大谷翔平の日本ハム入団にまつわる迷スカウト!伝説の始まりは小学、中学時代から

大谷翔平の日本ハム入団にまつわる迷スカウト!伝説の始まりは小学、中学時代から

2022年4月14日 更新

大谷翔平の日本ハム入団にまつわる迷スカウト!伝説の始まりは小学、中学時代から

大谷翔平はメジャー志向だった!?日本ハム入団にまつわる迷スカウト!

大谷翔平は、プロ入り3年目にして日本シリーズへチームを導く立役者となった、プロ野球・日本ハムの選手です。その才能は、プロ野球入団前から誰が見ても明らかでしたが、当の大谷翔平は、高3当時、メジャーリーグへの挑戦を希望しており、国内志向はゼロ。それでも日本ハムは、大谷翔平を1位指名。

1カ月にわたる異例の粘り強い交渉で、大谷翔平をゲットします。他の球団は、大谷翔平のメジャー志向を受けて、泣く泣く指名を諦めていただけに、唯一指名をした日本ハムが大谷翔平をかっさらった形になり、一部からは、日本ハムに批判も殺到しました。そのため、この一連スカウト劇は、名スカウトならぬ迷スカウトと呼ばれています。

大谷翔平伝説は小学校や中学時代にも!子供のころからすごかった!

大谷翔平の才能は、スカウト劇が大きな話題になるほど、野球界の誰もが認めるすごいものです。そして、その才能で、小学生時代、中学生時代にも数々の伝説を残しています。大谷翔平が小学生時代に所属したのは、全国大会にも駒を進める強豪・水沢リトルリーグ。ピッチャーを務めていましたが、普通の小学生の球速の平均が90キロ程度のところ、大谷翔平は、小学5年生で110キロを記録。

中学生になると、一関リトルシニアに入団し、河川敷での練習中、大谷翔平の強烈な打球のせいで、ボールが川に入ってなくなることが続出。監督から「引っ張り禁止」の命を受け、中学生にして、逆方向へも強烈な打球を放つことができるようになったのだとか。大谷翔平恐るべし、投球もバッティングも、子供とは思えない伝説ばかりです。

大谷翔平の通算ホームラン本数が驚異的!メジャースカウトの評価は?

大谷翔平の通算ホームラン本数が驚異的!怪物ぶりは投球だけじゃない!

大谷翔平は、投手、打者の二刀流で、日本ハムのリーグ優勝に大きく貢献しました。投手として二桁の勝利をあげ、打者としてもプロ入り3年目で最高潮に達しています。パ・リーグで放ったシーズン中のホームランは、なんと22本。リーグ中で8位という好成績です。規定打席数には満たなかったものの、首位打者の獲得もささやかれるほどでした。

投手として大車輪の活躍を見せながら、打者としてもこれほどの好成績をあげられるのは、大谷翔平の才能のすごさゆえ。しかし、大谷翔平を二刀流で使いたいと考えた日本ハム首脳陣の判断が実を結んだともいえます。

大谷翔平のメジャースカウトによる投手としての評価は?二刀流は存続するのか?

大谷翔平は、リーグ優勝という大きな目標の1つを達成しました。もともとはメジャーリーグへ行くことを希望していいた選手なだけに、この優勝を節目にして、日本を離れるのではないかともささやかれています。では、大谷翔平に対するメジャーの評価は、現在、どうなっているのでしょうか。

アメリカのスポーツ雑誌では、すでに大谷翔平の特集が組まれ、「ショウヘイ・オオタニは野球界で最高の素材」と高評価。メジャーのスカウトマンも、「世界で最も才能のある投手の1人だ」とコメント。大谷翔平の今季の打者としての活躍により、メジャーでも、二刀流を続けさせたいと希望するチームもあるかもしれないとの話まで聞こえています。

大谷翔平の伝説はまだ続くか?両親もアスリートだった!

大谷翔平は、あふれんばかりの野球の才能と、身長193センチ、体重100キロと恵まれた体型もあわせ持つ選手です。それでも、大谷翔平は、弱冠22歳。才能の伸びしろは、まだまだあるようで、日本ハムのファンだけでなく、他チームのファンをも驚かせているようです。

2016年10月16日、日本シリーズへの出場を決めたクライマックスシリーズ第5戦では、打者として出場していた大谷翔平は、9回に投手としても登板しました。放った15球のうち、3球は165キロを記録する豪速球で、変化球のカーブでも151キロを出します。2人の打者を三振空振り、3人目をショートゴロと、見事にうちとりました。

日本シリーズで、大谷翔平擁する日本ハムと直接対決する広島ファンは、この活躍ぶりに戦々恐々。「カープファンとしても、大谷くんは規格外すぎて脅威です」「うわさの大谷選手がついに165キロ出したって聞いて、ラスボス感半端ない……強いではないか……」と、大谷翔平のすごさに驚きを隠せない様子が、ネット上でも見受けられました。ライバルをも驚かせる大谷翔平。このまたとない逸材は、どのような両親に育てられたのでしょうか。

大谷翔平の両親は、2人ともスポーツマンです。父・徹は、三菱重工横浜で活躍していた社会人野球選手で、母は、バトミントン選手として国体に出場したこともある実力の持ち主。両親ともアスリートだったわけですから、体格や運動神経はもちろん受け継いだでしょうし、スポーツに親しみやすい環境もばっちり整っていたといえます。

大谷翔平の父の徹は、忙しい仕事の合間を縫って、大谷翔平が所属していたリトルリーグのコーチや監督を引き受け、母も、パートで週4~5日も働く忙しい中で、大谷翔平の練習を陰で支え、グラウンドに足しげく通い、応援を続けていたといいます。

両親の手厚いサポートの中、あふれる才能を伸ばしていった大谷翔平ですが、壁にぶち当たることも時にはありました。大谷翔平は、少年時代から球速は早かったのですが、コントロールが悪く、四球を出してしまうこともしばしば。落ち込んで、涙をながす息子に対し、父は、「次の目標や、今後どうするべきかを考えるように」と課題を与えたといいます。

ただ励ますわけでもなく、「こうすればいい」と答えをすぐに与えるわけでもない、ある意味厳しい態度ともいえるでしょう。しかしそれが、課題に対して自ら考えて答えを出して進化するという態度を、大谷翔平が身に着けることにつながったといえます。プロとして生きていく上で、自らに必要なことを考え、誰か言われなくてもそれを実践する力というものは、必要不可欠な資質です。それを親から学べた大谷翔平は、とてもラッキーだったのかもしれません。

大谷翔平の強さは、こうして培われたメンタルの強さの影響も大きいのでしょう。才能や恵まれた体格だけでは、年俸が2億円を超えるような選手にはなれないということを証明しているかのようです。

プロ入りし、二刀流を実践するために設定された、監督への外出届け出制も、普通の若者ならば、すぐにいやになりそうなものです。しかし、大谷翔平は、「制限されてもされなくても変わらないと思う」とコメント。自分に必要なものを冷静に判断できる力は、二十歳そこそこの若者とは思えません。まだまだ伸びしろのある22歳ですから、これからの活躍ぶりにも期待が高まります。

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