坂本龍一と高橋幸宏の闘病で強まった絆!病状やYMO内の関係性は?

坂本龍一と高橋幸宏の闘病で強まった絆!病状やYMO内の関係性は?

2022年9月10日 更新

坂本龍一はYMOのメンバー!がんの病状やステージは?


坂本龍一のプロフィール
◆生年月日:1952年1月17日
◆出身:東京都
◆身長:171cm
◆血液型:B型
◆音楽家

坂本龍一の”教授”というあだ名は高橋幸宏が名付け親!

作曲家の坂本龍一(さかもとりゅういち)は”教授”というあだ名で親しまれています。

若い頃から馴染んでいた”教授”というニックネームは、音楽グループ・YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の仲間であった高橋幸宏が名付けたもの。単に呼び名でしたが、2014年より坂本龍は母校の東京藝術大学で、実際に客員教授に就任。名実ともに”教授”となっています。

坂本龍一の存在を世に知らしめたYMOは、1978年に細野晴臣、高橋幸宏との3人で結成されました。コンピュータと融合した電子楽器・シンセサイザーを用いた演奏が話題となり、テクノポップの先駆け的存在に。

彼らが生み出す歌詞のない斬新なテクノミュージックや前衛的なファッション、壮大なメッセージ性が日本のみならず欧米でも高く評価されました。

YMOは人気絶頂期の1983年に散開(解散)。以降、坂本龍一は作曲家として活動し、1987年11月公開の映画「ラストエンペラー」のテーマソングを手掛け、アカデミー賞で日本人初の「作曲賞」を受賞しました。さらに同作には俳優としても出演しており、甘粕正彦役を演じています。

1990年にニューヨークに拠点を移すと、1992年に開催されたバルセロナオリンピック開会式で披露されたマスゲームの音楽を担当するなど活躍の場を世界に移しました。

坂本龍一のがんの症状!激やせに余命宣告…たばこも原因?

坂本龍一は2014年に中喉頭がんとなり、治療に専念するため演奏活動を休止しました。

中喉頭がんは、たばことの関連も深い疾患。坂本龍一が愛煙家であったことも一因と見られていますが、ずっとたばこを吸っていたわけではなく2005年頃より禁煙していました。

また、坂本龍一は中喉頭がん発表時に激やせしており、その姿に多くの人が驚きを隠せませんでした。

約6年を経て寛解するも、2021年1月に直腸がんを発表。当時は手術成功を伝えていましたが、後に診断を受けた時点で、未治療の場合は余命半年程度となる深刻な病状だと告げられていたことを明かしました。

転移があるため、ステージは4に該当するとのこと。直腸以外にリンパや両肺に転移した腫瘍やがんを切除・摘出するも病巣が残っており、今後は手術ではなく投薬治療が続きます。

坂本龍一は「新潮」2022年7月号の連載で、「これからは“がんと生きる”」「もう少しだけ音楽を作りたいと思っていますので、みなさまに見守っていただけたら」と、読者に呼びかけました。

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坂本龍一と高橋幸宏は互いの闘病を経て絆を深めた?

坂本龍一と高橋幸宏は闘病生活を経験!エール交換に泣ける

坂本龍一と同じYMOのメンバー・高橋幸宏は2018年4月に目の手術を受けています。前日に坂本龍一が食事を御馳走し、励ましたといいます。

2020年8月に、高橋幸宏は脳腫瘍の摘出手術も受けることになりました。この時も坂本龍一は病室に花を届け、化学療法の副作用に苦しんでいた期間も朝晩励ましのメッセージを送っていたのだとか。

その後、2021年1月に坂本龍一が直腸がんであると発表。今度は高橋幸宏がすぐさま反応し、「絶対に大丈夫!」とエールを送っていました。

坂本龍一と高橋幸宏は出会った当初からファッションや音楽的志向が異なり、互いにそれまで出会ったことのないタイプだったのだとか。お互いの存在に刺激を受けたといい、細野晴臣を含めた3人で起こした化学反応は新しい音楽を生み出していきました。

音楽プロジェクト「COMMMONS」のサイト上で、坂本龍一の古希を祝う企画が開催された際には、高橋幸宏が坂本龍一を「日本の宝」と表現し、細野晴臣がその才能を「唯一無二」と称賛。YMOメンバーが、深く尊敬し合う関係性であることが垣間見えますね。

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坂本龍一は病気と向き合う今も創作意欲に満ちている!

坂本龍一は「新潮」2022年7月号の連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」で、残った病巣が増殖し、闘病生活は終わりが見えない状態であると告白しました。

60代で最初のがんが発覚してからは「がんになったのも何か理由があるのだろう」「それはそれで本来の人生だったんだ」と達観している部分があるとも綴っています。

連載執筆の時点までに、6回の手術を乗り越えた坂本龍一。“がんと闘う”のではなく、“がんと生きる”という言葉を用いるのも、「無理して闘ってもしょうがない」という思いがあるからだなのだとか。

また、せっかく生きながらえたので、「敬愛するバッハやドビュッシーのように最後の瞬間まで音楽を作れたら」と考えていると述べました。

治療を続けながらも、2022年3月には「東北ユースオーケストラ」のコンサートで、ピアノ演奏を披露。同年10月21日には、坂本龍一が手掛けたオリジナル・テーマ曲が使われている映画「アフター・ヤン」が公開されます。

先の見えない闘病生活とはなってしまいますが、病気と生きる今だからこそ作ることができる音楽、奏でられる音色があるのではないでしょうか。

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