岡田茉莉子の若い頃が美人すぎる!結婚した旦那や家族は?

岡田茉莉子の若い頃が美人すぎる!結婚した旦那や家族は?

岡田茉莉子は戦前の超二枚目俳優・岡田時彦の娘だった

岡田茉莉子は、1933年生まれで83歳。今では、温泉旅館の大女将というイメージがすっかり定着してしまった岡田茉莉子ですが、映画の全盛期である1950年代、1960年代を飾った美人女優として有名です。

父は戦前の二枚目俳優・岡田時彦で、母は宝塚歌劇団出身の田鶴園子ですが、父は、岡田茉莉子が一歳のときに亡くなったため、女手ひとつで育てられました。

岡田茉莉子の旦那は大島渚と並ぶ松竹ヌーベルバークの旗頭・吉田喜重

岡田茉莉子は、1951年、第3期のニューフェイスとして、東宝に入所します。蛙の子は蛙。岡田茉莉子の理知的で目力の強い美貌は、新人女優の中でも際立っていたようで、入所してわずか20日後、成瀬巳喜男監督の映画「舞姫」の準主役に抜擢されました。

宣材に岡田茉莉子のプロフィールを作成するときには、往年の二枚目俳優・岡田時彦の娘と分かって、大騒ぎとなったそうです。以後、岡田茉莉子は、「宮本武蔵」や「浮雲」、小津安二郎監督の「秋日和」などに次々と出演。東宝の看板女優となります。しかし、岡田茉莉子はこれに飽き足らず、一旦フリーとなりました。

1957年に、女性映画で定評のあった松竹に入ると、有馬稲子と共に、松竹の二枚看板を張る大女優となります。そんな岡田茉莉子が結婚したのは、1964年。お相手は、自身の代表作となった「秋津温泉」を監督した、松竹ヌーベルバークの旗頭・吉田喜重監督でした。以来今日まで、岡田茉莉子と旦那の吉田喜重は、仲睦まじく暮らしています。夫婦にとって唯一残念だったことは、家族として子供を授からなかったことでしょう。

岡田茉莉子と三國連太郎共演映画「さらばラバウル」も話題に!出演映画「秋津温泉」あらすじネタバレ

岡田茉莉子は従軍看護婦役。東宝の戦争映画「さらばラバウル」

岡田茉莉子は、東宝からデビューしました。しかし、映画の傾向としては、当時の東宝や東映は、どちらかといえば男性路線。女優は、お飾り的なイメージが強かったようです。たとえば、1954年に公開された「さらばラバウル」は、戦後、軍歌でよく知られた、ラバウル航空隊の活躍を描いた戦争映画で、主演の池辺良のほか、三國連太郎が航空隊のパイロット役で出演しています。

岡田茉莉子は、撃墜王である若林大尉(池辺良)が被弾し負傷して入院した病院の看護婦・小松すみ子役で、2人には淡い恋が芽生えますが、戦局が悪化。すみ子は、やがて日本へと帰る船に乗り、若林大尉は、敵の撃墜王と対決するといったストーリーなのですが、岡田茉莉子は、あくまで添え物でしかありませんでした。他の東宝作品の多くも、女優として満足いくものが少なかったようです。

岡田茉莉子の代表作は自らプロデュース&主演し、夫の吉田喜重が監督した映画「秋津温泉」

岡田茉莉子が、松竹へ移籍してからは、1962年、自らがプロデュースし、「岡田茉莉子・映画出演100本記念作品」と銘打って公開した主演映画「秋津温泉」が大ヒットします。映画「秋津温泉」は、当時の人気小説家藤原審爾の作品を映画化した作品。モデルになったのは、岡山県の奥津温泉です。映画「秋津温泉」で、このひなびた温泉自体が一大ブームとなりました。

あらすじは、戦時中の日本で、生きる気力を失った青年が、街を離れ、あるひなびた温泉で行き倒れます。温泉宿の娘が看病をしてくれているうちに、終戦を迎え、希望を見出す青年。やがて2人は恋に落ちますが、宿の女将に反対され、やむなく別れてしまいました。

以後、2人は、それぞれの人生を歩みながらも、17年の間に、5度の逢瀬を重ねます。しかし、結局2人が結ばれることはなく、最後の別れの後に女は自殺してしまうという、男女の不条理を描いた作品でした。岡田茉莉子は、この映画「秋津温泉」で、恋に生きる溌剌とした10代の少女から、生きることに絶望した女を見事に演じ切ったことで、本格女優の地位を築くことになります。

岡田茉莉子は代表作「秋津温泉」を自らプロデュースした松竹の看板女優

岡田茉莉子は、戦後の映画全盛期を飾る女優です。中でも、戦後の松竹は、女性を主人公にした映画で定評がありました。1950年代には、国内初のカラー長編映画「カルメン故郷に帰る」や「喜びも悲しみも幾歳月」の高峰秀子。小津安二郎監督の三部作「晩春」「麦秋」「東京物語」で伝説の女優となった原節子。そして「君の名は」の岸恵子などが活躍しています。

そして、1960年代に入ると、所内の若手監督による松竹ルーベルバークが台頭。大島渚監督の「青春残酷物語」では、桑野みゆきが注目されました。1957年、東宝から移籍した岡田茉莉子も、これらきら星の女優陣の中では、おちおちしていられません。

大島渚と同じく、松竹ヌーベルバークの1人といわれながら、会社から干されて助監督だった吉田喜重を自ら監督に指名し、「秋津温泉」の制作、主演を果たしたのですから、向こう意気の強さも並大抵ではありませんでした。女優らしい女優ほど、男のような性格であるというのは、本当のようです。

「秋津温泉」と同じ1962年、岡田茉莉子は、小津安二郎監督の遺作となる「秋刀魚の味」にも出演しています。以後、岡田茉莉子は、松竹の看板女優に。しかし、映画はやがて斜陽期を迎え、岡田茉莉子は、活躍の場をテレビや演劇に移しました。そして、その姿はいつしか貫禄を帯び、目の下の隈が少し怖い、ベテラン女優となったのです。

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