野田聖子 次期総理大臣?!体外受精で出産したダウン症の息子は?「私は産みたい」への賛否

野田聖子  次期総理大臣?!体外受精で出産したダウン症の息子は?「私は産みたい」への賛否

野田聖子 体外受精で出産したダウン症の息子は?「私は産みたい」への賛否

野田聖子 体外受精で出産した息子さんはダウン症なの?

自民党の野田聖子議員が2011年、50歳で出産した息子の真輝くんは今年四歳になります。

真輝くんは生まれる前から臍帯ヘルニアや心臓疾患などの病気があり、誕生直後から新生児集中治療室に入ることを余儀なくされました。その後も食道閉鎖症など様々な疾患が見つかり、自力呼吸が出来ないために気管切開し、人工呼吸器を付けたことで声を失ってしまったそうです。

脳梗塞による右半身麻痺など、一時は生命も危ぶまれた真輝くん。巷では野田聖子の息子はダウン症ではないか、などの声もあるようですが、二年三カ月の入院を経て2013年からは家族と一緒に生活するまでに回復し、今では歩くこともできるようになりました。

元気に保育園に通っているそうですから、子供の生命力って本当に凄いですね!もっと体力が付いたら胃瘻の管を外し、人工呼吸器を取って失った声を取り戻す手術を受けるらしいです。ぜひとも成功して欲しいですね!

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野田聖子「私は産みたい」に対して賛否両論

野田聖子議員の出産に対して、ネット上で様々な意見が寄せられています。その発端は、野田聖子議員がフジテレビ系番組『金曜プレステージ・私は母になりました。野田聖子・我が子との愛と闘い871日』に自ら出演し、難病の息子と共に闘う姿が出産ドキュメントとしてテレビ放映されたことです。

小さな体で難病に立ち向かう真輝くんの姿には多くの感動とエールが寄せられましたが、野田聖子議員に対しては、「どうしてリスクのある出産を選択したのか」「産む前からこうなることは分かっていたはず。親のエゴにしか思えない」などの手厳しい意見のほうが残念ながら多かったようです。

それでも「批判する人は子供がどうしても欲しい人の痛みが分からないのではないか」「どう選択するのが正しいかは分からない。他人が怒ることではない」などと野田聖子議員を擁護する声も多数寄せられています。

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野田聖子 経歴・生い立ち・本名は?夫の現在は?

野田聖子の経歴 生い立ちと本名は? 議員としての政策活動とは

野田聖子議員は1960年9月3日生まれ。福岡県北九州市出身です。本名は島聖子ですが、名字が変わったのは結婚したからではありません。祖母である野田光が亡くなった1984年に、衆参議員であり、大蔵事務官・経済企画庁長官・建設大臣を歴任した祖父、野田卯一の養子となって野田姓を継いだからなのです。

野田聖子議員が養子になった背景には、実父である島稔氏が幼少時に野田卯一の岳父である島徳蔵氏の養子になっていたという、まるで歌舞伎の世襲のような複雑極まりない家庭事情が存在していました。野田聖子議員が出産に強くこだわった理由には、どうやらこの「野田姓」に関わる家庭事情が大きく影響しているのかも知れません。

野田聖子議員は、田園調布雙葉学園を中途退学後、ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクールを卒業。上智大学外国語学部比較文化学科を卒業し、帝国ホテルに入社します。帝国ホテルでは女性従業員初の国際セールス部員に大抜擢されました。

しかし、1987年には政界入り。岐阜県議会議員に自民党公認で史上最年少当選を果たします。2005年には郵政民営化法案に反対票を投じて自民党を離脱しますが、翌年に安倍総理から郵政造反組の復党案が出され、12月に復党。野田聖子本人が事実婚をしていたこともあり、選択的夫婦別姓制度導入や自らの不妊治療経験を生かした生殖医療に議員として力を注いでいます。

野田聖子の家族、夫の現在は?

野田聖子議員は2001年、鶴保庸介参院議員との事実婚を発表します。元夫・鶴保庸介議員は1967年生まれで東大法学部卒。昨年、自由民主党参議院政策審議会長に起用されました。二人は帝国ホテルで結婚式を上げますが、2007年に離別。別れの原因は不妊治療における意見の相違と言われています。

その後パートナーとなったのは、飲食店経営者の木村文信氏でした。野田聖子議員は「出産すること」に強くこだわり、結婚していない女性として10年に渡る不妊治療を行ったことでも話題を呼びました。

自らの卵子を凍結保存していたそうですが、2010年に米国で卵子提供を受け、体外受精で妊娠。翌年、野田聖子議員は長男の真輝くんを出産します。真輝くんを出産後、精子の提供者だった木村文信氏とは事実婚を解消して正式に入籍。野田聖子議員との婚姻後、木村文信氏は夫として、野田文信になりました。

野田聖子、体外受精を選択「私にはこれしかなかった」

「私にはこれしかなかった」野田聖子議員のこの言葉には、筆舌し難い、大きな重みがあります。意外にも、野田聖子議員は「出産」にそれほどの執着心はなかったようです。乳児院で親に育児放棄された赤ん坊を「養子にもらえませんか」と頼んでも、年齢制限や事実婚を理由に断られてしまう。子供と出会うために、ひたすら考え抜いて出した答えが「体外受精」だったそうです。

産まれた子供に様々な障害があったことから「親のエゴ」との辛辣な批判を受けましたが、「産んだことに後悔はない」ときっぱり言い切る野田聖子議員。そこには「自分は政治家だから」などという特殊な立場は一切ありません。あるのは子を愛する優しい母の顔だけです。

子供がいなければ「半人前」、産めば「仕事を辞めろ」悲しきかな、男女同権と言われる世の中のこれが女性の置かれている『現実』というものです。その現実を変えようと必死に働けば、今度は「子供を育てていない」と女性からもバッシングを受けてしまう。やり場のない憤り。それは政治家のバッジを付けていても全く同じなのです。

野田聖子議員は次回の総裁選挙にも意欲を燃やしています。彼女は女性の「多様な選択」を勝ち取るために政治家になったと言っても過言ではありません。

「世の女性には私のようになって欲しくない。子供を望む人には早く生んでほしい。産めるようにしてあげるべきだ」と語る野田聖子議員。女性が「これしかなかった」と言わざるを得ない世の中など、決してあってはなりません。

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