おおたわ史絵の結婚した夫はイケメン歯医者!子供は何人?母親は孤独死!父親は?

おおたわ史絵の結婚した夫はイケメン歯医者!子供は何人?母親は孤独死!父親は?

おおたわ史絵の結婚した夫は歯医者、子供は?母親との複雑な関係と別れ

おおたわ史絵の結婚した夫、イケメン歯医者は女好き?!子供は?

女医・評論家としてテレビで活躍中のおおたわ史絵。結婚した夫、歯科医の大多和昌彦は、以前「行列のできる法律相談所」に出演したことがあり、「50代に見えないイケメン歯医者」と話題になりました。おおたわ史絵が研修医時代に出会ったという夫は、東京大塚で祖父の代から続いている開業歯科医院の3代目。

ちなみに出身大学は東京歯科大学です。コンビニエンスストアより歯科医院が多い時代ではありますが、地域密着型の地道な診療を行っているおおたわ史絵の夫の年収は1000万円以上とも言われているようですね。また、夫は、数々のトライアスロン大会に出場するほどのアスリート。

診療の合間に行うトレーニングによって、体脂肪10%以下を常にキープしているそうです。やはり体力がみなぎると女性に走ってしまうのでしょうか?「行列のできる法律相談所」では、おおたわ史絵が、夫の女好き&浮気疑惑を暴露していました。”妻の紹介でかかった病院の看護師全員の連絡先をその日のうちに聞く”なんて破天荒すぎます。それが理由ということもなさそうですが、おおたわ史絵夫妻には子供はいません。

おおたわ史絵が母親の虐待を告白!複雑な関係のまま別れることになり……

おおたわ史絵が「徹子の部屋」に出演した時に、”幼少期から母親の虐待を受けていた”という衝撃の告白をしました。幼い頃に患った虫垂炎の処置の遅れのために、慢性的な腹痛に悩まされ続けていた元看護師の母親。1人娘であるおおたわ史絵を出産後は、家にこもるようになり、おおたわ史絵への厳しい教育としつけに執着し続けました。

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また、痛みを訴える母親に、開業医だった父親が毎日のように鎮痛剤を注射していたことから、母親は薬物依存に陥っていき、遂には勝手に自分で打つように。幻聴、幻覚に襲われ、やがて人格を崩壊させていった母親は、おおたわ史絵を罵る口撃ばかりか、「布団たたきで叩く」「椅子から突き落とす」などの暴力を振るうようになったのです。

その関係は解消されることのないまま、母親は2年前に他界してしまいました。おおたわ史絵は壮絶な過去を回顧しながら、「過去を嘆くつもりも、誰かを恨むつもりもない」とし、同じ境遇にある人々に対して「いつかきっと笑える日が来る」とメッセージを送っています。

おおたわ史絵はうつ病だった!症状と治療方法は?

おおたわ史絵はうつ病だった!生真面目過ぎた研修医時代の重圧が引き金に……

医学部を卒業し、医師国家資格試験に合格したおおたわ史絵。東京下町にある古い総合病院の救命救急医療チームで2年間研修医として従事し、これから独り立ちという時にうつ病に罹ってしましました。朝から晩まで太陽を見る間もない24時間病院勤務、生活のオンとオフの区別もない激務であっても給料に反映されない状態が続く苛酷な研修医。

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心が折れてしまう研修生も多い中、おおたわ史絵は、患者ひとりひとりに100%立ち向かわなければ気が済まない性格で、激務は患者さんのためだと考えて全力を尽くし過ぎたのです。また、障害者医療に従事した父親に追いつかなければならないという重圧も感じていました。

今、振り返ると「若い小娘の研修医がそこまで背負いきれるわけないのに」と理解できるものですが、次第に自信をなくしていった当時のおおたわ史絵は「医師を辞めようか……」というほどに憔悴しきっており、医師デビュー目前にして、半年間休みを取ることになったのです。

おおたわ史絵のうつ病の症状!治療方法は自然に暮らすこと

おおたわ史絵は、病院で”うつ病”と診断されたわけではありませんが、「自分をダメ人間だと責めた。叱られるのが怖くて電話にも出られず、電話線を切った」などの引きこもり行動を半年続けざるを得ないほどに重度の抑うつ状態にあったといいます。なぜ病院へ行かないかというと、母親の薬物依存が胸にあったからでしょう。

おおたわ史絵は、病院にもいかず、薬物にも頼らず、自然に身を委ねてうつ病を完治させてしまったのです。具体的には「太陽の光に当たる」「動物と接する」「木や土に触れる」といったごくごく普通の行為。しかし、それらの治療方法は、すべてが、脳内にオキトシンやセロトニンなどの幸せホルモンを分泌させると科学的に証明されていることばかりでした。

また、研修医時代に出会った夫・大多和昌彦が、淡々と寄り添い続けてくれたことも、おおたわ史絵の治療のためには大きな存在だったようです。

おおたわ史絵の転機はうつ病!自分の声を聴くと幸せはやってくる!

医師であり、医療評論家であり、著書「女医の花道」がベストセラーにもなった作家でもあるおおたわ史絵ですが、大きな転機となったのは、やはり”うつ病”でした。その経験があったからこそ、同じ轍を踏まないために、自分らしいやり方を模索するようになったおおたわ史絵。

「週刊朝日」に自分が執筆した文章で持ち込み営業をかけて連載を取ったことが、今のメディアでの活躍の第一歩でした。それ以降、自分を窮屈にしていたおおたわ史絵の世界が広がっていったのは言うまでもありません。それまで誘いがあっても拒み続けていた「夏山診療ボランティア」も、高山という不自由な環境に一旦足を踏み入れてみれば、素晴らしい感動が待ち受けていました。

夜空の星、流れる雲、登山者の喜びに”シンプルな幸せ”を感じたおおたわ史絵は、このシンプルにこそ”生きる幸せ”が詰まっていると考えるようになっていったのです。大好きなモダンダンスにシンプルに集中すること、愛犬ロックとの生活をシンプルに楽しむこと。それらはもがいて見つけるものではなく、自分らしくあることで自然と分かってくるものなんだそうです。

これは、「元祖女医ドル」と呼ばれることに決して甘んじず、医師として、試行錯誤に情熱を傾けながらも、ストレスフリーでいるための秘訣ですね。「怒ってもいいことなんか起きないんだよ。だから僕は怒らない」という大らかなイケメン夫、彼の浮気に「だからといって別れようとは思わないけど、脇が甘い!」と言う大らかなおおたわ史絵。この夫婦のつかず離れず感にもストレスフリーの法則がありそうな気がします。

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