沢田知可子があの代表曲を替え歌に!歌詞実話説の真相は?

沢田知可子「会いたい」の仰天替え歌!歌詞の実話説の真相は?

沢田知可子「会いたい」の仰天替え歌!歌詞の内容は本音?

沢田知可子は、「会いたい」という曲でおなじみのシンガーソングライターです。「会いたい」は、1990年に発売されて以来130万枚を売り上げ、ミリオンヒットを記録しました。作詞は沢ちひろ、作曲は財津和夫で、亡くなった恋人との思い出の日々、そして今は亡きその人に会いたいという切ない気持ちがこめられた名曲です。

しかし、2014年、バラエティ番組に登場した沢田知可子は、この曲を「安定したい」という替え歌にして披露。多くの人が涙したサビの部分は、「今年も海に行くって 一杯映画も観るって約束したじゃない あなた約束したじゃない 会いたい」が、「カラオケみんなが歌って いっぱいお金入るって全くウソじゃない 歌手は一銭ももらえない 泣きたい」に。全体に、「ヒット曲を出し続けないと、安定した生活はできない」という内容に替えられていたことから、作詞家の沢ちひろから提訴される騒ぎになりました。

この替え歌の歌詞を考えたのは、番組スタッフで、もちろん沢田知可子ではありません。とはいっても、「会いたい」の制作には携わっていないため、歌ってもそれほどお金が入ってこないというのは真実なのだろうと言われています。

沢田知可子「会いたい」歌詞の実話説の真相は?偶然のような必然!?

沢田知可子は、学生時代に、バスケット部の先輩に、歌手になろうと思っていることを告白しました。すると、その先輩は、「俺が最初のファンになってやる」と言ってくれたそうです。しかし、あろうことかその数日後に交通事故で亡くなってしまったと言います。いかにも「会いたい」の歌詞とリンクしているかのような体験ですが、作詞したのは沢ちひろ。沢田知可子の学生時代の切ない体験を知るはずもなく、「会いたい」については、「歌詞が天から舞い降りた」とコメントしています。

一方の沢田知可子は、この曲をもらったとき、当時の悲しい気持ちを思い出すと同時に、何か運命的なものを感じました。歌詞が実話に基づいて書かれたものではなかったとはいえ、「会いたい」を沢田知可子が歌うことになったのは、偶然では済まされない、何か不思議な力が働いたのかもしれません。

沢田知可子が結婚した旦那・小野澤篤とは?出身地やプロフィール!

沢田知可子が結婚した旦那・小野澤篤とは?2人はいつも一緒!

沢田知可子は、バックバンドのメンバーだった小野澤篤と結婚しています。音楽の絆で結ばれている2人は、いつも一緒。沢田知可子のいるところには必ず小野澤篤の姿があるとまで言われています。事実、旦那の小野澤篤は、沢田知可子の所属しているウォータープラネットの代表取締役でもあり、共に「歌セラピーライブ」を全国で展開している音楽仲間です。

ミュージカル音楽の制作や、全国的なライブなどで大忙しの沢田知可子ですが、ピアニストとしても活動し、音楽を良く知る小野澤篤がパートナーであることで、より充実した音楽人生を送れているのでしょう。

沢田知可子の出身地やプロフィール!デビューしたのは1987年!

沢田知可子は、1963年8月4日生まれ。埼玉県与野市の出身です。高校卒業後は、浦和警察署内にある埼玉県交通安全協会に勤務していましたが、歌手になるという夢を捨てきれず、南浦和にあるライブハウス「Potato House」で活動を始めます。デビューのきっかけになったのは、東京渋谷にあるライブハウス「ランタン」に、「業界の人に渡してほしい」とデモテープを持って行ったことです。

そして、「恋人と呼ばせて」(1987年)でデビューしました。沢田知可子最大のヒット曲「会いたい」は、1990年に発売されたアルバム「I MISS YOU」からシングルカットされた作品です。オリコンチャートでは、長期にわたり100位以内にランクインし続け、じわじわと人気が高まり、1991年には「第24回全国有線放送大賞」のグランプリを受賞。

2000年には「21世紀に残したい泣ける名曲」の1位にも選ばれています。現在は、ミュージカル音楽の制作や朗読劇への参加、杉山清貴や辛島美登里など同時期にヒット曲を持つ歌手たちと共演するコンサート活動など、より幅広い分野で活躍を続けています。

沢田知可子「会いたい」著作権騒動のその後!沢ちひろとの関係は修復された!?

沢田知可子が2014年、「会いたい」を「安定したい」という替え歌を歌ったことで、作詞者である沢ちひろが激怒。アルバムに収録されていた「会いたい」には、オリジナルにはないセリフが追加されていたということも含めて、沢田知可子の事務所代表かつ旦那である小野澤篤とCDの販売元を相手に、著作者人権侵害で提訴しました。

その後、騒ぎが大きくなったことに疲れたという理由で、沢ちひろは自ら提訴を取り下げています。その沢ちひろが、2016年2月に亡くなっていたことが最近になって分かり、亡くなる前に「これからは沢田知可子を応援したい」と言っていたことが伝えられました。沢田知可子自身は、2017年1月、遺族からの連絡で、沢ちひろが亡くなっていたことを知ったと言います。

そのときには、沢ちひろが親族と一緒に作った「冬のほたる」という曲を、沢田知可子に歌ってほしいと言っていたことも伝えられたそうです。その気持ちに応えて、2017年6月21日に発売される30周年記念アルバムに、「冬のほたる」が収録されることを決定。「感謝と哀悼をこめて、この曲を大切に歌いたい」とコメントしました。替え歌騒動については謝罪文を送るなど、ずっと誠意を尽くしてきた沢田知可子でしたが、沢ちひろの死はやはりショックだった様子。

会いたくてももう会えない恩人だとも綴っています。ある意味、「冬のほたる」も運命の曲なのかもしれません。どのような曲なのかが楽しみであるとともに、この曲もまた広く世間で愛され続ける作品となることを願っています。

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