小田和正&タモリや柴咲コウ&黒木瞳など、共演NGが次々と和解の裏側とは?

2015年4月13日 更新

小田和正VSタモリ、柴咲コウVS黒木瞳、不仲説の真相

芸能界では、数々の共演NG話が、いつのまにか都市伝説となって語りつがれていきます。最近取り上げられたものに、タモリと小田和正の不仲説と和解の件、柴咲コウと黒木瞳の共演NGが解けた件などがありましたね。

小田和正とタモリの不仲説

まずはタモリと小田和正の不仲説ですが、これはかなり古い話で、1980年代のはじめデビューまもないタモリが、オールナイトニッポンで結構毒舌を吐いていた頃にさかのぼります。タモリは、自分が学生だった頃、恋愛を歌った軟弱なフォークソングの人気曲がたまらなくきらいだったと公言していました。なかでもオフコースのような歌と言ったらしい話に尾ひれがつき、タモリは小田和正がきらいということになったようです。アルバム宣伝のタイアップかで、小田和正が84年にテレフォンショッキングに出演したときに、この噂が確定してしまいます。特にお互い悪意はなくても、生放送でなんとなく気まずくなるのは当然でしょうが、今となっては何ともいえません。それが30年の時を経て、フジテレビのアナウンサー、ショーパンこと庄野陽子アナウンサーの結婚式で再会し、仲直りしたという話の方が眉唾ものですね。

小田和正VSタモリとは、ちょっと異なる柴咲コウと黒木瞳の共演NG

芝咲コウと黒木瞳。これこそ、先日終わった2015年春の注目ドラマ「○○妻」の話題作りのため使われたといっていいでしょう。火種としては、2003年の「GOOD LUCK」における共演時のトラブルと言われています。気ままな新進女優と元宝塚お姫様女優の対決。芸能マスコミ格好のネタでした。当時柴咲コウの人気はすでに高かったのですが、デビューからまだ日も浅い新進女優。このドラマの主役であり人気の頂点にあった木村拓哉との共演は、見かけとは異なり素朴で不器用な彼女にとって大きなプレッシャーでした。一方黒木瞳も、これまでは主役がほとんどであったポジションから初めて脇役に回って、ベテラン女優として力量を試されていた時期だったのです。そんなお互いの緊張感が、このようなトラブル伝説を生んだのだと考えられます。今回のドラマ「○○嫁」は、まさにその因縁の二人が、今度は中堅女優、ベテラン女優として、がっぷりと四つに組んだということですね。

 

小田和正VSフォークの神様 本当の不仲説

 

小田和正が、ほんとうに不仲だったのは…

ところで、タモリと不仲と言われた小田和正ですが、当時のことを考えると、小田和正はフォークソングとも一線を画していて、タモリ以上に、その音楽性においてフォークの神様であった吉田拓郎との対立があったといわれていました。実際このことは昨年NHKのBS特番で、本人どうしが語っていたので間違いありません。

小田和正、孤高の小田ワールド

いまでこそ小田和正は、ラブソングの教祖として68歳の今もJ-POPの重鎮として活躍していますが、1970年にデビューして以来、1970年代の終わり頃まであまり売れませんでした。それはなぜかというと、時代に早すぎたからなのです。70年当時はまだ学生運動が盛んな時代で、ラブソングよりはメッセージフォークが主流だったからです。それが1970年の終わりごろから一気にニューミュージックがブームとなりました。タモリの癇に障ったのは、このニューミュージックとやらの大流行なのです。小田和正にすれば、デビューからずっと独自のポピュラーソングを追及していたわけで、タモリの批判は、納得できなかったことでしょう。

小田和正の出身地、神奈川県横浜市ってどんなとこ?

小田和正が生まれた横浜で、大人の旅をしてみたい

横浜だけでなく神戸や各地の港町には独特の風情がありますが、横浜は格別。各世代によっても、横浜は様々な顔を見せます。また首都圏からはますます交通が便利になり、新たな注目スポットも増えています。あなたがもし大人の旅を目指すなら、ホテルはやはりニューグランドホテルでしょうか。夜はMOTION BLUE YOKOHAMAで、心地よいジャズでも聞きながらディナーでも。いやいや、どうせならロイヤルウィングで、ゴージャスな夜景クルーズでも楽しんでください。

小田和正もきっと通っていた、中華街は今

格好つけるより、やはりおいしいものを食べたいとおっしゃるなら、やはり中華街。最近では、料理だけでなく、様々なスタイルや特徴を出すために各店が競っています。お得なランチ、食べ放題やバイキング、点心やスイーツなど、とても多彩で充実していますよ。中華街に行くなら、とにかく出かける前にしっかり情報収集していくのがベストですね。

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