里崎智也はパスボールの割合が最少の名捕手!現役時代は長打が魅力の「千葉の満塁男」!

里崎智也が名捕手になれたワケ!現役時代の成績は?

里崎智也はパスボールの割合が最少の名捕手!そのワケはハイレベルのピッチャーに鍛えられたから?

里崎智也(さとざきともや)は、元千葉ロッテマリーンズの正捕手で、現役時代は長打も打てるキャッチャーとして活躍しました。現在は、野球解説者として、愛されキャラを生かして活躍していますが、その印象に騙されてはいけません。

実は、バッティングだけでなく、本職のキャッチャーとしての腕前もなかなかのものだった里崎智也。まさに「名捕手」と言っても過言ではないでしょう。キャッチャーの重要な能力である強肩は、遠投120mとまさに折り紙付きでした。送球は、シュート回転の傾向があるものの、谷繁元信の下半身の動きを手本にメキメキ上達したと言います。盗塁阻止率の高さも特徴で、2005年には4割、2009年には3割8分2厘と、2度にわたって盗塁阻止率リーグトップを記録しました。

これは、キャッチャーとしての能力の重要な指標の一つ。ピッチャーとのあうんの呼吸や、捕球から送球するまでの動作の素早さ、送球の正確さの能力が問われ、この点でも名捕手というべき能力を持ち合わせていることが分かります。そして、もう一つ忘れてはならないのが、1000試合以上の出場記録を持つキャッチャーの中で、捕逸(パスボール)の割合が最少だということ。

里崎智也は、1003試合出場で、パスボールは19個。つまり、52.7試合に1個の割合です。トップクラスの名捕手・野村克也をしても、2921試合中207個(14.1試合に1個の割合)、古田敦也も1959試合で104個(18.8試合に1個)であったのですから、この少なさは特筆に値します。本人曰く、「自分でサインを出しているから、捕球して当たり前」ですが、駆け出しの頃に、ブルペンで、ピッチャーの球を受けて経験を積んだことが大きかったようです。

里崎智也はロッテ一筋で捕手初の通算100本塁打の成績!現役時代は長打が魅力の「千葉の満塁男」!

里崎智也の現役時代の通算成績は、実働15年間で1089試合に出場して、3476打数890安打108本塁打458打点、打率2割5分6厘という数字を残しています。確実性は乏しいものの、打撃の魅力はパンチ力。狙い球を絞り込み、特徴的なアッパースイングから広角に長打を放ちました。

その長打力を生かし、レギュラー定着した2005年から2010年までは、6年連続で2桁本塁打を記録。2012年には、ロッテ一筋の捕手としては初となる、通算100号本塁打を達成しているほどです。走者満塁の場面でめっぽう強く、交流戦では、3年連続で満塁ホームランを打ちました。特に、2006~2007年は、2年連続で、2アウトから満塁逆転弾を打っています。しかも、雨が降る神宮球場という舞台まで一緒でした。

レギュラーシーズンになると、4年連続して満塁ホームラン!千葉ロッテマリーンズで4年連続満塁弾を放ったプレーヤーは里崎智也だけですから、「千葉の満塁男」の称号を授けてもいいでしょう。彼は自分のバッティングを「当たるも八卦、当たらぬも八卦のヤマ張り」と解説し、「チームの勝利に直結する大事な場面で打てる」ことを重要視していたと振り返っているそうです。彼のように、ここぞというチャンスに長打を打てるバッターは、相手ピッチャーにとっては不気味な存在だったに違いありません。

里崎智也のプロフィール!実は結婚して子供がいた!

里崎智也は大のビックリマンチョコ好き!名言「最高の下克上」でチームを勢いづけた!

里崎智也は、1976年5月20日生まれ。徳島県鳴門市出身で、身長175cm、体重94kgです。野球を始めたのは小学校からで、監督に言われるままキャッチャーになったとか。以降、鳴門市第一中学、鳴門市立鳴門工業高校と野球を続けたものの、注目を浴びる機会のない無名選手でした。

甲子園出場にも無縁で、プロ野球選手になると考えてはいなかったそうです。そんな人生が一変したのは、高校を卒業して帝京大学に進学してからのことでした。進学当初は、バッティング力を生かし、指名打者で起用が多かったものの、4年になった里崎智也はレギュラー捕手の座をつかみます。

4年秋には、22季ぶりのリーグ優勝に貢献し、神宮野球大会にも出場。3年春には、4試合連続本塁打のリーグ戦記録を残し、ベストナインで3回表彰されています。そのかいあって、1998年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズの2位指名でプロ入りを決め、2003年頃から試合の出場が増えて活躍を始めた里崎智也。2006年には、王貞治監督率いるWBC代表入りし、正捕手として世界一に貢献しました。

このときは、打率4割9厘、1本塁打5打点と活躍して、ベストナインにも選出されています。2005年、2010年には、チームの日本一制覇に大きく貢献。2010年は、シーズン3位からクライマックスシリーズへ怒涛の進撃を見せ、その際には「最高の下克上を見せる!」という名言でチームを勢いづけました。その余勢をかって日本シリーズも優勝を達成しましたが、それ以降は、たび重なる故障に苦しみ、2014年に現役引退しています。

大のビックリマンチョコ好きとしても知られる里崎智也。2006年に発売された「ビックリマン プロ野球チョコ」のシール対象から外れたときには、球団広報に、「これほどビックリマンを愛する俺が選ばれないとはどういうわけだ!」と噛みついたとか。その熱意が実り、翌年のビックリマンシールに起用されたそうです。

里崎智也は姉さん女房と結婚して双子の子供もいた!引退表明後に事実を明らかに!

里崎智也は、2014年の現役引退時に、「実は大切な家族がいる。引退表明を区切りにして、これまで公表してこなかったプライベートについてオープンにすることにした」と、結婚しており、子供もいたことを公表しました。引退に際して、独身と報道されることに違和感が募ったということですが、プライベートを明かすことで、肩の荷を下ろしたかったという気持ちもあったのでしょう。

ハワイで結婚式を挙げたのは、現役時代の2012年2月。結婚相手の身元は元看護師の一般女性とのことで、同年11月22日、つまり「いい夫婦の日」に婚姻届を提出しています。結婚した時は、里崎智也が36歳で、妻は38歳ということで、球界にはよくある姉さん女房です。

2人の間に双子の男の子が生まれたのは、2014年7月でした。子供を授かったのは、里崎智也がちょうど膝の手術後のリハビリに取り組んでいた時期で、子供の顔を見ることで、苦しいリハビリにも耐えられたと言います。やはり、愛する家族が身近にいてくれることが最高の励みになります。「これからは家族との時間を大事にして、第2の人生を過ごしたい」というコメントにも、その気持ちがよく表れています。

里崎智也がWBC評論批判に物申す!現役時代の不満暴露に「憎たらしい選手」とツッコミ入る!

ユーモラスな辛口野球解説で好評を博している里崎智也が、日本テレビ系「行列のできる法律相談所」の「世間に物申す!次世代ご意見番は誰だ!?」と銘打ったコーナーにゲスト出演しました。里崎智也が「物申」したのは、ネット上でありがちな批判や、現役時代のコーチ、監督らに対してです。

先のWBC強化試合で盗塁を許した小林誠司(巨人)に、スポーツ紙上で、「明らかな経験不足」と批評した里崎智也。その評論に対して、ネット上では、「厳しすぎだ」などと批判が殺到したといいます。アメリカとのWBC決勝で、松田宣浩(ソフトバンク)のエラーを「焦りから生まれたミス」などと解説すると、これまた「戦犯探しするな」「みんな一生懸命頑張ったんだ!」という非難があったそうです。

これらの批判に、「僕にとっては一生懸命やっているという評価はありえない。みな一生懸命だから」と断言。「僕は敗れた原因を評論しなきゃいけない仕事。よくやったなどと持ち上げていたら仕事がなくなる」と強烈に「物申し」ました。あわせて、自分の考えと異なる指示がベンチから出た際に従ったものの、失敗して理不尽に怒られたという自身の現役時代のエピソードも紹介しています。

「ベンチからのサインは絶対」としながらも、「緩い球でいけという指示が出て、速い球を見せておいて最後に緩い球という筋書きに決めても、緩い球を投げる前に打たれる場合もある」と現場としての主張を展開。「それで怒られるなら、全て緩い球投げるぞ」と不満を暴露しました。それを聞いた番組レギュラー陣からは「監督から見たら憎たらしい選手」とツッコミも。それくらい自己主張が強い里崎智也ですから、その解説が面白くないワケがありません。

たとえば、「バッターを追い込んで打たれると、もったいないと言いますよね。じゃあ、打たれてもったいなくないカウントってありますか?」。「ベンチから配球を広くという指示。広くってコースギリギリのストライクか、ボールなのか、フォアボールでも構わないのか。具体的な指示がないと」などなど。言っていること自体は結構「憎たらしい」感じですが、どこか憎めないタイプなので、解説でも得しているのではないでしょうか?そんな愛されキャラがプラスに働いているからこそ、バラエティ番組でも引っ張りだこなのでしょうね。

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