフィクサー的な活動も行っていたようです。なべおさみの暴露本では、いささか眉唾ものの話も数多く見受けられます。その際たる話が、現首相である安倍晋三とのエピソード。

なべおさみは、安倍晋三と昵懇の間柄で、タレント議員がブームになった頃、赤坂の待合で、選挙の出馬要請を受けたのだとか。しかし、なべおさみは、出馬要請を蹴るかわりに、傍にいた宝塚出身の女優を推薦したのだと言います。その女優こそ扇千景。その後、扇千景は政界入りし、ついには参議院議長まで務め、2007年に政界を引退しました。

なべおさみの息子・なべやかん替え玉受験の真相は?所属事務所が3回も変わっていた!

なべおさみが陥った、息子なべやかん「明治大学替え玉受験疑惑」

なべおさみは、1990年代に入ると、芸能界の裏方仕事が本業となったのか、あまりテレビで顔を見なくなります。そんななべおさみが、1991年、一人息子の明治大学替え玉受験疑惑で、唐突に再浮上。マスコミに大パッシングを受けました。当時は、一コメディアンの息子がなぜ替え玉受験なのか、と怪訝に思った人も多かったようですが、なべおさみ自身は、自分が持っているさまざまなコネクションを使って、当たり前のように替え玉受験を企てたのでしょう。なべおさみの考え方は、やくざな昭和の芸能界のままだったといえます。

なべおさみの息子、なべやかんのカルト芸人的生き様

なべおさみの情けない息子こそ、なべやかんです。なべやかんは、成城学園高校を一年留年し、成城大学へ内部進学もできず、その後2年も浪人していたそうです。父親のなべやかんも人の親、さすがになんとかしなくてはと考えたのが、明治大学替え玉受験だったのかもしれません。世間からさんざん叩かれたなべおさみは、大先輩の芸人・由利徹に、息子のなべやかんを預けます。

しばらくして、由利徹の元を離れたなべやかんは、たけし軍団入り。その後は、毒舌ブログや、パワーリフティングの全日本大会で優勝するなど、カルトなお笑い芸人としてしぶとく活動しています。一方、父であるなべおさみも、渡辺プロの裏仕事をこなして、社長の渡辺晋に可愛がられていたそうですが、裏仕事に染まってしまったか、いつの間にやら、吉本興業、オスカープロモーションと、プロダクションを脈絡なく渡り歩き、現在では所属も不明です。

なべおさみが勝新太郎一族の新年の宴に見た、驚愕!外車購入エピソード

なべおさみが、暴露本で一貫して主張しているのは、芸能人は、所詮やくざな存在であるものの、ハレとケで考えれば、ハレの特別な存在、スターであるということ。特別な存在であるからこそ、年功序列や義理人情を重んじていたのに、最近は、そういう美風が失われ嘆かわしい、というトーンで綴られています。おまけに、反社会集団であるやくざの存在すら、必要悪として肯定している節も。

なべおさみが語るスターの豪快伝説も、うがった見方をすれば、昭和のキラ星のようなスターたちに寄り添って、何くれと世話を焼いた、ひとかどの男だと自身を高めたいがための、なべおさみの自画自賛本とも読み取れます。例えば、東京プリンスホテルでの、若山富三郎と弟の勝新太郎、父である長唄師匠杵屋勝東治との新年の祝いの席でのこと。キャデラックを買ったばかりの若山富三郎に、父の杵屋勝東治が、「若山、いいなぁ。お父ちゃんもこんな車に乗りたいなぁ」というと、若山富三郎はすぐに、「三十分で届けに来たら、新車一台買うよ」と、外車ディラーに電話。

元日なのに、新車のフリートウッドが、東京プリンスホテルの正面玄関にたちどころに届けられます。それを見た若山富三郎は、ホテルのルームキーを、ホテルのフロントに差し出して一言、「これにつけておけ」と言い放ったとか。確かに、とんでもない豪快伝説ですが、こんな勝新太郎一族の身内の席にまで、自分が呼ばれていたということを、なべおさみが遠回しに自慢しているようにもとれます。確かに昭和の芸能界では、興業というビジネスにおけるやくざとの関わりは絶対でした。

極端にいえば、当時のスターたちは、やくざに守られることで、ハレの存在、スターとして輝くことができたともいえます。しかし、そういう時代を経てもなお、自身のストイックな生き方を貫き、スター性を保った高倉健のような生き方もあります。なべおさみの暴露本は、あくまで昭和という時代が生んだスターたちの豪快伝説の範疇で読むべきで、なべおさみの誤った懐古主義は否定すべきでしょう。

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