中村紀洋のメジャー挑戦は黒歴史!?現在は高校野球の指導者?

2019年3月4日 更新

中村紀洋のメジャー挑戦を振り返る!年俸・成績の浮き沈みをおさらい

中村紀洋のメジャー挑戦は黒歴史?メッツへの移籍破棄が災いした?

プロ野球界で豪快なフルスイングが似合う男といえば、誰が挙がるでしょうか?「ミスタージャイアンツ」長嶋茂雄、いや「鉄人」衣笠祥雄、はたまた……。ここで登場するのが中村紀洋(なかむらのりひろ)です。今はなき近鉄バファローズ「いてまえ打線」で4番を打ち、ホームランを打った際のバット投げもファンの記憶に鮮明に残っています。しかし、日米6球団を渡り歩いた野球人生はまさに波乱の連続で、「ジャーニーマン(旅人)」の呼び名にふさわしいものでした。

とりわけメジャーリーグ挑戦は、彼の黒歴史とも言えるかもしれません。2004年の近鉄消滅を受け、ロサンゼルス・ドジャースへマイナー契約で移籍した中村紀洋。意気揚々と挑戦したメジャーリーグでしたが、日本球界で築き上げた実績が通用するほど甘くはありませんでした。

一時はメジャー昇格を果たしたものの、先発で使われたり、代打や守備固めで使われたりと、レギュラーの座はほど遠く、そのまま3Aに降格。3Aで22本塁打を放ちますが、打率2割4分9厘と低迷した上、守備でエラーをたびたび記録するなど苦汁をなめます。メジャー再昇格を果たせぬままシーズンが終了したため、わずか1年で日本球界復帰を選択することになりました。なぜ、彼はメジャーで成功できなかったのでしょうか?まず、日本球界との環境・慣習の違いに適応できなかったこともあるでしょう。

しかし、それに輪を掛けて深刻な原因がありました。実は、近鉄時代の2002年に、FA権を行使して、ニューヨーク・メッツへの移籍合意で入団寸前まで至っていた中村紀洋。しかし、メッツのホームページで移籍の件が報じられたことに「ルール違反だ」と態度を硬化させ、交渉を破棄して近鉄に残留しました。この行為が災いした彼は、メジャーリーグ側から「要注意人物」にされていたと言います。

その前科もあり、なかなか彼の獲得に名乗りを上げる球団は現れなかったようです。メジャーで放ったヒットはわずかに5本。持ち味だったホームランは1本も打てませんでした。「この5本のヒットはなかったことにしてほしい」という言葉からうかがえるように、メジャー挑戦は、野球人生における黒歴史となります。

1973年7月24日生まれの中村紀洋は、大阪府大阪市東淀川区(現在の淀川区)出身です。「ノリ」の愛称で親しまれ、大阪府立渋谷高等学校時代は甲子園初出場を果たし、高校通算35本塁打など活躍。1991年のドラフト会議で、近鉄バファローズの4位指名でプロ入りします。

1995年からレギュラーに定着すると、2000年には本塁打王と打点王タイトルを獲得。翌2001年は、3番を打つタフィー・ローズとの強打コンビで近鉄優勝に貢献するなど、リーグ屈指の強打者として君臨しました。その後、メジャーリーグを経て、日本球界では4球団でプレー。現在は指導者としての活動がメインで、現役選手としての活動は事実上なくなっています。

中村紀洋の野球人生は浮き沈みが極端だった!現役続行宣言も事実上の引退状態に!

中村紀洋の通算成績は、日本球界における通算成績を見ると、2267試合出場、7890打数2101安打404本塁打1348打点、打率2割6分6厘。メジャーリーグ通算成績は、17試合出場で、39打数5安打0本塁打3打点、打率1割2分8厘です。彼の成績を見ていると、浮き沈みの激しさに驚かされます。近鉄時代の2002年までは成績も順調に推移。リーグ優勝を果たした2001年は、140試合フル出場で、打率3割2分、46本塁打132打点に加えて、出塁率は4割3分4厘というキャリアハイの成績でした。

打点王と最高出塁率タイトルを獲得した中村紀洋は、優勝への貢献度も抜群で、プロ入り時に550万円だった年俸も、オフの契約更改で5億円に到達しています。しかし、翌2003年には、膝の半月版損傷により、ホームランと打点が激減するなど成績が低下傾向にありました。それまでは速球待ちで変化球を溜めて打てていたのに、膝の故障で溜めが失われたことが大きかったのでしょう。

ケガに苦しみながらも、近鉄在籍中は、年俸5億円を維持した中村紀洋。しかし、メジャー挑戦時は、マイナー契約だったこともあり、年俸50万ドル(日本円で約6000万円)でした。その後、オリックス・バファローズと年俸2億円で契約するも、球団との軋轢が続いて1年で退団。途方に暮れていた彼に手を差し伸べたのが、中日ドラゴンズです。当時監督だった落合博満の温情から育成枠で入団し、年俸600万円で支配下登録されるや、勝負強い打撃とチームプレーで日本一に貢献し、日本シリーズでもMVPに輝きました。

2年連続で存在感を見せた中村紀洋は、2008年シーズンオフにFA宣言して東北楽天ゴールデンイーグルスと年俸1億5000万円で契約します。しかし、在籍した2年間とも、精彩を欠いて不本意な成績に終わりました。2011年からは横浜ベイスターズ(2012年から横浜DeNA)と年俸500万円で契約し、日米通算2000本安打、日本球界での2000本安打を達成するなど活躍しましたが、首脳陣批判とみなされる発言で軋轢を生み、2014年限りで退団しています。DeNA退団後も現役続行を宣言したものの、オファーする球団はなく、事実上の「現役引退」状態です。現在も「現役」にこだわり続ける彼の流転の野球人生は、いつまで続くのでしょうか。

中村紀洋の現在は高校野球の指導者?娘とのエピソードにびっくり

中村紀洋は高校で非常勤コーチとして指導中!元メジャーリーガーの高校野球指導はまれなケース!

今もって「生涯現役」を公言している中村紀洋は、DeNA退団の翌2015年5月に、居住地の西宮市内で、小学校高学年および中学生の少年少女向けの野球教室「N’s Method(エヌズ・メソッド)」を開校しました。そして、2017年4月からは、静岡県の浜松開誠館高校で、硬式野球部の非常勤コーチを務めています。実は、中日ドラゴンズでプレーした佐野心監督とはプロ入り同期という間柄。その縁でコーチ就任がすんなりと実現したそうです。

元プロ野球選手が高校野球の指導を行うことは問題ないのでしょうか?この点については、2016年2月に学生野球資格の回復を済ませているのでクリア。当時すでに、中村紀洋が、学生野球指導者としての活動も視野に入れていたことが分かります。元メジャーリーガーのプロ野球選手が高校野球の指導者になることは、極めてまれなケースです。

月1~2回、守備・打撃を指導するほかにも、同校が併設する浜松開誠館中学校の軟式野球部でも指導している中村紀洋。就任会見では、「接する中で、子供たちが進化している姿を見て、すごいという第一印象からもっと教えたいと思うようになった」と語りました。少年たちの指導に汗を流す姿を見ると、彼の言う「生涯現役」とは、指導者として後進を育成することも含まれているように思われます。

中村紀洋が娘と一緒に入浴する仰天エピソード!一方で厳しい父親の顔も!

「パパのお嫁さんになる!」と可愛かった娘も、成長するにつれて父親と距離を置くようになるものです。その兆候の1つが、今まで一緒に入っていた風呂に1人で入るようになるといったものでしょう。しかし、中村紀洋は成人した娘と今も一緒に入浴しているというから仰天です。妻と3人の娘と5人家族の中村紀洋の家族生活は、2016年10月24日放送の日本テレビ系「有吉ゼミ」で明かされました。

幼いころから娘たちに厳格な教育を徹底してきた中村紀洋は、自身のスパルタぶりを自覚しているものの、親子の間は実に良好で、娘と一緒に入浴する日もあるとのこと。VTRでは、20歳になった長女が「パパ入ってる?もう私も入るよ」と、遠慮なく浴室に入っていくまでの会話が放送されました。「目のやりどころに困るよ」と言う中村紀洋ですが、日によっては、次女、三女と一緒に入浴することもあるそうです。

中村紀洋の野球指導に保護者も信頼!チームコールド負けにも意欲十分!

中村紀洋が非常勤コーチを務める浜松開誠館高校が、全国高校野球静岡大会1回戦で7回コールド勝ちという幸先の良い結果を残しました。6回に、打者一巡の猛攻で一挙6点を奪う集中打を目の当たりにして、「試合での対応力を見せてきている。逆方向へも力強い打球が飛ぶようになってきた」と手ごたえを感じたようです。現役時代に使用していた木製バットを持参し、選手たちを熱血指導している中村紀洋の指導者としての姿には、保護者も大きな信頼を寄せています。

保護者からは「子供たちの目がキラキラしていた」「壮行会や歓迎会などにも毎回参加し、保護者全員にあいさつして回って個別にアドバイスをくれます」「丁寧な人です」という声も。欲得抜きで、指導にいそしむ姿が好印象で迎えられていることは間違いないでしょう。現役時代には、周囲との軋轢も絶えない「トラブルメーカー」という印象も強かったですが、今やその面影はまったくありません。

指導時には理論を振りかざすのではなく、高校生でも分かりやすいような言葉を選び、動作を交えてシンプルに解説するため、指導を受ける子供たちも理解が早いようです。本来は、野球を教えることが大好きでたまらないのでしょう。次戦では、甲子園通算9度出場の強豪・掛川西と対戦し、0-7のスコアで7回コールド敗戦。好調だった打線が封じ込まれ、4回から6回にかけてはランナーすらさえ出せなかったことが敗因でした。

スタンドから観戦した中村紀洋は、「新チームでは守備にも力を入れたい」と、早くも今後のチーム指導に向けての意欲を示しています。かつてホームラン王を取った元プロ野球選手が、無名校を甲子園出場に導くため奮闘するとは、まるでドラマの題材になりそうなストーリー。日本プロ球界がこの男を、いつまでも野に放っておくのはもったいないような気がします。

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