酒井法子と工藤静香の不仲説真相!息子の現在は?

酒井法子と工藤静香の不仲説真相!息子の現在は?出典:http://www.afpbb.com

酒井法子と工藤静香の不仲説真相!息子の現在は?

酒井法子と工藤静香が絶縁状態に!理由とあの事件の関係は?

酒井法子と工藤静香は、共に1980年代のアイドルで、年齢も同じ。仲の良い親友同士だったはずですが、酒井法子が逮捕される4年ほど前から絶縁状態にあったといいます。その原因として報じられたのは、酒井法子の子供のお受験ドタキャン事件。受験前日の晩から朝までクラブではしゃぎまくった挙句、面接に来なかった酒井法子に、一緒に子供を受験させた工藤静香が愛想を尽かせたとのことでした。

もう1つ不仲になった理由されているのが、SMAPチケット事件です。酒井法子が、木村拓哉を夫にもつ工藤静香に、SMAPのコンサートチケットの手配を依頼。期待外れの席だったことに腹を立てた酒井法子が、後日、電話で「私が恥をかいたじゃない!」と悪態をついたことで、2人は不仲になったといわれています。いずれの事件も、酒井法子が薬物に手を染め始めたとされている時期に起こっているだけに、人格の変化が最たる原因ではなかったかと思われます。

酒井法子の息子の中学・高校名、顔バレまで!逆境乗り越えイケメンに成長!?

酒井法子が、元夫で自称プロサーファーの高相祐一とオメデタ婚の末に息子を出産したのは1999年7月11日のことでした。2009年夏、酒井法子が薬物取締法違反で逮捕された時の息子の年齢は10歳。酒井法子が警察署に勾留されている間、息子は、小学校の同級生宅や、酒井法子の継母の元に預けられていたそうです。事件の翌年、酒井法子は、高相祐一との離婚調停の末に、息子の親権を獲得。

事件後、悪目立ち覚悟で学校行事に欠かさず出席する酒井法子の姿は、週刊誌でもたびたび報じられました。息子は今年で17歳の高校生。中学から、私立駒込学園の中高一貫校に通っていることが判明し、テレビ番組でモザイク処理されず顔バレしまったことから、「イケメン」と話題になったことも。変な注目を浴びてグレはしないか?と心配されていましたが、現在は、都内で、酒井法子と仲良く暮らしていると聞いてひと安心です。

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酒井法子は捨て子だった!悲惨すぎる生い立ちからアイドルへ!

酒井法子は捨て子だった!悲惨すぎる生い立ちからアイドルへ!

酒井法子は、1971年福岡県福岡市に生まれましたが、乳児期に、佐賀県の寺に捨て子として預けられていたそうです。これは、酒井法子の父親がある罪で服役中に、母親が若い男と駆け落ちしたため。さらに、酒井法子は、両親が離婚してほどなく、母親が謎の死を遂げるという不遇を迎えています。埼玉県の伯母の家で小学生時代を過ごした酒井法子は、長らく叔母を本当の親だと信じていましたが、父親が再婚する際に名乗り出たため、中学からは、父親と継母に引き取られて福岡県に戻りました。

その後、弟が生まれ、父親の離婚・再々婚と翻弄され続けた酒井法子の生い立ち。弟や、後に交通事故死したとされる父親が共にカタギではなかったこともあって、酒井法子の生い立ちは長らく伏せられてきたようです。しかし、酒井法子の逮捕拘留中に、”継母の衝撃告白”として掲載した週刊誌によって知られることとなりました。

酒井法子は捨て子だった!悲惨すぎる生い立ちからアイドルへ!

酒井法子は、父親に引き取られた14歳の頃から、芸能界を目指してオーディションを受け始めています。「ヤッピー」や「うれピー」、「いただきマンモス」といったのりピー語で一世風靡したアイドル・酒井法子が誕生したきっかけは、15歳でBOMB!賞を獲得した「’86ミスヘアコロンイメージガールコンテスト」でした。実は、BOMB!賞は、このコンテストに本来あった賞ではなく、酒井法子を見初めた当時のサンミュージック社長・相澤秀禎によって、急きょ設置されたものだったそうです。

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これより酒井法子は、福岡から都内の中学校に転校し、相澤秀禎の自宅で下宿生活を送ることに。流転の末、たった1人芸能界に飛び込んだ酒井法子は、まだ年端もいかない少女でしたが、周囲に悲惨な生い立ちの影を見せたり、弱音を吐くようなことは全くなかったといいます。

酒井法子のステージ復帰に反対の声!現在も中国では根強い人気続く

酒井法子は、80年代後半から、のりピー語やのりピー音頭と、明るく元気なキャラで、日本中を元気にしてくれたアイドル。アイドル停滞期の90年代に入ってからは、持前の整った容姿で、中国・台湾・香港などで絶大な人気を誇るようになりました。その後、ドラマ「ひとつ屋根の下」「星の金貨」と、主演ドラマが立て続けにヒットし、ミリオンヒットとなったドラマ主題歌「碧いうさぎ」では、紅白歌合戦出場も。

手話を交えて歌った「碧いうさぎ」の清廉潔白なイメージこそが当時の酒井法子。覚せい剤撲滅運動のポスターに起用されたこともありました。それだけに、2009年の事件にまつわる報道が世間に与えたショックは計り知れません。当時、福祉を学ぶといっていた酒井法子。

中国ではいまだに人気が根強く、日本よりも先にファンクラブ再開の動きがあったといいますが、2016年9月22年に、デビュー30周年記念コンサートを行うという事実を許せない人もいるでしょう。事件以降は、野次を浴びながらも、地道なパチンコ営業で身を立てているとも聞きますが、中国人向けのディナーショーで荒稼ぎをしているという可愛げのない話もあります。

しかし、酒井法子自身が壮絶な生い立ちを経験しているからこそ、再び息子を悲しませるようなことにはならないと信じたいと思う日本人ファンも少なくないはず。酒井法子が、コンサートを機に芸能界に復帰するのなら、将来ある息子のためにも温かく見守りたいものです。

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