ペギー葉山の息子は自閉症なの?祖父や家系がスゴかった!

ペギー葉山の息子は自閉症なの?祖父や家系がスゴかった!出典:http://www.asahi.com

ペギー葉山の息子は自閉症なの?祖父や家系がスゴかった!

ペギー葉山や夫と息子を支えてきた歌の力

ペギー葉山は、1933年生まれの82歳。「ドレミの歌」や「学生時代」などの大ヒット曲で知られる歌手です。ペギー葉山は、1965年に俳優の根上淳と結婚し、1968年には長男が生まれています。

1998年に、根上淳が糖尿病の合併症による脳梗塞で倒れてから、2005年に亡くなるまで、ペギー葉山が懸命な介護生活を続けていたことでも有名で、根上淳とは、芸能界きってのおしどり夫婦として知られていました。また、ペギー葉山自身が、「たけしのみんなの家庭の医学」で明かしたこところによると、成人した息子は、重い自閉症を患っているとか。ペギー葉山の歩みは、自らが歌うことを励みに、夫と息子を支えてきた人生といえます。

ペギー葉山は戦後の日本歌謡の草分け的歌手

ペギー葉山の旧姓は、小鷹狩(こたかり)といいます。この父方の家系にあたる小鷹狩家は、広島藩主であった浅野家の家老職だったそうです。また、母方の祖父は白虎隊の生き残りという、由緒ある家に育ったペギー葉山は、青山学院に進学。歌が得意だったペギー葉山は、1952年、高等学校在学中に早くも歌手デビューします。

時は、戦争が終わって間もないころ。日本人は、音楽に飢えていました。従来の流行歌はもちろん、進駐軍が持ち込んだJAZZや、POPS、ミュージカル音楽、歌声喫茶のロシア民謡など、さまざまなジャンルの音楽が1960年代を彩り、やがて戦後日本の歌謡界が形成されていきます。

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そんな中、1958年に「南国土佐を後にして」を歌ったペギー葉山は、一躍ヒット歌手に。実は、この「南国土佐を後にして」には、戦後ならではのいわくがありました。中国に出兵した高知県の部隊が、望郷の思いを込め、戦地で作った歌だそうです。

1960年、ペギー葉山は、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の「ドレミの歌」を大ヒットさせ、1964年「学生時代」で、歌手としての地位を不動のものとします。ペギー葉山の歌の特徴は、どの曲も、つかの間の流行歌とは異なり、名曲として現在も歌い継がれていることでしょう。

ペギー葉山「学生時代」のモデルは?「ドレミの歌」「ケ・セラ・セラ」ヒット曲多数

ペギー葉山の「学生時代」は母校青山学院がモデル?!

ペギー葉山の大ヒットソング「学生時代」にも、有名なエピソードがあります。「学生時代」は、「平岡精二クインテット」というジャズバンドを率いていた平岡精二が作詞・作曲したオリジナル曲で、当初のタイトルは「大学時代」でした。しかし、ペギー葉山は、「みんなが大学に行く時代じゃないから」と、「学生時代」というタイトルに変更することを主張し、レコーディングの時も大喧嘩になったそうです。

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結局、この曲が大ヒットしたのは、「学生時代」というタイトルにしたことが功を奏したからでしょう。ちなみに、「蔦のからまるチャペルで、祈りを捧げた日」と、「学生時代」の歌詞に登場するチャペルは、実在します。それは、平岡精二やペギー葉山の母校である、青山学院青山キャンパスのベリーホールの中にある「チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂」だそうです。

ペギー葉山の洋楽や童謡などジャンルを超えた名曲の数々

ペギー葉山は、ミュージカルの名曲「サウンド・オブ・ミュージック」の「ドレミの歌」だけでなく、洋楽や童謡など、ジャンルを問わず、さまざまな名曲を歌っています。例えば、ヒッチコックの名画「知りすぎた男」の主題歌「ケ・セラ・セラ」や、歌声喫茶の名曲「かあさんの歌」や「島原の子守歌」。

南米のヒット曲「ラ・ノビア」や、日本語歌詞によるカーペンターズの「シング(Sing)」など、世界の名曲を、広く一般の人々に知らしめたことは、日本の音楽界における、ペギー葉山の偉大な功績といえるでしょう。

ペギー葉山が歌い続ける戦後日本の名曲

ペギー葉山は、この10月7日に、東京渋谷のBunkamuraオーチャードホールで開催された、「戦後、歌謡曲はジャズだった」と題して、戦前戦後の歌謡曲やJAZZを歌うコンサートに出演しました。ペギー葉山のほかにも、雪村いづみ、渡辺真知子、秋元順子、サーカスなど、ベテラン歌手が出演し、バックやアレンジは、日本音楽界の重鎮、服部克久、前田憲夫が務めています。

「東京ブギウギ」「別れのブルース」や「テネシーワルツ」など、戦後の名曲20曲近くが、華麗に歌い綴られ、中高年の歌謡ファンにとっては、たまらないコンサートとなったようです。音楽界の最近の傾向としては、世代や嗜好ごとに徹底した細分化が進み、かつてのように、その時代を表す、誰もが知っているような流行歌は生まれなくなりました。一方で、日本の老齢人口はますます増加している昨今、戦後ゼロ年である1945年生まれの人々が古希を迎え、彼らが若い頃に親しんだ音楽の需要が高まっています。

その結果、盛んに開かれるようになっているのが、ペギー葉山が出演したようなコンサートをはじめ、1960年代の洋楽ヒットやフォークソング、1970年代の演歌、1980年代アイドルのコンサートなどです。そこで求められているのは、トップ歌手によるヒット曲や本物の歌。この分だと、ペギー葉山が活躍する場所は、さらに広がりをみせそうです。ペギー葉山は、戦後、日本の流行歌と欧米のJAZZやPOPSを融合させた偉大な歌手として、日本の歌謡史にその名を残すことでしょう。

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