野宮真貴は紅い口紅が似合う渋谷系歌手!結婚した旦那や子供は?

野宮真貴は紅い口紅が似合う渋谷系歌手!若い頃と変わらない美の秘訣は?

野宮真貴は紅い口紅が似合う渋谷系歌手でファッションアイコン!

野宮真貴は1990年代を中心に、渋谷系を代表するバンドとして世界をまたにかけて活躍したピチカート・ファイヴのボーカリスト。その美貌とずば抜けたファッションセンスで、バンド解散後も、感度の高いお洒落女子から、尊敬と羨望の眼差しを注がれるファッションアイコン的存在です。

歌手としての音楽活動だけでなく、モデル、ナレーター、デザイナー、エッセイストとしても幅広く活躍している野宮真貴。50代となった現在も、スレンダーなスタイルはそのままに、紅い口紅が似合う、ファッショナブルでミステリアスな美女ぶりは健在です。

野宮真貴は20代から体重変わらず!若い頃と変わらない美の秘訣は?

変わらぬ美を保っている野宮真貴は、なんと20代の頃から体重が変わらないと言います。体型維持をはじめとする、野宮真貴の美の秘訣は、著書「赤い口紅があればいい」で明かされました。食生活で大事にしていることは、まず、腹六分目の目の食事を1日3回とることです。

その他には、5大栄養素(たんばく質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラル)をバランス良くとることと、よく噛むこと。特によく噛むことは大事で、食べすぎを防いで、顔の筋肉を鍛えてたるみを防ぐ上、美容にいい成分を含む唾液の分泌がよくなる効果があるそうです。実際に、野宮真貴の変わらない容姿を見ると納得させられます。

野宮真貴の出身やプロフィール!結婚した旦那や息子は?

野宮真貴の出身やプロフィール!デビュー当時は売れない歌手だった?

私生活をうかがわせないミステリアスな美女という雰囲気の漂う野宮真貴の出身地は北海道です。プロフィールをたどると、1960年3月12日に、北海道白糠郡音別町に生まれますが、父の仕事の都合で、札幌や東京、室蘭……と、各地を転々とします。

高校卒業後は、専門学校に通いながらバンド活動を開始。1981年に、野宮”ロマン”真貴名義で歌手デビューしますが、セールスは芳しくなく、CMソングを歌ったり、バックコーラスを務めたりする日々でした。そんな中、彼女のライブを観たピチカート・ファイヴの小西康陽から誘われて、1990年にボーカルとして加入し、大きく花開きました。

野宮真貴がピチカート・ファイヴ時代に結婚した旦那や息子は?

1990年、30歳のときに、ピチカート・ファイヴのボーカリストとなった野宮真貴。彼女の加入をきっかけにバンドの人気はあがりだし、日本だけでなく、アメリカをはじめとして海外にも進出して成功を収め、ワールドツアーも行うようになりました。そんな多忙な毎日だったにもかかわらず、1996年には結婚。

野宮真貴は、バンド活動をしながら出産もしています。結婚した旦那は、90年代に大ブームを巻き起こしたフジテレビの子供向けバラエティ番組「ウゴウゴルーガ」を担当したディレクターでした。現在、野宮真貴の息子はすでに大学生で、医学部に進学しているそうです。

野宮真貴が渋谷系の音楽をスタンダードに押し上げる?

野宮真貴は、30代を、ピチカート・ファイヴのボーカリストとして駆け抜けました。小山田圭吾と小沢健二のユニット、フリッパーズギターと並び、その音楽は渋谷系と称され、1990年代にブームを巻き起こしていきます。実は、野宮真貴が加入する前のピチカート・ファイヴでは、オリジナル・ラブの田島貴男がメインボーカルを務めていて、玄人筋からの評価が高いのとは裏腹に、商業的な成功には結びつかない状態が続いていました。

野宮真貴の加入以降は、ファッショナブルなビジュアルと音楽性を連動させ、それを前面に出すというスタイルがとられるようになります。その特徴は、彼らが色濃く影響を受けた1960年代のファッションや音楽を大胆に取り入れたスタイルにありました。

それは、バンドの顔ともいえる野宮真貴の類まれなファッションセンスがあってこそ成り立ったものだったとも言えるでしょう。その戦略が功を奏し、徐々にセールスを伸ばしたピチカート・ファイヴ。1993年にリリースした「スウィート・ソウル・レヴュー」が、カネボウ化粧品の春のキャンペーンソングに採用されたことで、世間にも広く認知されるようになっていきます。

曲の世界観にあわせたビジュアルでバンドの音楽を彩る野宮真貴は、渋谷系のファッションアイコンと呼ばれる存在となりました。その後も、ピチカート・ファイヴは、「東京は夜の7時」「悲しい歌」「メッセージソング」等といった代表曲を数々発表しますが、2001年に解散。野宮真貴自身は、ピチカート・ファイヴでやれることはやりきったと感じていたこともあり、解散直後は、歌手として何を歌っていくべきか戸惑うこともあったそうです。

それでも、さまざまなアーティストとコラボレーションをしたり、演劇的な要素をとりいれたリサイタルを開催したりと、試行錯誤を重ねていきます。そうする中で、かつて自分がブームの真っ只中にいた渋谷系音楽が、一時的な流行歌ではなく、スタンダードと呼んで差し支えない普遍性を持った楽曲であると再認識。

そこで、渋谷系と呼ばれる楽曲や、渋谷系アーティストに影響を与えた1960~1980年代のアーティストの楽曲を掘り起こし、自らカバーして発表する活動を開始ししました。この「渋谷系スタンダード化計画」は、かつての渋谷系ファンだけでなく、多くの音楽ファンからも好評をもって迎えられ、2017年5月には、「野宮真貴、ヴァカンス渋谷系を歌うWonderful Summer」が発売されています。

それに続き、2017年8月には、このアルバムから4曲をセレクトした7インチ・アナログ盤がリリースされることも決定しました。野宮真貴の歌声は、一時の流行として消え去ることなく、30年のキャリアを重ねてもなお、多くの音楽ファンを引き付けてやみません。

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