ロミ山田の息子を病気で亡くした壮絶体験!現在の活動は?

ロミ山田の息子を病気で亡くした壮絶体験!

ロミ山田は、戦後がやっと終わった1956年にアメリカ留学したエリート子女

ロミ山田は、1933年生まれで、今ではもう82歳になります。1960年代初め、日本人女性として初めてブロードウェイで成功を収め、帰国後は、歌手、俳優として一世を風靡したのがロミ山田。一族は、ジャーナリストや学者が多いエリート家系。親戚には、「古寺巡礼」で有名な哲学者、和辻哲郎もいます。

国立音楽学校の声楽科に進んだロミ山田は、1956年、まだ海外留学が少ない時代に、アメリカへ音楽留学します。そして、マンハッタンの有名レストラン「フォーシーズンズ」で食事をしていた時、ブロードウェイドラマ「スージー・ウォンの世界」の配役を探していたプロデューサーの目にとまり、見事オーディションに合格して主役に大抜擢。舞台は大成功し、ロミ山田は、ブロードウェイスターの仲間入りを果たしました。

ロミ山田の後半生は、一人息子との壮絶な闘病生活だった

ロミ山田は、ブロードウェイでの大成功を引っさげて1963年に凱旋帰国。以後は1970代にかけて、歌手や女優として活躍します。1965年には、放送作家と結婚しましたが、夫婦は1985年に離婚。このとき授かった一人息子が、2003年に「聴神経腫瘍」という難病にかかってしまいました。

5回も手術を受けながら、合併症を起こして気管を切開した息子は、食べることもしゃべることもできなくなります。そして2008年、5年にも及ぶロミ山田の懸命の介護も虚しく、闘病を続けた一人息子は40歳で亡くなってしまいました。ロミ山田は、結婚を期に、家庭生活を優先し、さらに離婚や息子の看病もあって、芸能界から、いつの間にか忘れさられていた存在です。

その時代時代の縮図のような世界である芸能界。一握りのスターは、幾世代も、時代の中心で生き続けますが、ほとんどの芸能人は、その時代の一瞬に輝き、消えていきます。時代が変われば、芸能人もまた入れ替わっていくものなのです。しかし、芸能界から離れても、その人の実人生が終わったわけではありません。ロミ山田もまたそうした芸能人の一人といえるでしょう。

ロミ山田は日本人初ブロードウェイ主演歌手!現在の活動は?

ロミ山田は、渡辺謙も脱帽する日本人初のブロードウェイ女優

ロミ山田が、やっと日本が戦後から抜け出した1960年に、ブロードウェイドラマで主役になったことは、稀有の出来事といえます。最近では、俳優の渡辺謙が、ブロードウェイミュージカル「王様と私」で主演を果たし、グラミー賞の候補に挙がったことが、たいへん話題になりましたが、比ではありません。

渡辺謙が一番苦労したのは、ネイティブ同様の発音で歌を歌うことでしたが、ロミ山田は、国立音楽学校、そしてアメリカ留学で鍛えられた声楽技術と、ネイティブに引けをとらない抜群の英語力で、この快挙を実現したのです。

ロミ山田が、80歳を越えた今再注目されるワケ

ロミ山田は、アメリカ帰国後、今人気のディーン・フジオカのように逆輸入タレントとして活躍します。しかし、アメリカで培った、彼女本来の実力を発揮することは、当時の芸能界ではあまりできなかったようです。そして月日は流れます。闘病を続けた一人息子を亡くし、しばらく失意の日々を過ごしていたロミ山田でしたが、2010年、第19回日本映画批評家大賞舞台ミュージカル賞を受賞。

また、初の自伝「楽譜を抱いて」を発表するとともに、難病息子との闘病生活に関する講演などを積極的に行うなど、80歳を越えた今、長らく休止していた芸能活動を再開しています。

ロミ山田が「徹子の部屋」に出演。二人は1933年生まれの同じ年!

ロミ山田は、先日「徹子の部屋」に出演しました。黒柳徹子とは1933年生まれの同い年。さらに、黒柳徹子もまた、40歳を前に、単身ニューヨークの演劇学校に留学した経験がある気心知れた同士として、ロミ山田は、ブロードウェイでの貴重なエピソードを語りました。

当時、ブロードウェイで主演する日本人女性がいるという話が日本に伝わり、まだ海外旅行が珍しい1960年に、実際に、ロミ山田の舞台を見に来た芸能人がいたそうです。それは、創成期のテレビで構成作家として活躍していた永六輔夫妻と、あの「フーテンの寅」の渥美清です。寅さんがブロードウェイとは意外、と思われる方も多いでしょうが、渥美清は、浅草出身の根っからのボードビリアン。

まだ若く芸に貪欲だった渥美清は、本格的なブロードウェイの舞台に立つロミ山田から、何か1つでも学びとろうとしたに違いありません。そして話は、難病にかかり40歳の若さでなくなった一人息子の話におよびました。息子は、何度も手術をしたものの、片耳は聞こえず、右半身には軽い麻痺、歩けない、喋れないなど、重度の障害を抱えての退院で、その介護は壮絶を極めたようです。

しかし、決して希望を失わなかったロミ山田は、息子を車椅子に乗せ、銀座へ買い物に出かけたこともあると語っていました。ロミ山田にとって、芸能界の離れての後半生は、難病を抱えた子の母として苦難の人生でしたが、80歳を越えた今では、同じような境遇にある人々を癒す語り部、歌手として、確固たる地位を築いています。

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