落合博満の名言・語録集!オレ流采配の真価を振り返る!

落合博満の名言・語録集!オレ流采配の真価を振り返る!

落合博満の語録に見える数々の名言!勝利に徹する姿勢から周囲への感謝まで!

落合博満は、2016年シリーズまで、プロ野球・中日ドラゴンズのゼネラルマネージャー(GM)として辣腕を振るっていました。現役時代は打撃三冠王を3回獲得するなど、球界を代表する強打者として君臨していた落合博満。「オレ流」で知られる独自の哲学は、指導者生活でもいかんなく発揮され、中日監督として指揮を執った8年間は、常にAクラスを維持。日本一にも輝いています。そんな落合博満が残した語録をひも解いてみれば、一つ一つが人々の心を揺さぶる名言であることが分かります。

まずは、「試合に勝つのが最大のファンサービス。その信念が揺らいだら、チームを指揮する資格はない」。落合博満にとって、勝利に徹することが最優先なのは一目瞭然です。斜に構えたような独特の態度が誤解されがちな落合博満ですが、「自分の力だけではない」と、周囲への感謝も忘れません。ドライなようでいて、実は情にも厚く、「良い時も、悪い時も同じ態度で接してくれた人と一生つきあっていきたい」と言っています。

選手たちに対しても、「選手は球団の財産だから、何としても守らなければならない。そのためなら、自分は嫌われても恨まれても構わない」という覚悟を示した落合博満。勝負では厳しくあたりながらも、その根底には、「40本塁打を打つ選手も貴重な戦力だが、送りバントを確実に決めてくれる選手も大切な戦力」という明確な考えがありました。

選手起用に際しては、「選手を育てるなら『負けてもいい。この試合はおまえに任せた』と言ってやるのが大切」とし、「主役は選手」というスタンスは終始変わりません。それどころか、「ベンチの采配ミスを、選手が救ってくれた」と感謝することすらありました。彼の野球に対するスタンスは、冷静なようで熱いメッセージも帯びており、思わず納得してしまいます。

落合博満は、1953年12月9日生まれの63歳。秋田県男鹿市出身です。生涯成績は、20年間で、2236試合に出場し、7627打数2371安打510本塁打1564打点、打率3割1分1厘。1978年に、ドラフト3位でロッテオリオンズ入りし、打撃三冠王を3回獲得するなど、球界を代表する強打者へと上り詰めます。1986年シーズンオフには、1対4の電撃トレードで中日ドラゴンズ入りしました。

これにより、初の年俸1億円プレーヤーに躍り出るとともに、球界トッププレーヤーとして君臨。1993年オフにはFA権行使で読売ジャイアンツ入りし、翌シーズンの日本一奪回に貢献。1996年オフに日本ハムファイターズ入りすると、1998年で現役引退しました。2003年オフに中日ドラゴンズ監督に就任し、2011年まで8年間指揮を執った結果、Aクラスを堅持。2007年には日本一も達成しています。2013年オフからはGM職に就任し、常にその動向が注目される存在でした。

落合博満「オレ流」采配の真価は選手への厚い信頼!その原点は稲尾和久の存在にあり?

落合博満の指揮官としてのスタイルを一言で表せば「泰然自若」。試合中は常にポーカーフェースで、ベンチ奥での腕組み姿も印象深いでしょう。多くを語ることはなく、不愛想で、人を喰った言い回しの「オレ流」は、指揮官となっても健在でした。それが災いしてか、采配ぶりがメディアから批判にさらされたことも少なくありません。ドライで冷酷な印象を持たれがちですが、その采配の真価はどこにあったのでしょう。

冷酷といわれる采配の代表例が、2007年の北海道日本ハムとの日本シリーズ第5戦でした。先発ピッチャーの山井大介が好投を続け、8回表まであわや完全試合のピッチングを続けていましたが、9回表にクローザーの岩瀬仁紀へとスイッチ。この采配には、ファンやマスコミを中心に議論沸騰となったものです。しかし、この試合は1-0というスコアで継投は妥当な場面だったこと、もし敗れた場合は相手に流れが傾く可能性があったことなどを考え合わせると、監督として当然の采配だったといえるでしょう。

実際、当時の他球団監督や監督経験者からも支持する声があがっています。たしかに、落合博満の采配や管理方法は、バッシングに遭うほど厳しく冷酷に思える面がありました。しかし、「主役は選手」などの名言でも分かる通り、一見冷たいようで、実は選手への信頼は厚く、選手たちもそれにしっかりと応えています。落合博満の「オレ流」采配の真価はこれに尽きるでしょう。

その原点をたどれば、ロッテ時代の監督だった稲尾和久の存在を抜きにして語れません。現役時代に「鉄腕投手」として伝説的な存在だった稲尾和久ですが、指導者としても卓越した手腕を発揮。ロッテ監督時代は、落合博満を4番打者から外さないほど信頼を寄せていました。落合博満も「打者には分からない投手心理を教えてもらった。これは私の財産」と、感謝の念を表しています。

落合博満の妻・落合信子の伝説!息子・落合福嗣の現在は?

落合博満の妻・落合信子の「悪妻」伝説!実は「夫を伸ばす良妻」だった!

落合博満を語る上で、忘れてはならないのが妻の落合信子です。海千山千の夫も頭が上がらない存在として、まさに伝説というべきでしょう。強烈なキャラクターは「悪妻」とも呼ばれましたが、実は、夫のポテンシャルを絶妙に引き出す役割を果たしていました。夫婦間のエピソードもまた、伝説の宝庫です。一軍にレギュラー定着する前の落合博満は、信子が経営するスナックバーへ通い詰めていました。

信子は、「アンタ才能あるくせに、年俸360万円(当時の最低年俸額)って 私より稼ぎが少ないよ!」とからかったとか。「プロ野球で一体何がしたいの?」と訊くと、「三冠王を獲りたい」と答えた落合博満。すると、「じゃあ、歯並び治しなさいよ」と、数百万円をポンと出して、歯を治療させたといいます。伝説級の気風の良さですね。1982年には、念願の三冠王に輝いた落合博満でしたが、ホームランは32本と物足らない数字でした。

そこでホームランを量産しようとする夫に、信子は、「ホームランを打ちまくるバッターって太っているよね? アンタも太りなさいよ!」と、ボリューム満点の食事攻勢をスタート。見事に体重が増えた結果、ホームラン数は飛躍的に伸びました。1度目の三冠王に輝いた際には、「数字のレベルが低い」という低評価に腐る夫に、「悔しかったらもう1回獲ってみな。そしたら王さんに並ぶから」と奮い立たせます。

2度目の三冠王を獲れば、今度は、「これで満足するようじゃダメ!王さんを超えなさいよ!」とさらなる叱咤激励。史上初3度目の三冠王獲得へと導いたことで、「悪妻」イメージの信子への評価は、「夫を伸ばす良妻」に転じます。夫がスランプに陥った時には、「ホームベース上を通過したボールだけ打てばいいじゃない」というシンプルなアドバイスでスランプ脱出へと導きました。

これだけでも十分伝説の域にありますが、落合博満がFA権を行使すべきか悩んでいた際には、「野球選手の地位を向上させてきたアンタが先陣を切らないでどうすんのよ!」と背中を押し、中日監督就任の要請を受けた際には、ためらう夫に、「いいからやってみなさいよ!」と監督承諾を指示。これらの女傑然とした言動だけでなく、選手やその家族、スタッフへのきめ細やかな気配りも持ち合わせており、落合信子に匹敵する伝説級の「良妻」は当分登場しないことでしょう。

落合博満の息子・落合福嗣の現在は声優!

落合博満と信子夫人との間に生まれたのが、息子の落合福嗣(おちあいふくし)です。両親に負けず劣らず、メディアへ登場する機会が目立っています。落合福嗣は、1987年8月20日生まれの29歳。父親である落合博満の中日ドラゴンズ移籍初年度に誕生し、国士舘中学時代には、軟式野球チームで大型内野手としてプレーしていました。しかし、高校在学中に野球を断念。

その後は、「三冠王を獲った大選手の息子」というメリットを生かして、各種メディアへも頻繁に出演してきました。落合福嗣は、少年時代からテレビなどへの出演も珍しくなかったことから、ヤンチャでやりたい放題の姿を記憶にとどめている方も多いでしょうが、2010年10月には結婚し、2児の父親となっています。

現在は、声優としても活動中で、声優の仕事が次々舞い込んでくる充実した生活を送っているようです。母親の落合信子はといえば、「周囲が認めるほどのレベルにならないと大きなチャンスは回って来ない」と、息子にも激辛エールを飛ばしています。

落合博満、1月末でGMを退任へ!「円満な契約満了」は表向きで実は退団要求の脅迫を受けていた!

落合博満が、任期満了を迎える1月末限りで中日ゼネラルマネージャー(GM)職から退任することが確実となりました。落合側、中日球団側双方ともに、契約更新を行わないことで一致しています。この件について、落合博満の個人事務所である「オチアイ企画」は、「落合は請け負った仕事を全うした。両者の合意により、円満に契約満了を迎えた」とコメンを発表。2013年シーズンオフに、中日史上初のGM職に就任し、チーム再建にその手腕が期待された落合博満でしたが、チームの低空飛行に歯止めはかかりませんでした。

昨シーズン中には、谷繫元信監督が成績不振の責任で事実上解任されたのみならず、19年ぶりに最下位に転落。球団初の4年連続Bクラスという不名誉な記録まで残しました。GM就任以降、選手の総年俸を大幅にカットし、チームの若返りを断行してきた落合博満。白井文吾オーナーも、その手腕を高く評価していたと伝えられています。しかし、ドラフト指名で即戦力と期待した選手の伸び悩みなどもみられ、批判の的となっているのも事実です。

なお、今回のGM退任は、表向きには「円満に満了」とされていますが、その裏では、退団を要求する脅迫があったとか。息子・落合福嗣のTwitterによれば、何者かによる脅迫を受け、自宅へも石を投げられる被害があり、警察も介入していたといいますから、事態はかなり深刻です。

この脅迫騒動もあってか、落合博満は、1月内の球団行事にも一切姿を見せず、契約満了の1月末を待たずしてGMから退いた格好になっています。中日球団からも退団とみられますが、そうなれば他球団からのオファーが殺到する可能性は高いでしょう。現役時代は、「プロとして、多く金を出すところを選ぶのは当然だ」と言っていた落合博満。「多く金を出すところ」で指導者となるのもそう遠くないかもしれません。

関連記事

ページ上部へ戻る