定岡正二は若い頃イケメンで大人気だった!脳梗塞説が噂されたワケ

定岡正二は若い頃イケメンで大人気だった!現役時代の成績は?

定岡正二は若い頃イケメンで大人気だった!かつての「甲子園のアイドル」

巨人軍のピッチャーだった定岡正二(さだおかしょうじ)は、イケメンルックスで女子中高生などから大人気を誇った「甲子園のアイドル」でした。巨人入り後は、江川卓や西本聖とともに先発3本柱を形成した時期もあったものの、トレードを拒否して若くして引退し、スポーツキャスターに転身。タレントとしても活躍し、数々のバラエティ番組に出演するという、なかなか起伏に富んだ人生を送っています。

1956年11月29日生まれで鹿児島県鹿児島市出身の定岡正二は、鹿児島実業高校時代に夏の甲子園に出場すること2回。3年生の時にはエースとして活躍し、チームを鹿児島県勢初のベスト4進出に導きます。準々決勝では、原辰徳がいた東海大相模高との延長15回にわたる熱戦を制したものの、準決勝で負傷して交代。痛恨のサヨナラ負けを喫したことから、「悲劇のヒーロー」として絶大な人気を誇りました。

当時の定岡正二の人気は実にすさまじく、数々のエピソードを残しています。高校の練習場には女性ファンが殺到し、日に何百通と届くファンレターで自室があふれかえるほどだったとか。住所の記載がなくても、「鹿児島県 定岡正二様」できちんとファンレターが届いたという話からも、過熱した人気のスゴさが分かると言うものです。

さらに、自宅の電話は24時間鳴りやまず、自宅前に観光バスが止まるなど、イケメン「甲子園アイドル」としての伝説的なエピソードは尽きません。

定岡正二のプロ通算成績は51勝!入団6年目にしてつかんだ初勝利!

定岡正二の現役時代の通算成績を振り返ってみましょう。実働9年間で215試合に登板、51勝42敗3セーブ、防御率3.83。872回を投げ、先発120試合中22完投、492奪三振となっています。

入団当初の定岡正二は、プロの壁にもがき苦しみ、本来の実力を発揮する場面はなかなか訪れず、話題ばかりが先行していました。1軍初登板したのは、プロ入り3年目の1977年5月です。それからも登板機会はなかなか増えなかったものの、ようやく1軍で初勝利をつかんだのが6年目の1980年。6月にナゴヤ球場で行われた対中日戦で先発した定岡正二は、6回に2失点するなど苦しんだ末に貴重な白星を勝ち取りました。

それからはとんとん拍子で、8月には横浜スタジアムでの横浜大洋戦でプロ入り初完投勝利。10月には当時の本拠地・後楽園球場で、広島を相手に初完封勝利を飾っています。シーズンを終えてみれば、2桁勝利にあと一歩の9勝を挙げ、一人前になるきっかけをつかんだ定岡正二。翌1981年には準完全試合となる完封劇を演じ、先発ローテーションの一角を占めるようになります。そして、最終的には念願の2桁勝利となる11勝を挙げ、チーム4年ぶりのリーグ優勝と日本シリーズ制覇に貢献しました。

キャリアハイとなったのは1982年です。2年連続の2桁勝利となる15勝の成績を挙げ、オールスターゲームに出場するなど活躍した定岡正二。しかし、好調に白星を積み重ねた1983年途中から調子を落として以降は、現役引退を表明する1985年まで復調することはありませんでした。

29歳での現役引退表明はかなり早すぎたようにも思われますが、当時は肘の痛みが限界にまで達していたとのこと。高校時代から投げに投げ続けてきただけに、これは仕方のないことだったのかも知れません。

定岡正二は『生ダラ』でタレントとしてブレイク!脳梗塞説が噂されたワケ

定岡正二は『生ダラ』でタレントとしてブレイク!石橋貴明と数々の名勝負

第2の人生でタレントとしてブレイクした定岡正二が一躍有名になったのが、日本テレビ系「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」、通称「生ダラ」への出演でした。もともと、「生ダラ」に定岡正二が定着するようになったきっかけは、「おちゃのこさいさい」と言うところを「へなちょこさいさい」と言い間違えしたことです。

これが面白がられ、「へなちょこサダ」として準レギュラーでの出演機会が増えていくことになりました。特に名物コーナーとなったのが、定岡正二と石橋貴明が繰り広げたカートレース対決です。当初はゲストに過ぎなかった定岡正二ですが、石橋貴明のライバル役を演じて好評を博すと、コーナーレギュラーとしての人気を得るに至ります。

2人の勝負は回を追うごとにエスカレートし、ついに、「タカーズVSサダーズ」十番勝負にまで発展!カート対決やPK対決、オセロ対決などで両者が真剣勝負を繰り広げ、十番勝負に敗れた側は罰として「丸坊主」になるほか、対決ごとにも罰ゲームが科されました。

あまりのヘタレっぷりに、「へなちょこサダ」や「負け犬サダ」など言われ放題の定岡正二でしたが、最終勝負の野球対決で勝ちを収め丸坊主は回避しています。「生ダラ」でいじられキャラとしてブレイクした定岡正二は、見知らぬ子供たちから「サダーっ!」と呼び捨てにされるなど知名度を上げていくこととなりました。

定岡正二は現在、脳梗塞で闘病中?芸能活動から野球活動に重点をシフトか?

天然ぶりが受け、タレントとして引っ張りだこだった定岡正二ですが、現在はほとんど芸能活動が見られません。そのため、「芸能界から干された」とも言われています。一方で、穏やかではないのが「脳梗塞では?」という噂。定岡正二の「脳梗塞」説が囁かれるようになったきっかけは、彼の話し方が原因だったようです。

もともと解説などでも滑舌はよくないほうだった定岡正二の話し方が「まるで脳梗塞みたいだ」とネットに書かれたことから、「定岡正二は脳梗塞で闘病中だ」となって広まってしまった様子。もちろん、「脳梗塞で闘病中」というのは根も葉もない噂です。とはいえ、芸能活動がほとんど見られないという状況が、「脳梗塞」説に信ぴょう性を持たせてしまった可能性も考えられます。

しかし、定岡正二の芸能活動が減ったのは、地元鹿児島に野球チームを創設するなど野球にまつわる活動に重点を置きつつあるためなので、ファンはひと安心というところでしょう。

定岡正二と堀内恒夫が”ON”のエピソードを暴露!長嶋茂雄のヤジ監督賞に王貞治の寝相などで大盛り上がり

巨人軍OBの定岡正二と堀内恒夫が、テレビ朝日系「中居正広の身になる図書館」のスペシャル版にゲスト出演しました。番組内で2人が明かしたのは、球界のレジェンドである「ON砲」長嶋茂雄と王貞治の現役時代のエピソードです。番組で、王貞治と旅館で相部屋になった際のエピソードを披露したのは定岡正二。「寝ていたらなんだか息が苦しい。見てみると、王さんの一本足が胸のところにあった」そうです。

「たぶん左足だったな」と、「世界の王」の知られざる寝相の悪さを大胆に暴露しています。堀内恒夫も、「王さんは10畳の部屋で2往復くらいはしてたよ」と面白がって乗っかってきていました。また、長嶋茂雄の監督時代の話として、「試合中のナイスなヤジに監督賞」があったことも明かされました。ベンチから飛ばすヤジがナイスならば、「ナイスヤジ!」と喜んで監督賞3万円を渡していたとか。

そのヤジの内容は、「テレビではとても言えない内容」だったそうです。ほかにも、長嶋茂雄の現役時代の月給が「推定400万円」で、分厚い給料袋がユニフォームのポケットに入らなかった話や、王貞治の「日本刀素振り」に恐怖した話などが次々と飛び出しました。近年は、野球活動に軸を置いている定岡正二。「生ダラ」で見せた石橋貴明との掛け合いも面白かったですが、やはり本来あるべき野球の仕事をしている姿のほうがより輝いているようです。

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