小澤征爾N響事件の真相!再婚、息子、甥の現在は?

小澤征爾N響事件の真相!小澤征爾音楽塾とは?

小澤征爾N響事件の真相!小澤征爾は生意気でハメられた?

小澤征爾は、日本が誇るマエストロ。そんな小澤征爾が「もう日本で音楽をやめようと思った」という1962年のN響事件。当時、NHK交響楽団(N響)の客演指揮者を務めていた小澤征爾を、楽団側が一方的に解雇し、小澤征爾が契約不履行で訴えるという、おおよそ美しい音楽に似つかわしくない出来事は、政界をも巻き込む大騒動へと発展しました。

N響側の言い分は、小澤征爾が度重なる遅刻を謝罪しなかったことと、朝6時半まで飲み明かして臨んだマニラ公演で振り間違えたことで、同公演が酷評を受けたというもの。この時、小澤征爾は「38度の熱があった」と弁明していますが、それも「仮病である」とし、それを理由に楽員たちは小澤征爾指揮の演奏会をボイコットしたとも言われています。

ところが、これには、才能あふれる若き小澤征爾に楽員が嫉妬し、さらにアメリカ的にいちいち団員に指示するスタイルが反感を買って陥れられたという見解が。小澤征爾自身も、そう語っていました。最近になって、小澤征爾は自身の過去について「あの頃は生意気だった」と振り返っていましたから、真相は後者ということでしょうか。

小澤征爾音楽塾には若手音楽家への愛が詰まっている!

小澤征爾音楽塾とは、2000年に、小澤征爾が、オペラを通じて若手音楽家を育成することを目的に開始されたプロジェクトです。なぜオペラなのかというと、ここでは小澤征爾の恩師である偉大な指揮者カラヤンの言葉「交響曲とオペラは、音楽という車の両輪のようなもの」が踏襲されています。

前途ある若者たちにもオペラという音楽の片輪を経験する機会を、というわけです。毎年のオーディションで選ばれた若者には、指揮者小澤征爾と、小澤征爾率いるサイトウキネンオーケストラの楽員をはじめとする講師の下での指導、および実践の場が与えられます。

この小澤征爾音楽塾は、これまでに各地で13回の演奏会を開催しており、ヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇「こうもり」など9つのオペラ作品と1つの交響曲を取り上げてきました。小澤征爾音楽塾は、日本のクラシック音楽界を大きく成長させていくであろう若手音楽家への最高の贈り物なのです。

小澤征爾の元妻・江戸京子との離婚原因は?再婚、息子、甥の現在は?

小澤征爾の元妻・江戸京子との離婚原因はパワハラ?それとも浮気?

小澤征爾の元妻は三井不動産社長・江戸英雄の娘で、ピアニストの江戸京子です。小澤征爾と元妻・江戸京子は、桐朋女子高校の第1期生同士でした。当初、江戸英雄は「娘は気が強く個性が強烈」という理由で、小澤征爾との交際に反対していましたが、1962年に2人は結婚。

しかし4年後には離婚しています。婚姻中、疲れて帰った小澤征爾が「もう音はもう聴きたくない」と言って、ピアノの練習ができないことがあったという元妻・江戸京子。議論の末には、必ず小澤征爾が「俺が稼いでいるんだから、俺の意見を尊重する」とねじ伏せられてしまうために、自活しようと決意したことが離婚原因だとしています。

これを聞くと、若干パワハラっぽい気もしますよね。一方では、カラヤン指揮者コンクール優勝などを経て、この頃の小澤征爾はスターと化していたため、銀座バーの女性やモデル・入江美樹との噂もあり、それが離婚原因ではなかったかとも言われています。デビューまで江戸家に入りびたりで、江戸英雄から月20万円の援助を受けていたという小澤征爾。元妻・江戸京子との離婚劇に対して、世間から恩知らず呼ばわりされたことは言うまでもありません。

小澤征爾の再婚、息子・小澤征悦と甥・小沢健二の現在は?

小澤征爾は、離婚後の1968年、白系ロシア人貴族のクオーターでモデルの入江美樹と再婚しました。当時の世評は「美女と野獣婚」。ちょっとこれはひどいですね。小澤征爾と再婚相手の間には、娘と息子が生まれています。そのうち息子のほうはご存じの通り、ドラマや映画で大活躍のイケメン俳優・小澤征悦。近年、特に映画での活躍が非常に顕著ですよね。また、杏やMISIAとの2股疑惑や、滝川クリステルとの交際&破局が話題になったように、小澤征爾と同じく、大変モテることでも知られています。

気質が似ているせいか、父親の小澤征爾とは親友のような関係なんだとか。また、小澤征爾の甥は、東京大学卒のシンガーソングライター、”オザケン”こと小沢健二。「フリッパーズ・ギター」でデビューしたのがすでに25年前ですし、大ヒットしたスチャダラパーとの共演作「今夜はブギーバック」も22年前ですから、やや遠い記憶ではあります。しかし、近年でも小沢健二はコンサートツアーを行っていますし、昨年は「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングにも出演していたそうです。

小澤征爾80歳「ケネディセンター名誉賞」「グラミー賞候補」、その情熱に迫る!

小澤征爾は、今月6日、ワシントンの文化施設「ケネディセンター」が、優れた芸術家に贈る名誉賞の日本人初となる受賞を果たしました。ホワイトハウスに招かれ、オバマ米大統領から「クラシック音楽を通じて東西の橋渡しをすることに生涯を捧げてきた」と讃えられた小澤征爾。この翌日には、2013年のサイトウキネンフェスティバルでタクトを振った公演、ラヴェル作「こどもと魔法」を収録したアルバムが、グラミー賞最優秀オペラ録音部門にノミネートされたという報せが入ってきました。

高齢での食道がん療養を乗り越え、80歳を超えて、なお音楽への熱意を振るう小澤征爾が、「セカイノオザワ」と呼ばれることを否定する日本人は最早いないでしょう。まだN響客員指揮者になる前、名立たるコンクールに優勝した後に、師事していたバーンスタインと共に凱旋帰国した際の小澤征爾は、すでに国内ではスターでした。

しかし、その時代でも、小澤征爾は、自分が指揮する楽曲のスコアも買えないほどに非常に金銭的に困窮していたのです。それほどまでに音楽の道とは険しいもの。N響時代には、スター気取りで「江戸英雄のおかげで客演指揮者になったくせに生意気」と言われてきましたが、こういった険しく長い道のりを経て、深みを増した音楽家にしか与えられない「マエストロ」という称号を、小澤征爾は得たのです。小澤征爾は、少々性格に難があって、小うるさいかもしれません。しかし、その生意気さがなかったら、今日の小澤征爾はいなかったのかもしれません。

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