大月みやこの歌手人生!デビューから22年の苦節があった!

大月みやこの歌手人生!デビューから22年の苦節があった!

大月みやこはデビュー50周年を超えたベテラン演歌歌手

演歌の凋落傾向は、1980年代のアイドル全盛期に始まりますが、1990年前後、坂本冬美、香西かおり、伍代夏子、藤あや子などがデビューしたことで美人演歌歌手ブームが起きます。しかしそれは、あくまで演歌界の中だけのブーム。日本の音楽界はすでに、世代や嗜好によって極端な細分化が進んでいました。

そして2000年以後、演歌は、リスナーの高齢化に伴い、ジャンルとしての存在すら危ぶまれるようになっています。しかし、J-POPのミュージシャンやアーティストが現れてはすぐに消えていく中、演歌歌手はといえば、地道な歌手活動を続けているようです。マスメディアで見かけることはなくても、ショッピングモールや商店街、スーパー銭湯やカラオケ喫茶、老人ホームなど、歌える場所ならばどこでも歌うスタンスは昔から変わりません。

苦節何年という経歴からようやくヒット曲を生み、以後も長く歌手を続ける人も多いようです。女性ベテラン演歌歌手、大月みやこもまた、そんな演歌歌手のひとりといっていいでしょう。

大月みやこ、なんとデビュー22年目で紅白初出場!

大月みやこは、1964年にデビューしますが、長くヒット曲に恵まれず、1986年に、「女の港」でようやくNHK紅白歌合戦出場を果たします。デビューしてから、なんと22年目のことでした。逆に言えば、大月みやこは苦節22年。まさに、演歌歌手の王道的成功譚です。以後、紅白歌合戦には10回出場。1992年には「白い海峡」で念願の日本レコード大賞に輝き、今もベテラン演歌歌手として変わらず活躍しています。

大月みやこの本名や出身校!カラオケ人気曲ランキング!

大月みやこは大阪の八尾出身だから歌手を続けてこられた?!

大月みやこは、1946年生まれで、2017年で70歳。本名は脇田節子といいます。大月みやこという芸名は、当時、大阪の心斎橋にあった大きなレコード店「大月楽器店」にちなんで名づけられました。出身は、大阪の八尾市。進学校である八尾高校を卒業して歌手修行を続けた後、1964年にデビューしました。それは演歌というカテゴリーが一般に定着し始めた頃で、以後1980年代まで、演歌は全盛を極めます。

しかし、大月みやこは全くヒットに恵まれず、演歌が下火となってきた1986年にようやく紅白に出演することができました。それから、30年あまり。誰もが知っているような大ヒット曲は持っていない大月みやこが、ここまで長く歌手活動を続けてこられたのはなぜでしょうか。

1つ考えられるのは、大月みやこの出身地である大阪八尾、かつては河内と呼ばれた土地柄です。八尾は、同郷意識が強く、義理人情に厚い鉄火な人々の気風から、河内音頭などの歌舞音曲が古くから盛んな地域。大月みやこを始め、天童よしみや中村美津子などの演歌歌手を多く輩出し、我が街の歌姫として応援し続けてきました。地元の応援を背に曲を出し続ける歌姫たちは、その中からロングヒットを生み、結果的に安定した売り上げにつながっていったということなのでしょう。

大月みやこカラオケ人気ナンバーワンは「女の哀愁」

大月みやこ最大のヒット曲は、1992年の「白い海峡」です。オリコンでの最高位は30位と地味ながら、登場回数が40回を数えるというロングランを記録して、同年のレコード大賞に輝きました。また、「乱れ花」や「夜の駅」「恋ものがたり」などのロングヒット曲が多いのも、大月みやこの特徴です、カラオケにおいては、大月みやこの定番「女」シリーズの「女の哀愁」「女の港」が1位、2位を占め、「白い海峡」は3位となっています。

大月みやこの歌手生命を救った、船村徹作曲「女の港」で紅白初出場

ヒットメーカーとして昭和の演歌界を支えてきた作曲家の船村徹が、2017年2月16日に亡くなりました。84歳でした。演歌の作曲家としては、北島三郎が師匠と仰ぐ大作曲家であり、彼の曲によって、陽の目を見た演歌歌手は数知れません。大月みやこもまた、そんなひとりです。大月みやこが長い低迷期にあって、1983年に、起死回生をかけて出した楽曲が、作詩・星野哲郎、作曲・船村徹による「女の港」でした。

大月みやこは、3年をかけて人気に火がついたこの曲で、1986年、見事にNHK紅白歌合戦初出場を果たし、その後の活躍へとつなげます。大月みやこは、船村徹の通夜の会場で、「先生に『歌い続けていけ』と言われなければ、今の自分はなかった」と大粒の涙をこぼしながらインタビューに答えていました。

さらに、おりしもその日、大阪・新歌舞伎座で「美空ひばり劇場」に出演しており、船村徹の名曲「みだれ髪」を、心をこめて歌わせてもらったと語っています。演歌は、昔から日本にある音楽と思われがちですが、狭義に見れば、戦後の高度成長期とともに流行った、流行歌の1ジャンルにすぎません。

「前前前世」に、自分のメンタリティを重ねる今の若い人たちが、大月みやこの歌に共感できるとは思いませんが、例えば、back numberの「ハッピーエンド」などは、極めて演歌テイストの歌といえましょう。今の若者たちがあと何年かして、街の赤ちょうちんで飲むようにでもなれば、何気に聞こえる演歌に、心が沁みる時もきっと来るに違いありません。

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