おおたわ史絵が結婚した夫はイケメン歯医者!子供は?母親は孤独死!父親は?

2020年11月9日 更新

おおたわ史絵の結婚した夫は歯医者、子供は?母親との複雑な関係と別れ


おおたわ史絵のプロフィール
◆職業:医師、医療評論家
◆生年月日:1964年10月15日
◆出身:東京都
◆所属事務所:株式会社オフィス・トゥー・ワン
◆代表作:女医の花道!(2005年)

おおたわ史絵の結婚した夫、イケメン歯医者は女好き?!子供は?

医師タレントとしてテレビでも活躍中のおおたわ史絵(おおたわふみえ)。結婚した夫は歯科医の大多和昌彦(おおたわまさひこ)です。2014年10月「行列のできる法律相談所」に夫婦揃って出演し、「50代に見えないイケメン歯医者」と話題になりました。おおたわ史絵が研修医時代に出会ったという夫は、東京大塚で祖父の代から続いている開業歯科医院の3代目で、出身大学は東京歯科大学です。

また、夫は、数々のトライアスロン大会に出場するほどのアスリート。診療の合間に行うトレーニングによって、体脂肪10%以下を常にキープしているそうです。体力がみなぎると女性に走ってしまうのでしょうか。「行列のできる法律相談所」では、おおたわ史絵が、夫の女好きと浮気疑惑を暴露していました。「妻の紹介でかかった病院の看護師全員の連絡先をその日のうちに聞く」なんて破天荒すぎます。それが理由ということもなさそうですが、おおたわ史絵夫妻には子供はいません。

おおたわ史絵が母親の虐待を告白!複雑な関係のままで迎えた別れ

2015年8月におおたわ史絵は「徹子の部屋」に出演して、”幼少期から母親の虐待を受けていた”という衝撃の告白をしました。幼い頃に患った虫垂炎の処置の遅れのために、慢性的な腹痛に悩まされ続けていた元看護師の母親。1人娘であるおおたわ史絵を出産後は、家にこもるようになり、おおたわ史絵への厳しい教育としつけに執着し続けました。

また、痛みを訴える母親に、開業医だった父親が毎日のように鎮痛剤を注射していたことから、母親は薬物依存に陥っていき、遂には勝手に自分で打つように。幻聴、幻覚に襲われ、やがて人格を崩壊させていった母親は、おおたわ史絵を罵る口撃ばかりか、「布団たたきで叩く」「椅子から突き落とす」などの暴力を振るうようになったのです。

その関係は解消されることのないまま、母親は他界してしまいました。孤独な死を迎えた母の第一発見者はおおたわ史絵でした。それでも壮絶な過去を回顧しながらおおたわ史絵は「過去を嘆くつもりも、誰かを恨むつもりもない」とし、同じ境遇にある人々に対して「いつかきっと笑える日が来る」とメッセージを送っています。

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おおたわ史絵は研修医時代にうつ状態になていた!改善への道のりは?

おおたわ史絵はうつ状態だった!生真面目過ぎた研修医時代の重圧が引き金に

医学部を卒業し、医師国家資格試験に合格したおおたわ史絵。東京下町にある古い総合病院の救命救急医療チームで2年間研修医として従事し、これから独り立ちという時にうつ状態に陥ってしまいました。朝から晩まで太陽を見る間もない24時間病院勤務、生活のオンとオフの区別もない激務であっても給料に反映されない状態が続く苛酷な研修医の日々では、心が折れてしまう研修生も多いといいます。

おおたわ史絵は、患者ひとりひとりに100%立ち向かわなければ気が済まない性格で「激務は患者さんのためだ」と考えて全力を尽くし過ぎたようです。また、障害者医療に従事した父親に追いつかなければならないという重圧も感じていました。

次第に自信をなくしていったおおたわ史絵は「医師を辞めようか」というほどに憔悴しきっており、医師デビュー目前にして、半年間休みを取ることになったのです。

おおたわ史絵のうつ症状が改善するまで!自分の声を聴くと幸せはやってくる!

おおたわ史絵は、病院で”うつ病”と診断されたわけではありませんが、医師としての診断知識をもったうえで自身の状態を振り返っています。

「自分をダメ人間だと責めた。叱られるのが怖くて電話にも出られず、電話線を切った」などの引きこもり行動を半年続け、死を考えるほどの重度の抑うつ状態にあったといいます。しかし、そんななかでも、「太陽の光に当たる」「動物と接する」「木や土に触れる」といった生活習慣は続けていたそう。また研修医時代に出会った夫・大多和昌彦が、淡々と寄り添い続けてくれたことも、大きかったようです。

その後、研修医時代と同じようなスタイルの働き方ではなく、表現する場をもとうと「週刊朝日」に自分が執筆した文章で持ち込み営業をかけて連載を取ったことが、今のメディアでの活躍の第一歩でした。それ以降、自分を窮屈にしていたおおたわ史絵の世界が広がっていったのは言うまでもありません。

それまで誘いがあっても拒み続けていた「夏山診療ボランティア」も、高山という不自由な環境に一旦足を踏み入れてみれば、素晴らしい感動が待ち受けていました。夜空の星、流れる雲、登山者の喜びにシンプルな幸せを感じたおおたわ史絵は、この「シンプル」にこそ”生きる幸せ”が詰まっていると考えるようになっていったのです。

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おおたわ史絵は母を更生できなかった無念を乗り越え矯正医療に従事!ドッグセラピーも

おおたわ史絵は矯正医療に従事!

医師であり、著書「女医の花道」がベストセラーにもなった作家でもあるおおたわ史絵。2018年6月からは、非常勤医師として矯正医療に従事しています。矯正医療とは、刑務所などの矯正施設の医務部において、受刑者の医療措置や健康管理を行うこと。おおたわ史絵は、「医師にもあまり知られていない仕事」と言われている矯正医療に携わろうと決めた理由を、「運命に導かれたから」であると語っています。

さまざまなトラブルが重なったこともあり、おおたわ史絵は2017年に、父親が遺した医療法人を閉めました。その後どうしようか考えていると、友人から「法務省が矯正医療の医師を探している」との情報が。犯罪と依存症はセットになっていると知っていたおおたわ史絵は、矯正医療に携わることを決断しました。

その背景には、薬物依存の母親を更生できなかった無念があります。矯正医療を通して依存症の人と向き合うことは、「医師でありながら救うことができなかった母への贖罪なのかもしれない」と語るおおたわ史絵。決してつらい過去から逃げずに前を向くおおたわ史絵の姿勢は、多くの人に影響を与えるでしょう。

おおたわ史絵は愛犬とドッグセラピー活動も

一時はうつ状態を経験したおおたわ史絵ですが、大好きなモダンダンスにシンプルに集中すること、愛犬との生活をシンプルに楽しむことなど、さまざまな気づきを得てつらい日々を乗り越えていきます。これらはもがいて見つけるものではなく、自分らしくあることで自然と分かってきたのだそう。

愛犬家でもあるおおたわ史絵は、過去には15歳8か月まで生きた愛犬・ロックを飼っていました。そして現在も、エンカとポップという2匹の犬と暮らしており、その様子はブログにもアップされています。動物とのふれあいが人に与える影響を知っているおおたわ史絵は、エンカとともにボランティア活動を行っており、今後は病院や養護施設での活動をさらに増やしていきたいと語っています。エンカのエンは「なにかの縁かな~」のエンなのだそう。おおたわ史絵とエンカの活動は、これからも多くの人々に笑顔をもたらすのではないでしょうか。

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