大平透(声優)が入院中に死去!「偲ぶ献花式」で最期のお別れ

大平透(声優)が入院中に死去!「偲ぶ献花式」で最期のお別れ

大平透(声優)が入院中に死去!「笑ゥせぇるすまん」喪黒福造の声、86歳で逝く

大平透(声優)が、2016年4月12日、肺炎のため86歳で亡くなりました。アニメ「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造の声をはじめ、洋画の日本語吹き替え、ナレーターとして活躍した大御所声優・大平透の声優デビューは1955年。アニメ声優の創世記から支えた第1人者アニメ屋として、近年は、大平プロダクション、大平透声優ゼミナールを主宰して、後進の育成に力を注いでいました。

大平透が体調を崩したとされるのは3年前のこと。リハビリ治療中のために入院中だった2015年12月14日、長年の功労を称える表彰をディズニーから受けた謝恩会が、人々が大平透の姿を見た最後となりました。この時、病院を抜け出して会に参加したという車いす姿の大平透は、見目衰えた感はありましたが、往年の低音美声は健在。「息が切れて申し訳ありません」と喋りにくそうにしながも、「入歯が落ちそう」など、ユーモアたっぷりに挨拶する姿には、生涯現役声優の胆力がうかがえたものです。

大平透(声優)「偲ぶ献花式」は63年の声優人生の引退式!生涯現役の功績を讃える

大平透(声優)を偲ぶ献花式が、2016年6月20日に、東京・丸の内のパレス東京で行われ、関係者ら約500人が参列しました。「偲ぶ献花式」の発起人のひとりでもある、「笑ゥせぇるすまん」の原作者・藤子不二雄(A)をはじめ、歌手で俳優のささきいさおら、生前の大平透と親交のあった参列者たちは、まだその死を信じられない様子でした。

大平透といえば、身長180cmの大柄な体格と、迫力ある声、エネルギッシュな仕事への姿勢。藤子不二雄(A)が、「大平さんのことだからすぐに治ると思っていた」と語るほど、大平透は、最期まで、業界にその存在感を発揮し続けました。大平透最期の作品となったのは、語り部を担当した2015年7月のドラマCD「紫電改のタカ」でした。

しかし、大平透の魂はもちろんのこと、周囲の心の中からも、声優・大平透の存在が消えることはありません。「偲ぶ献花式」が、死を悼む「追悼式」ではなく、63年間の現役生活を讃える「引退式」と銘打たれたことに、あらためてその偉大さを感じさせられます。

大平透(声優)テレビアニメ代表作品!ナレーション、吹替えと残した記憶

大平透(声優)アニメ「笑ゥせぇるすまん」は超ハマリ役!次々と個性的なキャラを世に送り出す

大平透(声優)のテレビアニメ代表作品といえば、不気味な「ホーッホッホッ」でおなじみのシュールなアニメ「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造。同作品のオーディションでは、すでに声優として通っていた名を伏せての参加でしたが、満場一致で大平透の起用が決定しています。

こうしてアニメ原作者の藤子不二雄(A)が、「あの声が喪黒人気を盛り立てた」と唸るほどの稀代のハマリ役として、後世に名を残すことになりました。また、「ハクション大魔王」のハクション大魔王、「科学忍者戦隊ガッチャマン」の南部博士、「おそ松くん」のデカパンなども大平透の代表作。喪黒福造の低音ボイスが最も地声に近いという大平透は、アニメ作品によって、キーを変えて演じたといいます。そして変化自在の声色だけではなく、大平透独特の抑揚もまた、個性的なキャラクターを強く印象付ける味わい深さとなっています。

大平透(声優)ナレーションの巧さの原点!スーパーマンで史上初の日本語吹き替え声優に

大平透(声優)は、明治大学政治経済学部在学中の1952年から、父親の勧めで、ラジオ「ルーテルアワー」という宗教番組で、アナウンサーとして活動していました。近年にわたって多くのナレーションを担当してきた大平透の原点はここにあります。大平透の低音の魅力と、語りの巧さは、天性のものだったといえそうです。1955年にTBS劇団に入団した大平透の声優デビュー作となったのが、日本テレビ史上初の日本語吹き替えとなった米国アニメ「スーパーマン」。

当初、大平透が全ての役を担当する5分番組だったのが、翌年に30分番組に。大平透がスーパーマンを単独で担当するようになると、最高視聴率74%を記録する脅威の大ヒットとなります。一気にスター声優となった大平透は、アニメ作品だけではなく、「スターウォーズ」シリーズのダース・ベイダー、国内でも「マグマ大使」「宇宙刑事シャイダー」などの特撮作品にも吹替え出演。近年の米国アニメ「ザ・シンプソンズ」のホーマー役では、オリジナル以上にキャラの持つダメさ加減を好演して、多くの日本のファンを惹きつけました。

大平透(声優)「声優は忍者だ」日本アニメ界に宿る声優魂は潰えない

大平透(声優)の引退式と題された「偲ぶ献花会」では、大平透が、「ド~ン!」というセリフと共に人さし指を突き出す喪黒福造ポーズで不敵な笑みを浮かべる遺影が飾られました。これは、大平透が、「いい遺影がない」と、1年前にカメラマンに依頼したものだそうで、病に倒れても、最期まで声優であろうとする気概には、この上なく感服させられます。大平透が声優になったのは、まだ”声優”という名称さえなかった時代でした。

その頃のアニメの吹替えは、設備もつたなく、狭いブースのマイクを、20人くらいの役者で奪い合うようにして生放送で行われていたといいます。厳しい環境の中、叩き上げられてきた大平透は、「声優は忍者だ」との名言を残しました。新渡戸稲造の「武士道」の一説「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」を信条とし、己を捨てて、命を吹き込む忍者になることに成功の道があると信じて走って来た大平透。

遺言書の最後を、「私はスーパーマンではなく、ラッキーマンだった」と締めくくった謙虚さにも、アニメという娯楽とは対照的な武士道を感じさせられます。永井一郎、たてかべ和也、大塚周夫、白川澄子と、名声優が次々と逝く中、遂に大平透という巨星を失いました。しかし、大平透らが歩んできた途上に進化を続ける今日の日本アニメには、常に彼らの魂が宿っています。

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