仲宗根美樹という昭和歌謡スターの息子にネット騒然!

仲宗根美樹のプロフィール!忘れ去られた昭和の歌謡スターは今!

仲宗根美樹は昭和の歌謡スター!「沖縄の歌姫」のプロフィールとは!

「川は流れる」の大ヒットで知られる昭和の歌謡スター仲宗根美樹の本名は、國場勝子(こくばかつこ)。第二次世界大戦中の1944年、東京に疎開してきた沖縄出身の両親との間に誕生しました。東洋音楽学校を卒業し、日本テレビのドラマ「東京物語」に出演。1961年5月に、ドラマの主題歌だった「愛に生きる」(キングレコード)で歌手デビューを果たします。

1961年9月発売の「川が流れる」では、第三回日本レコード大賞新人奨励賞を受賞。翌年の「第13回NHK紅白歌合戦」に初出場し、紅組のトップバッターを飾りました。その後も「島育ち」「奄美恋しや」「恋しくて」などのヒット曲に恵まれ、エキゾチックな美貌と、実力ある歌唱力で、「沖縄の歌姫」と称された仲宗根美樹。歌手生活10年目の1971年に、歯科医師と結婚して、芸能界を一旦は引退します。しかし、長男を出産した後に離婚。その後に再婚して、1977年に次男を、1978年に長女を出産し、3人の子供の母親となりました。

仲宗根美樹が昭和の歌謡スターだったことを忘れ去られた今の姿とは!

再婚して、二男一女の母となった仲宗根美樹でしたが、多額の借金を負ってしまいます。それは、夫が地元の政財界の人々の力を得て開設した大型ショッピングセンター「ビッグマート」が、オイルショックのあおりを受けて事業破綻したためでした。しかし、膨大な借金を返すために銀座に開店した「仲宗根美樹<審美容>サロン」が大成功。その後に店をフランチャイズ化しますが、無理な店舗拡大が仇となり、1981年には倒産に追い込まれます。

その結果、ショッピングセンターの負債と合わせた総額は、6億5千万円にまで膨れ上がりました。悩んだ末に、仲宗根美樹は、自己破産した夫との離婚を決意。3人の子供のシングルマザーとなった仲宗根美樹は、残された借金を返済するために歌手活動を再開します。

2014年には、銀座で「クラブ美樹」を開店しました。1960年代に「沖縄の歌姫」と称された華やかな時代は忘れ去られたかも知れませんが、「クラブ美樹」は、古き良き時代だった昭和の香り漂う高級クラブとして人気を呼んでいます。

仲宗根美樹と大空眞弓の関係!息子・國場雄大が常識はずれで自由奔放すぎる

仲宗根美樹と女優・大空眞弓とは親戚関係だった!

世間ではあまり知られていませんが、大空眞弓と仲宗根美樹とは、お互いの父親が兄弟で、従妹同士の親戚関係にあたります。大空眞弓は、石井ふく子がプロデュースして日本中の涙を誘った名作ドラマ「愛と死を見つめて」(1964)のヒロインを演じ、お茶の間の人気をさらった昭和の大御所女優です。

大空方の父親の出生時は國場姓でしたが、後に中田家に養子に入ったため、大空眞弓の本名は中田佐智子となりました。仲宗根美樹と、1940年生まれで4歳年上の大空眞弓とは年齢も近く、共に東洋音楽学校出身でもあります。同じ芸能界に身を置いたからかも知れませんが、奇遇なことに、離婚など、波乱万丈な芸能人生を送ってきた点でも共通しています。

仲宗根美樹の息子NEL(ネル)こと國場雄大の、あまりに常識はずれ自由奔放経歴にネットが騒然!?

3人の子供たちとの生活のために芸能界に復帰してがむしゃらに働いてきた仲宗根美樹でしたが、一番頼りにしていた長男の一成を肺がんで亡くしてしまいます。長女の亜紀は、結婚して子供もおり、落ち着いた生活を送っているようですが、悩みの種は、現在NEL(ネル)という名で、動画配信サイト「ニコニコ動画」で活動中の次男・雄大でしょう。彼のあまりに自由奔放でクズ過ぎる経歴が、ネットユーザーを騒然とさせています。

慶応の中高を一年だぶって大学進学するも、ほとんど通うことなく2年で中退。その後は学生ビジネスに参加するも、友人からの借金だけが残り、上場企業に就職できたかと思えば、役者を目指して退職。親のコネで俳優養成所に入るも真面目に通わず解雇。起死回生を狙って起業したと思えば、25歳で自己破産しました。

確かに偉大な母親を持った子供としての苦悩もあったでしょうが、ここまで来ると常識を超えているといいますか……。その後、7年の引きこもり生活を経た雄大は、「ニコニコ動画」を拠り所として、34歳の時に、オークションと身元整理の会社を再び起業します。しかし、事業は上手くいかずに、今でも1千万円以上の借金があるそうです。

仲宗根美樹が「徹子の部屋」で語った壮絶人生!それでも「沖縄の太陽のように生きたい」

仲宗根美樹が、2月15日放映のテレビ朝日系「徹子の部屋」に初出演しました。1971年のデビューから56年。意外にもトーク番組への出演は初めてという仲宗根美樹ですが、司会の黒柳徹子とは40年ぶりの再会とあって、「とてもうれしい!」と喜びの表情を隠しきれませんでした。

とはいっても、トークの内容は、17歳でデビューするもステージママだった母親にまるで商品のように扱われたこと。結婚して芸能界を引退するも、2度にわたる離婚と、3人の子供のシングルマザーとしての苦悩。結婚後に起こした事業の失敗で抱えてしまった6億円あまりの借金。そして、わずか35歳の若さで死別してしまった最愛の長男のことなど、まさに波乱万丈にとんだ自らの人生劇場についてでした。

現在は、銀座の高級クラブを営みながら、故郷である沖縄で歌手活動に励んでいると語る仲宗根美樹。しかし、「今がどんなに充実していても、長男のことが……」と言葉を詰まらせました。その姿に心を打たれたのでしょう。「皆さん、仲宗根美樹さんのお名前は知らないでしょうけれど、こんな人生を送った方です」と称賛とエールを送った司会の黒柳徹子。

かつて「沖縄の歌姫」と称えられた仲宗根美樹も、「どんなことがあっても、突っ張らずに自然体で、沖縄の太陽のように生きて行きたい」と、決意に満ちた表情で応えました。その言葉通り、仲宗根美樹の今後の人生が、太陽のように明るく輝かしいものであり続けることを願います。

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