坂本九 娘、奥さん柏木由紀子の現在は? 日航ジャンボ機墜落事故から30年と坂本九記念館「上を向いて歩こう」 =「スキヤキソング」の由来、歌詞の魅力

坂本九 娘、奥さん柏木由紀子の現在は? 日航ジャンボ機墜落事故から30年と坂本九記念館「上を向いて歩こう」 =「スキヤキソング」の由来、歌詞の魅力

坂本九 娘、奥さん柏木由紀子の現在は? 日航ジャンボ機墜落事故から30年と坂本九記念館

坂本九 妻は当時のアイドル女優・柏木由紀子、娘は?

かつて芸能界に、稀代のエンターテイナーがいました。坂本九です。日本にまだJ-POPが存在しなかった昭和30年代中頃、テレビの登場とともに、日本語歌詞をつけた洋楽が若者たちの心をつかんでいました。

坂本九は、1941年生まれ。当時まだ二十歳そこそこで、小柄でニキビ面の愛くるしい青年が歌う、ジミー・ジョーンズ「A GOOD TIMIN’」のカバー、「すてきなタイミング」や、ニールセダカの「カレンダーガール」が大ヒットしました。そして1963年、坂本九は、作詞永六輔、作曲中村八大による純和製ポップス「上を向いて歩こう」を歌って爆発的なヒットとなり、九ちゃんブームを巻き起こします。

今で言えば、堺正章の先駆者のような活躍ぶりで、坂本九は、テレビに欠かせないタレントとなりました。坂本九は、名実ともに芸能界のトップタレントとなった30歳の時、清楚なアイドル女優として人気があった柏木由紀子と結婚。お似合いのカップルとして祝福されました。子供にも恵まれ、長女の大島花子、宝塚歌劇団出身の舞坂ゆき子は、ともに歌手になり、すでに結婚もしています。

坂本九 日航事故没後30年、坂本九が今も愛され偲ばれる「坂本九思い出記念館」

柏木由紀子は結婚後、女優業を辞め、家庭に入って彼を支えていました。しかし坂本九は、1985年の日本航空123便墜落事故で、惜しくも帰らぬ人となります。まだ43歳の若さでした。

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坂本九が亡くなってから、坂本由紀子は、坂本九が行っていた様々な慈善活動を継ぐ形で、講演を行い、娘2人と結成した家族ユニット「ママエセフィーユ」で、坂本九を偲ぶコンサートを開くなど、今なお、坂本九とともにあります。

坂本九は、社会福祉や事前活動にも積極的に取り組んでいました。北海道の札幌テレビでは、社会福祉情報番組「ふれあい広場・サンデー九」という番組を持っていました。

坂本九が事故に遭う直前に、取材で訪ねた夕張の栗山町では、彼を偲んで坂本九思い出記念館が建てられました。坂本九が当時、いかに多くの人々に愛されていたかを、今に伝える記念館です。

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坂本九  「上を向いて歩こう」 =「スキヤキソング」の由来、歌詞の魅力

坂本九 「上を向いて歩こう」は、J-POP第1号

坂本九の、「上を向いて歩こう」は、日本歌謡史に残る名曲で、誕生秘話や様々なエピソードが存在します。「上を向いて歩こう」は、当時大人気だったNHKのバエラティ番組「夢であいましょう」で、1961年10月、11月の「今月の歌」として歌われ、同時に発売されたシングルレコードの売上は、1961年11月から翌年1962年1月まで、3か月も1位を独走します。

当時、「ウヘホ、ムフイテ、アールコォオオ」という坂本九独自の歌い方が、賛否両論、話題となりました。彼の歌い方は、坂本の母がやっていた小唄や、プレスリーやバディ・ホリーなど、当時の洋楽歌手の歌唱法をまねた、和洋折衷独特のもので、中村八大のPOPな楽曲と相まって、ここに、日本初の和製POPSが完成したのです。

坂本九 「上を向いて歩こう=SUKIYAKI」アジア楽曲で唯一のビルボード1位、その歌詞の魅力

この不思議な和製POPSが、1963年5月に、「SUKIYAKI」とタイトルを変えアメリカで発売されると、6月15日のビルボード誌で、アジア圏の歌手で唯一、週間1位を獲得するという金字塔を打ち立てます。

そしてその記録は今も破られていません。以後、「上を向いて歩こう」は、「SUKIYAKI SONG」として、アメリカの音楽史にも名を残すことになります。「上を向いて歩こう」の作詩は、当時、売れっ子作詞家であり、テレビの構成作家であった永六輔によるものです。

実は、この曲ができる前年は、60年安保の年で、国会の前では連日激しいデモが行われ、今と同じように国論を大きくわける政情不安の中、安保反対派の人々のやりきれない心情を歌ってヒットとしたのが、西田佐知子の「アカシヤの雨が止むとき」でした。

そして安保闘争から1年、世の中も少し落ち着きを取り戻し、人々の疲れた心を癒し前向きな気持ちにさせたのが、この「上を向いて歩こう」なのです。

日本はその後も、様々な大事件や悲惨な事故、自然災害に見舞われます。そして、いつもその時、自然に口ずさまれるのが、この「上を向いて歩こう」という曲なのです。まさに歌謡曲の魅力、歌の力ということなのでしょう。

坂本九 娘・大島花子が歌いつなぐ、日常のなにげない幸せ

今年2015年は、日航機墜落事故から30年、そして坂本九がなくなって30年の年です。坂本九の長女、大島花子は、11歳の夏、事故前日のことを今もありありと思い出すそうです。

暑い中、いっしょに庭掃除をしているとき、「お、見ろ、見ろ。暑いけど汗がぽたぽた垂れてくるのが面白いよね。」と、優しく語りかけてくれた父、坂本九の汗だらけの笑顔を。

大島花子は、そんな日常の「何でもない瞬間」を大切にしながらアルバム制作に励み、昨年末、初のアルバムを完成しました。収録曲の中には、父である坂本九が作詞作曲した「親父」という曲があります。

この曲は、厳しかった父との日々を、息子が遺影の前で懐かしむという内容で、大島花子は、自分は娘だけれど、歌詞の中で父を思う息子である坂本九本人に感情移入ができる、「不思議な歌」と語っています。

「上を向いて歩こう」だけでなく、「見上げてごらん夜の星を」、そして「明日がある」「幸せなら手をたたこう」「涙くんさよなら」など、坂本九の数々のヒット曲は、日本の歌謡史を彩るだけでなく、その後のJ-POP登場に多大な影響を与えています。その時々に、歌で人々を励まし癒すことができた坂本九は、日本の芸能史に残る類まれなエンターテイナーといえるでしょう。

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