永倉新八の新選組剣士最強伝説!愛刀、流派の特徴は?

永倉新八の新選組剣士最強伝説!愛刀、流派の特徴は?出典:http://yubarimelon.blog.so-net.ne.jp/

永倉新八の新選組剣士最強伝説!愛刀、流派の特徴は?

永倉新八は新選組で最強の剣士だったのか?その伝説に迫る

永倉新八といえば、時代劇、とりわけ新選組関係の作品が好きな人ならすぐにピンとくる名前でしょう。永倉新八は、1839年(天保10年)、松前藩という、北海道南部を領地とした潘の江戸勤め役人長倉家の次男として生を受けました。7歳の頃から剣術を学び、18歳で目録を得て以降、役所勤めよりは、剣術を極めたいとの思いから、松前藩を脱藩。姓の一文字「長」を「永」に変えて、江戸を手始めに、剣術修行の旅に出ます。

しばらくして江戸に一旦帰還した永倉新八。剣術師範の仕事をしながら後の新選組のリーダーとなる近藤勇と出会ったことで、やがて京都に上洛して、新選組隊士から二番組組長および撃剣(剣術)師範となりました。永倉新八は、数々の襲撃事件や鳥羽伏見の戦いなどをへて、生き残り、最後には松前藩に復職して北海道に渡り、監獄看守の剣術師範を務めます。永倉新八の剣術の腕前は、新選組でも一、二を争うほどで、元隊士の阿部十郎曰く「一に永倉、二に沖田、三に斎藤」と評されていたとのこと。池田屋事件では、自分の刀を折り、防具も綻びるほどに満身創痍となりながらも、永倉新八は4名を討ち取る功績を上げました。

永倉新八の使った愛刀の名前が知りたい!どんな流派に属していたの?

永倉新八にも、他の新選組や維新志士と同様に、愛用した刀がありました。永倉新八の愛刀は、その名も「播州手柄山氏繁」。刃長約70センチ、江戸後期の享和三年(1801年頃)に造られた名刀です。池田屋事件の際には、帽子という切っ先の波紋部分が折れてしまうほどの激戦を潜り抜けました。また、永倉新八の剣術の流派は、神道無念流で免許皆伝。神道無念流は「力の剣法」と言われるほど、力強い打突や、上段からの一本を尊ぶ流派でした。

永倉新八の得意技は「龍飛剣」といい、下段の構えから敵の剣を擦りあげ、返して切り落とす技だったそうです。力の剣術と、向こう見ずな永倉新八の性分は、ずいぶん相性が良かったようで、この組み合わせの妙が、剣術では新選組最強とまで評された永倉新八の伝説を作るのに一役買っているようです。

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永倉新八の子孫の現在は?著書「新選組顛末記」感想ネタバレ!

永倉新八には子孫がいるって本当なの?今は何をやっているの?

永倉新八は、新選組結成時の幹部の中で、各地を転戦しながら、唯一維新の混乱を生き延びました。明治になってからは、元の松前藩への帰参が叶い、藩医の杉村家の娘と結婚して婿養子になると、北海道に渡ります。この時から、「杉村」が永倉新八の新しい苗字となり、名前も杉村義衛と変えた永倉新八。樺戸刑務所で剣術を教えたり、小樽で過ごしたり、東北帝国大学農科大学(後の北海道大学)剣道部を指導したりしました。

現在も、永倉新八の子孫、すなわち杉村家の人々の一部は札幌に生活しており、そのひ孫の1人である杉村悦郎が、企画制作会社勤務時代に「新選組 永倉新八外伝」という書籍を残した他、もう1人の子孫で、北海道のTV局ディレクターであった杉村和紀と共に、永倉新八のドキュメンタリー番組も、平成16年に作成しました。

こちらも本になって販売されています。また、新選組として京都に滞在していた頃に、芸妓の小常との間に生まれた女子が、役者尾上小亀となり、同じく永倉新八の子孫の血筋となっているようですが、こちらの後日談は杳として知れません。

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永倉新八と「新選組顛末記」とは?

永倉新八は、明治以降自分の人生を顧みて、幾つかの書物を残しました。その理由には、明治以降の薩長主導の世の中で、新選組の地位が、血に飢えた人斬り集団という汚名を受けていたということが何よりも挙げられます。大正2年3月17日付の小樽新聞において、同社記者の吉島力の筆記に力を借り、実名を明かす危険を冒しながらも、永倉新八は、「新選組顛末記」として、新選組の記憶を語り始めます。

時に永倉新八75歳。それまで永倉新八は、近藤勇の遺骨を拾うために奔走し、東京滝野川の寿徳寺に、土方歳三の分も合わせた供養の墓を建て、記憶する限りの隊士の名を「同志連名記」なる書に認めたりしてきましたが、それらの集大成としての口述筆記形式の歴史として、「新選組顛末記」に新選組の顛末を著したのです。

永倉新八の口述記録には、記憶違いなどもありうるという、「新選組顛末記」1998年版に寄せられた文芸評論家尾崎秀樹の言もありますが、当時の新選組の歴史を知るためには、非常に重要な一級の第一次史料であり、新撰組を調べようとする人ならば避けては通れない重要な書物となっています。

永倉新八は今後どのように語り継がれていくのか?

永倉新八を含む新選組は、現代になってからは、悲劇の青春を送った若者たち、という位置づけで、何度も映画やドラマ、あるいは漫画やゲームの題材になってきました。その多くで、隊士たちは、女性たちの目を引くイケメンキャラとして演じられ、また描かれてもいます。イケメンといえば、昨今のイケメン俳優がテレビデビューする上での登竜門として「平成仮面ライダー」シリーズが有名です。

その歴代ライダーのイケメン俳優たちが一堂に会して新選組を演じるという面白い企画が、NHKの歴史番組「歴史秘話ヒストリア」2016年6月10日放送分「新選組 ボクらの友情と青春」で実施されました。この番組の元ネタになったのが、永倉新八が明治8年頃に書き記した3冊の回顧録「浪士文久報国記事」で、番組の作りも、永倉新八を主人公にフューチャーしたものになっています。かつてお茶の間のお母さんたちの熱い視線を集めた平成ライダーイケメン俳優たちが揃って演じる新選組は、まさしくアイドルに匹敵するほどの眩さ。

新選組が受け持つ「悲劇のヒーロー」像を、否が応にも増していること間違いなしです。永倉新八を演じた仮面ライダーオーズ役の渡部秀は、「新選組という男なら誰もが憧れる集団を演じることができて光栄」と語りました。この点で、永倉新八が願った「新選組の汚名を返上する」こと、すなわちヒーローとして描かれ続ける新撰組像を立ち上げることは、ある意味で成功しているといえるでしょう。

永倉新八は「歴史」という見えない強敵に対して、剣を筆に持ち替え、目に見える「記録」を残して戦い、勝利を収めたのであり、その点でもまさしく「最強の剣士」なのです。

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