梨田昌孝の現役時代成績や年俸推移は?名言がエグイ?

梨田昌孝の現役時代成績や年俸推移は?楽天監督としての能力・手腕の評価は?

梨田昌孝の現役時代は強肩捕手、5年連続で盗塁阻止率リーグトップ!

プロ野球・東北楽天の次期監督に就任した梨田昌孝(1983年までは梨田昌崇)。島根県の浜田高から1971年ドラフト2位指名で近鉄バファローズ(のち大阪近鉄)に入団しました。現役時代は、「コンニャク打法」の異名をとる勝負強い打撃と球界屈指の強肩を武器に、正捕手として活躍。通算17年間で残した成績は、1323試合出場で3444打数874安打の打率2割5分4厘、113本塁打439打点。

名将・西本幸雄監督の情熱あふれる指導で鍛え抜かれ、ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞を4度受賞するまでに成長しました。しかし、「アリ・ナシコンビ」と並び称された有田修三とのハイレベルな正捕手争いもあり、17年間の現役生活で、梨田昌孝が年間フル出場したシーズンは一度もなく、1980年と1985年に記録した118試合が最多です。捕手として強肩の目安となる盗塁阻止率では、1166試合出場で3割9分1厘を記録(内訳は盗塁企図数822のうち許した盗塁数501、刺した数321)した梨田昌孝。

1979年から1983年までは、5年連続で盗塁阻止率リーグトップを死守しています。特に、近鉄がパ・リーグ初制覇を果たした1979年の梨田昌孝の盗塁阻止率は、108試合で何と5割3分6厘!盗塁王として、他チームの脅威だった阪急・福本豊とのスリリングな攻防は、ファンを大いに沸かせました。1986年以降、肩や打撃面の衰えから控えに回る機会が多くなり、梨田昌孝は1988年限りで引退。

現役最後のヒットは、伝説の「10.19」……対ロッテ戦ダブルヘッダー第1試合9回表で、牛島和彦から放った決勝打で、近鉄のリーグ優勝への希望をつないだのです。気になる現役時代の梨田昌孝の年俸ですが、1983年以降の推定金額が発表されています。1983年の1900万円に始まり、現役最終1988年の梨田昌孝の年俸は2750万円。

そして、最高年俸は、1986年の3240万円です。余談ですが、1985年に大阪府藤井寺市で新居を建築しようとした際に、日本国内でも最古の部類に入る遺跡が発見されました。調査の結果、大阪に人が住んでいた最古の遺跡とされ「はさみ山遺跡梨田地点」として、梨田昌孝は考古学にも名を刻むこととなりました。

梨田昌孝、監督の指導能力には定評あるが、若手の起用とオーナーの現場介入が課題か?

梨田昌孝の楽天監督としての能力は、どう評価されるのでしょうか?その前に、梨田昌孝の監督としての経歴も振り返ってみましょう。梨田昌孝は、これまで通算9年の監督歴があり、2000年から2004年までの5年間は大阪近鉄、2008年から2011年までの4年間は北海道日本ハムで指揮を執っています。

実現しませんでしたが、阪神・真弓明信監督の後任候補に名前が挙がったこともありました。梨田昌孝の監督としての通算成績は、1263試合で645勝594敗、勝率5割2分1厘、リーグ優勝は2001年と2009年の2回、Aクラス入りは6回と優れたものです。特に2001年の大阪近鉄での優勝は、中村紀洋、タフィ・ローズら「いてまえ打線」で相手をねじ伏せ、劇的な印象を残しました。

梨田昌孝の選手をのびのびとプレーさせる操縦術と、師匠である西本幸雄のもとで培った根気強さをベースにした手腕には定評があるため、今回の起用にも期待できるでしょう。楽天は、梨田監督時代に在籍していた近鉄出身の選手や裏方スタッフら関係者が多く在籍していた事情もあって、なじみやすい環境ともいえます。

一方では、梨田昌孝の計算が立つ中堅・ベテランを重点的に起用する傾向や、走塁への意欲が薄い采配を「楽天の野球スタイルにはマッチしない」と指摘する声も。安定した戦力が見込めた過去の2チームとは異なり、戦力薄の楽天では失敗するというのです。そのため、梨田昌孝新体制の課題は、若い選手たちをどこまで辛抱強く起用できるかに加え、オーナーの現場介入への毅然とした対処といえそうです。

2年連続でBクラス入りと低迷した楽天の再建には時間が必要なことから、就任要請に動いた星野仙一副会長が長期契約を示唆。しかし、就任記者会見で「自分たちのいいものを出せれば、こんな大きな負け越しはありえない」と力強く語った梨田新監督。楽天建て直しにこれほど適任者はいないのではないでしょうか。

梨田昌孝の名言がエグイ?妻や家族は?

梨田昌孝の現役最終打席「10.19」で「打撃の極意」、近鉄最後の監督として「お前たちの背番号はすべて近鉄の永久欠番だ」

梨田昌孝の名言は、エグイものばかりです。現役時代に残した名言には「最後の最後に打撃の極意をつかんだ」。これは、伝説の「10.19」ダブルヘッダー第1試合の決勝打についてのものです。首位西武を猛追する近鉄が、この試合で勝たなければ、リーグ優勝の望みが絶たれるというギリギリの状況で、梨田昌孝はセンター前にポトリとヒット。ランナーの懸命な本塁生還を誘い、第2試合への望みをつなぎました。

この時の梨田昌孝の「コンニャク打法」はいつもよりも無駄な力が抜け、まさに「打撃の極意」を体現。これらの熱戦は、テレビ局の特別中継を呼び、関東30%、関西では46%の驚異的な視聴率をはじき出します。続く第2試合。延長10回時間切れ引き分けに終わり、呆然とする選手たちの姿がファンの心を打ちました。

そんな中で「打撃の極意」をつかんだ梨田昌孝には、驚くしかありません。そして、監督時代に残した名言は「みんな胸を張ってプレーしろ。お前たちが付けている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ」に尽きるでしょう。2004年シーズン限りで近鉄がオリックスと合併し、消滅することが決定。近鉄最後の監督として、梨田昌孝は、シーズン最終戦の前日にこの名言で選手たちを鼓舞。

当日の対戦相手は、何の因果でしょうか、合併するオリックス。結果は2-7のスコアで敗れ、有終の美が飾れなかった近鉄でしたが、試合後、梨田昌孝は、選手たちから胴上げされました。選手たちを「一日でも長くユニフォームを着られるよう頑張ってくれ」と激励するのが精いっぱいで、あとは号泣するばかりの梨田昌孝。

散り散りになる選手たちも鼻をすすり、むせび泣きました。近鉄という球団は消滅しましたが、梨田昌孝の名言は、選手たちのプレーとともにファンの記憶に深く刻まれ、今も輝き続けています。

梨田昌孝の妻や家族は一般人?近鉄消滅の中で、家族を思いやる

梨田昌孝の妻や家族ですが、ほとんど情報がないため一般人だとみられます。伝え聞くところでは、奥さんとの間に息子、娘をもうけているようです。すでに、息子は社会人として生活しており、おそらくは娘も成人しているのでしょう。

さて、大阪近鉄監督時代最終年、すなわちそのシーズン限りでオリックスとの合併により球団消滅した2004年ですが、「合併が承認され、自分は気が乗らなかった。選手だけでなく、家族や親族も苦しんだ」と、梨田昌孝は、当時の状況で家族に言及しており、家族も思いやることのできる人柄であることがわかります。

そんな中、新球団側からヘッドコーチ就任を打診され、監督就任に内定していた仰木彬からも依頼を受けますが「選手・スタッフやファンがばらばらになり、進路も決まらない中、自分一人の身の振り方を決めるのは望ましくない」と固辞。「近鉄の梨田」としてユニフォームを潔く脱ぐことを望み、球団解散前の10月15日付けで退団しています。

周囲に思いやりを示す一方で、筋を通すという一徹な面も垣間見える点が梨田昌孝の興味深いところです。しかし、梨田昌孝自身は「(仰木の)力にもなりたかった」と仰木が亡くなったあとに吐露しており、柔和な表情に隠されてはいますが、苦渋の選択だったのです。

梨田昌孝、期待のドラ1・オコエに「“ルイ”に出られるように」とダジャレの洗礼!

東北楽天の梨田昌孝新監督は、今月23日、前日開催のドラフト会議で1位指名した関東第一高・オコエ瑠偉外野手への指名あいさつを行いました。あいさつに訪れた梨田監督に、満面の笑みで握手を交わしたオコエ。梨田監督は開口一番で「甲子園でも見ましたし、日本代表でも見ました。能力は高い。すぐにでもプロで通用するものを持っている」とあいさつ。

オコエ自身も「技術よりプロでやる体力をつけることが一番の課題。1年目から(1軍の)一員として戦えるようにしたいです」と抱負を語り、場は和やかな雰囲気でした。ここで「瑠偉」と「塁」を引っ掛けて「“ルイ”に出られるように。出塁が多くなるように期待しています」と梨田監督得意のダジャレが炸裂。

しかし、「遠回しに打撃面を上げろという意味だと思うので、打撃面を磨きたい」と、大真面目なオコエはダジャレにはほとんど無反応でした。これには「本人は気付かなかったみたい。無反応だった」と、梨田昌孝も苦笑いを隠せない結果に。

しかし、今ドラフト屈指のオコエの身体能力の高さに、梨田昌孝はぞっこん。「来年のキャンプといわず、秋の(岡山)倉敷のキャンプから連れて行きたい。守備は1軍レベル以上。即戦力としていろんな期待をしている。レギュラー確約とはいかないけれど、相当楽しみ」と期待度も抜群です。沖縄・久米島で行われる1軍春季キャンプからのスタートも「たぶんそうなると思う」と「内定」。

今シーズンの楽天の外野は大ベテラン・松井稼頭央がライトを務めた以外、ほとんど固定できないありさまで、梨田監督もドラ1を起用する機会が出てくると思われます。ただ、オコエにしてみれば、「プロの洗礼」ならぬ「ダジャレの洗礼」にどう適応するかが課題でしょう。梨田監督のダジャレ歴は今に始まったものではなく、もともとジョークやダジャレ好きな人柄。

その例として「(多田野数人に対して)タダの投手じゃなかった。」、「リードが単調(丹頂)になってはダメ」、「円陣を組んでエンジンをかけたのがよかった」、「(斎藤佑樹に)ユーキを固めていきたいですね」などなそ。監督就任会見でも「コメントは“なしだ”」と、梨田昌孝のダジャレは健在でした。

さて、来シーズンの楽天は、チームの再建だけでなく、オーナーの現場介入など課題が山積。梨田昌孝新監督が星野仙一副会長との二人三脚でどのように新しいチームを作り上げていくか、要注目です。くれぐれも、ダジャレばかりが話題にならないようにお願いしたいものですね。

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