笹本恒子は102歳の現役報道写真家!プロフィールは?

2020年5月7日 更新

笹本恒子は102歳の現役報道写真家!プロフィールは?

笹本恒子はなんと102歳で現役報道写真家!

笹本恒子は、戦前から活躍する現役の報道写真家です。超高齢化社会といわれる現代。60代、70代となっても現役と変わらぬ活躍をする人は多いですが、笹本恒子はなんと102歳!しかも、今とは比べものにならないほどの男性優位社会であった戦前から、カメラマンとして活動を始めていたというのですから、頭が下がります。

笹本恒子本人の写真を見ると、「現役」らしく、若々しく張りのある表情で、センスよく洋服を着こなす姿はとてもファッショナブル。その様子からは、先進的かつ、自立した女性であることがうかがえます。

笹本恒子のプロフィールは?画家志望から報道写真家へ

笹本恒子のプロフィールは、1914年9月1日生まれで、東京都品川区出身です。少女時代は画家を志していたそうですが、父親が大反対。笹本恒子は、洋裁学校に通って技術を身につけ、親戚の洋裁店を手伝いながら、絵画教室に通います。その後、新聞の挿絵の仕事をきっかけに、当時設立されたばかりだった写真を配信するフォトエージェント「写真協会」に、家族に内緒で入社。

笹本恒子は、日本初の報道写真家としてスタートをきりました。しかし、入社の事実が発覚し、父親と兄の大反対にあったことから、写真協会を退社。戦後になって、フリーの女性カメラマンの第一人者として活躍していくことになります。

笹本恒子「好奇心ガール」に学ぶこと!食事やライフスタイルへのこだわりとは?

笹本恒子のベストセラー著書「好奇心ガール」に学ぶこと!

笹本恒子は、102歳を迎えてもなお、現役報道写真家として高く評価されています。注目されているのはこれまでの業績だけではありません。今、笹本恒子の生き方にも、注目が集まっています。その生涯や、ライフスタイルを自ら記した著書「好奇心ガール、いま101歳:しあわせな長生きのヒント」は、各方面で話題になりました。

この本は、2011年に発売した自伝的エッセイ「好奇心ガール、いま97歳」に、その後日譚を加えたものです。自宅で転倒して骨折し、リハビリに励んだエピソード等もおさめられ、どんな時でも前向きに行動する笹本恒子の姿勢がよく分かり、学ぶべきことは満載。とにかくやってみるというチャレンジ精神や、自立した姿勢も、笹本恒子から学びたいことのひとつといえるでしょう。

笹本恒子の100歳超えを支える食事やライフスタイルへのこだわりとは?

笹本恒子の年齢の重ね方は、たとえ長生きしても、寝たきりになってしまう人も多い中、まさに理想的といえます。それを支えているのが、独自の食事や、ライフスタイルへのこだわりです。まずは、食事面。笹本恒子は、お肉を毎日食べているそうです。健康に、パワフルに過ごすためには、お肉と油は必須アイテムだといいます。量は、毎日100g。さらに、ご飯やパンといった主食はとらず、赤ワインを毎日1杯。ポリフェノールが豊富な赤ワインは、アルツハイマー型認知症の予防に効果的なのだとか。

おしゃれは、頭を使う反面、お金はあまりかけないのがこだわりで、自分で簡単なワンピースを仕立てることもあります。衣類よりも食事で贅沢することが、笹本恒子のこだわりの根底にあるようです。

笹本恒子のおしゃれ力がすごい!年齢を公表しなかったわけとは

笹本恒子は、102歳となった今も注目を集め続ける報道写真家です。2016年12月には、彼女を主役の1人として追ったドキュメンタリー映画「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」が、東京国際映画祭で上映されました。

102歳にしてレッドカーペットを歩むことになった笹本恒子は、30年以上前に友人が作ってくれたという紫色の革で作ったドレスで登場。美しい色の革のドレスにあしらわれたパンチ穴の模様にあわせたのは、なんと800円だったという大振りの黒い石の指輪。ちょっと辛口でセンスあふれるコーディネイトを披露しました。

その姿は、まったく古臭くないばかりか、とても30年以上も前のドレスと800円の指輪とは思えません。それもそのはず。ファッションについて、笹本恒子は、「アクセサリー選びは頭の体操ね。高価な服を着ていることとセンスの良さはイコールじゃない。『おしゃれは頭でするものよ。お金じゃないのよ』とよく言っています」とコメント。笹本恒子の写真家としての業績だけでなく、ファッションやライフスタイルまでも注目が集まるのもうなずけるというものです。

しかし、今でこそ、102歳の報道写真家として有名な笹本恒子ですが、20年ほどは、生活のためもあり、写真から離れていた時期があったそうです。昔身につけた洋裁の技術と、持前のセンスで、オーダー服のサロンを経営していた笹本恒子。他にも、フラワーデザインやアクセサリーの制作まで手掛けていました。それでも、写真への想いは絶ちがたく、71歳で写真家に復帰。しかし、その時点では、年齢は非公表で、96歳までオープンにしていませんでした。

それは、「もし実年齢を知られたら、『ピントが合わないんじゃないか』『手元がぶれるんじゃないか』と腕を疑われてしまうかもしれない」「被写体にも心配をかけたくない」という思いからだったいいます。たしかに、今でこそ70代は現役という人も珍しくはありませんが、当時は、70代以上で現役という人はずっと少なかったはずです。

その人の仕事ぶりよりも、年齢を先に気にするきらいのある日本では、年齢を気取れないようにふるまう必要もあったのでしょう。笹本恒子は、当時を振り返って、「若作りなんてしないけど、いつも背筋をピンと伸ばしてさっそうと歩くようにしていた。年齢を言わないのは、ずっと現役でいるための自分との約束なのね」と語っています。そうして撮りためた写真がまとめられているのが、「きらめいて生きる明治の女性たち―笹本恒子写真集」や「昭和を彩る人びと 私の宝石箱の中から一〇〇人」といった本です。

明治、大正、昭和と厳しい時代を生き抜いた女性たちを撮りたいという笹本恒子の思いからはじまったもので、男性優位社会の中で、社会的に低い地位に置かれた中でも、自立して輝いた女性たちの姿をとらえています。
こうした笹本恒子の活躍は、国内のみならず国外でも高く評価されています。2016年9月には、写真界の世界的な賞「ルーシー賞」で、生涯を通じて写真界に貢献した個人が対象とされる「ライフタイム・アチーブメント部門賞」を受賞。笹本恒子は、「厳しい時代を、自立心を持って生き抜いた女性を写し出した」と評されました。

このような賞を受ける笹本恒子は、写真に映し出した女性たちと同様に、彼女自身が、「厳しい時代を自立して生き抜いた」女性だといえるのではないでしょうか。これからも、少しでも長く活躍を続けていかれることを祈るばかりです。

関連記事

ページ上部へ戻る