中尾ミエ ミッツ・マングローブに子孫繁栄を強要?!

中尾ミエ ミッツ・マングローブに子孫繁栄を強要?!結婚、子供は?

中尾ミエが放った、独身子供なし女性の正論

中尾ミエは、1946年生まれの69歳。最近、「5時に夢中!」での中尾ミエの発言が注目を集めました。

LGBT(Lesbian、Gay、Bisexual、Transgender)が話題になった時、司会のふかわりょうが、「日本でもこれから問題になっていくでしょうね」と話をまとめようとしたところ、ミッツ・マングローブが、「これからのこと」と先送りしてしまう日本の風潮が、理解を遅らせる原因になっているのではないかと反論しました。

中尾ミエは、話題となっていた、アメリカの元オリンピック選手が男性として6人の子供を作っているにも関わらず、性同一障害をカミングアウトしたことに、子孫繁栄も果たしたのだから、個人の自由でいいのでは、と軽く同意を示しましたが、ミッツがさらに、「LGBTは、子孫繁栄は果たせない」と言ったところ、中尾ミエは、「果たしなさいよ!」と一喝。

ミッツは「そっか」と、すんなり折れたそうです。ある意味、中尾ミエの意見は、しごく真っ当な意見。また、中尾ミエは結婚もせず独身で、子供もいません。そんな女性としての思いがあったのかもしれません。いずれにせよ、こういう愚直な発言もまた、コメンテーターとして視聴者の共感を呼んでいるのかもしれません。

中尾ミエ テレビ創成期のアイドルは、今や辛口コメンテーター

中尾ミエといわれても、60歳以下の人や、関東圏以外の人たちにはあまりピンとこないかもしれません。1960年代初め、コニーフランシス「可愛いベイビー」の日本語版が大ヒット。同期にデビューした伊東ゆかり、園まりとともに、ザ・ピーナッツに続く、渡辺プロダクションが生んだ女性アイドルの走りとなった歌手です。

当時は、次々とヒットを出したものの、70年代から現在までは、ホリプロにおける和田アキ子以上に、渡辺プロダクションの重鎮として、女優やタレントとしてマルチな活動を続けています。また今では、中尾ミエは、東京メトロポリタンテレビジョンの辛口コメンテーターとしても、独自の存在感を放っています。

中尾ミエ 梓みちよとのいい関係! 「可愛いベイビー」、スパーク3人娘秘話

中尾ミエ 昔のアイドルは、下宿暮らしで大げんか

中尾ミエは、テレビの創成期であり黄金期を知る、今では数少ない一人です。デビューした当時は、まだ社長である渡辺晋の家に下宿していたそうです。中尾ミエは、「可愛いベイビー」で、その後に続く歌手の中で一番早く人気者となりました。そこから始まった寝る間もない超売れっ子生活で、家族のために家を建てるも、自分の部屋を作り忘れたとか。

第5回日本レコード大賞に輝く「こんにちは赤ちゃん」を歌った梓みちよとは、良きライバル関係にあったそうで、下宿で取っ組み合いのけんかをしたこともあったと語っています。

中尾ミエ 渡辺プロダクションの三人娘がスパークした1960年代

渡辺プロダクションでは、デビューが同時期の中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりを、スパーク三人娘として売り出しました。それは、一時代前の美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘を真似たもので、この1960年代の三人娘もまた、大人気となります。

さらに芸能界では、1970年代後半、山口百恵、桜田淳子、森昌子という三人娘が登場することになります。中尾ミエらの三人娘は、70年代以降、それぞれが低迷期を経て活動を続け、2004年以降は、三人娘としてのコンサートを定期的に開催しています。

また同時に、2004年に起こった新潟県中越地震の被災者支援のため、三人娘コンサート会場で募金活動を行い、以後も息の長い支援活動を続けています。

中尾ミエ 生前葬を行い財産も残さない、潔い終活

中尾ミエが最近また、終活発言で注目を集めています。自ら演出も務めるコメディーミュージカル「ザ・デイ・サービス・ショウ」の稽古に励んでいる中尾ミエ。フジテレビ「ノンストップ!」の取材で、自らの終活について、「最後まで舞台に立って、舞台でバタッと倒れるのが理想。歌っている最中でもいい。それに、まだボケないうちに生前葬をやりたい。いろんな人が集まって、いろんなこと言うのを見たい。死んでから来ても仕方ないからね。墓守する人がいないので、お墓はいらない。忘れられても仕方ない。財産なんか残しても仕方ない。絶対もめるんだから」と、語りました。

中尾ミエは、16歳でデビュー以来、今まで55年。浮き沈みの激しい芸能界を、たった一人で生き抜いてきました。中尾ミエは、今も精力的に生きています。芸能界だけでなく、様々なボランティア活動や福祉活動に関わり、水泳はマスターズの大会に出るほどの実力。

そして今も年下のボーイフレンドが数多くいるそうです。家族や子供に依存することなく、自分の人生を精一杯生きる中尾ミエの終活は、高齢化社会を生きる、前向きなモデルケースの1つといえるでしょう。

関連記事

ページ上部へ戻る