西川遥輝は日本ハム二軍落ちを経て真の天才へ!成績や年棒は?

西川遥輝は日本ハム二軍落ちを経て真の天才へ!成績や年棒は?出典:http://matome.naver.jp

西川遥輝は日本ハム二軍落ちを経て真の天才へ!成績や年棒は?

西川遥輝は日本ハムを優勝に導いた天才!成績や年俸は?

西川遥輝(にしかわはるき)は、プロ野球日本ハムファイターズの選手です。4年ぶりのリーグ優勝を果たした日本ハム。若い世代の選手の活躍が目立った日本ハムですが、その代表格といえるのが、24歳の西川遥輝です。

今季は138試合に出場し、なんと打率はリーグ2位を記録。推定年俸は6000万円ですが、この成績ならば、年棒アップは間違いないでしょう。持前の俊足で、2014年には盗塁王も獲得。そんな天才的な野球センスの持ち主・西川遥輝ですが、伸び悩み、2015年には二軍落ちを経験したことがありました。才能を持つだけに、方向性に悩んだ西川遥輝は、打率が落ち、守備でも凡ミスを連発。まさにスランプ状態でした。

西川遥輝は二軍落ちで真の天才への道をつかんだ

西川遥輝は、器用に打てる天才的な選手だっただけに、バッティングスタイルに迷いが生じていました。それは、2015年のシーズン半ばのことです。2年連続の盗塁王もかかっていた西山遥輝を一軍から落とすべきか……栗山英樹監督は、大いに悩んだといいます。しかしそれは西川遥輝も同じでした「落としてくださいって、自分から何度も言おうとしたんです」と、当時の気持ちを語っています。

二軍での西川遥輝は、それまでのこだわりもすべて捨て、自身のバッティングと一から向き合いました。その結果、スタイルを絞り、野手の間を狙って抜ける、投手が球数を費やさずにはいられない粘り強いバッターになることを決意。迎えた2016年、西川遥輝の努力は実り、真の天才として、日本ハムをリーグ優勝へと導くことになります。

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西川遥輝の智辯和歌山高校時代の活躍!私服ブランドがイケメン過ぎ!?

西川遥輝の智辯和歌山高校時代の活躍!高1で即レギュラー獲得!

西川遥輝の天才的な野球の才能は、高校野球時代にも発揮されていました。西川遥輝の出身高校は、甲子園常連校で、名門と名高い智辯和歌山高校。名門校だけに、粒ぞろいの精鋭が集まった野球部の中で、西川遥輝は、なんと入学したばかりの1年生の春からレギュラーをゲットし、1番ショートで出場した和歌山大会では、いきなり4ホーマーを記録。しかし、その後は、残念ながら怪我が続いたため、西川春樹が万全の態勢で試合に出場することは少なかったようです。それでも、怪我でプレイできない時を除き、レギュラーを務め、決定的な場面で、何度も安打を放っています。

西川遥輝の私服がおしゃれ!ハイブランドを着こなすイケメンぶり

西川遥輝はイケメンでおしゃれ、しかも私服センスも良く、女性ファンも多く獲得しています。オフで見せる西川遥輝の私服姿が、ハイブランドをおしゃれに着こなしていると話題になることも。眼鏡は、若い男性に特に人気のあるクロームハーツ。カシミアニットは、セレブ御用達のルシアン・ペラフィネ。ブーツは、ミュージシャン等からの支持も多いファッションブランド・ロアー(roar)のもの。たしかに、おしゃれにはかなりこだわりがあるようです。

西川遥輝が日本シリーズ第5戦で劇的サヨナラ満塁ホームランを放つ!自分は天才だと思っている!?

西川遥輝は、鋭く野手の間を抜くことのできる打球を放ち、誰もが目をみはる俊足で盗塁を重ね、その黄金の足と高い運動神経で広い守備範囲をこなします。日本シリーズ第5戦では、劇的なサヨナラ満塁ホームランを放つなど、その活躍はとどまることを知りません。2016年のシーズンで、人気、実力ともに日本ハムを代表する選手の1人となったといえます。

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西川遥輝は、プロ入りを意識する高校3年生当時、スカウト陣からの評価は、指名順位はよくて3、4位程度だったといいます。高校時代、名門・智辯和歌山高校の選手として、4度、甲子園の土を踏んでいる西川遥輝。残念ながら、故障から復帰したばかりの満身創痍状態で出場することが多く、あまり華々しい成績をあげるにはいたりませんでした。そのため、スカウト陣をどよめかせるような大物ルーキーといった評判がたつことはなかったといえます。

しかし、そんな西川遥輝に対して、日本ハムの首脳陣は、ドラフト2位指名という異例ともいえる高評価でラブコール。後に大きく開花することになる、天才的な野球センスを見抜いていたのでしょうか。ドラフトを前にインタビューを受けていた西川遥輝は、「どこでもいいです。でも北海道だけはダメ」とコメント。温暖な和歌山県で生まれ育った西川遥輝は寒さが苦手で、寒冷な北海道は厳しいと思っていたよう。……これは運命の皮肉としかいいようがありません。

そんな西川遥輝が、地元・和歌山で野球を始めたのは、小学1年生。中学生になると、地元のチーム・打田タイガースで野球を続け、中学2年生の時には、全国大会優勝も経験。高校は、地元の名門・智辯和歌山へ進み、和歌山で望みうるプロへの最高のコースともいえる道を順調に進みます。当時の西川遥輝の様子を振り返って、母の恵美子は、「あの子が真剣に野球と向き合ったのって、高校になってからやったと思いますよ。それも、ほんとに自分から練習するようになったのは、岡田くん(現在は中日でプレイ)が抜けた後の、2年生の秋の新チームから」と語っています。

ある意味、天性の才能で高校までやってきたともいえる西川遥輝。凡人では考えられないようなことですが、一番近くで息子を見てきた母親が語っているわけですから、真実なのでしょう。事実、西川遥輝は、幼い頃からすさまじい運動神経の持ち主で、3歳上の姉が逆上がりの練習をしているのを見て、2歳で逆上がりをやってのけました。一輪車でも竹馬でも、年長の子供たちが遊ぶのを見ているうちに、すぐにできてしまうような子だったとか。イメージさえつかめれば、その通りに体を動かすことができるという西川遥輝の天才的な運動神経。それこそが、西川遥輝をプロへと導いたといえます。

しかし、プロ入り後は、それが裏目に出てしまいます。どんなふうにでも打つことができるだけに、バッティングスタイルが定まらなくなってしまったのです。こうして2015年にスランプに陥り、二軍落ちを経験することになった西川遥輝。しかし、スタイルさえ定まれば、天才的なポテンシャルを持つ西川遥輝なだけに、見事に復活。2016年の活躍につながりました。西川遥輝のポテンシャルを見逃さなかった日本ハムの首脳陣の先見性もすごかったといえるでしょう。

それらに加えて、西川遥輝が、自分の能力を信じて、それを伸ばすために努力できる力があったからこそ、才能を腐らせることなく開花することができたという面も見逃せません。母の恵美子は、そんな息子を評して、「たぶん、自分のこと一番うまいと思ってるのと違うかな。自分よりうまいヤツなんて、どこにもいてへんって、あの子、きっと本気でそう考えてると思います。そういう子なんですわ」とコメント。

自分を天才だと信じているからこそ、高い矜持が生まれ、プロとして恥ずかしくないプレイをすることができる、西川遥輝はそんな選手なのではないでしょうか。母の見立てはあながち間違ってはいないのかもしれません。さらなる天才の飛躍を見守っていきたいものです。

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