千利休の名言に学ぶプロ論!守破離は茶道のみならず!

千利休の名言に学ぶプロ論!守破離は茶道のみならず!出典:http://matome.naver.jp

千利休の名言に学ぶプロ論!守破離は茶道のみならず!

千利休の名言から学ぶプロ論!名言が人を成長させる!?

千利休とは、「わび茶」を完成させた人物です。千利休が編み出したわび茶の精神は、現代に生きる我々の心にも深く響きます。利休の教えを和歌の形にした「利休道歌」には、名言といえるものが数多く見られ、「その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ」という和歌では、何かを学ぼうと思ったら、その学ぼうとする気持ちを保つことこそが大事だと説いています。

また、「恥をすて人にもの問い習うべしこれぞ上手の基なりける」という和歌では、何かを尋ねることを恥ずかしがることなくできる人こそ、成長できるのだと教えてくれます。

千利休の守破離は茶道のみならず、プロ論を学べる言葉の数々!

千利休の名言として、有名なものの一つとして「守破離」を謳った、「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」があります。「守破離」とは本来、兵法の言葉ですが、ここでは茶道の修行の段階を表しています。「守」は教えられた通りにやってみる段階、「破」は教えられたやり方だけでなく、他のやり方も試して試行錯誤する時期、「離」は今までの経験をいかして独自のスタイルを生み出す段階。

つまり、千利休は、守破離の段階を経ることで、その道のプロフェッショナルになれると説いたのです。守破離は茶道だけでなく、ビジネスの場のプロ論にも通じる名言ではないでしょうか。

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千利休の身長が切腹させられた理由?子孫は現存する?

千利休は身長181cm!高身長ゆえ切腹させられたという珍説も!

千利休は、戦国時代に活躍した人物。世のリーダーであった織田信長や豊臣秀吉に気に入られ、歴史の表舞台に登場しました。しかし、茶道に対する考え方の違いや、千利休の他の武将への影響力の強さに警戒感を覚えた豊臣秀吉によって、切腹を命じられたといわれています。

しかし、切腹させられた理由には諸説があり、どれが定かかはいまだに分かっていません。一説には、千利休が181cmと、非常に長身だったことから、140cmほどしかなかった小柄な豊臣秀吉の嫉妬を買ったのが切腹させられた理由だという珍説も飛び出しています。

千利休の子孫は現存する?表千家、裏千家、武者小路千家って?

千利休は切腹させられて死亡しましたが、実は何人もの子供を遺しています。特に2人目の妻との間に生まれた少庵は、茶道具なども含めて京都の千家の後を継ぎ、千家を復興しようと奮闘しました。そして、千利休から三代目となる千宗旦の三男が「表千家」、四男の千宗室が「裏千家」、次男にあたる千宗守が「武者小路千家」を興したのです。

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茶道といえば、表千家、裏千家といった名前を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。千利休の子孫の方々が、500年の長きにわたり、途絶えることなく教えを受け継ぎ広めてきたからこそ、現代の日本で「茶道」に多くの人が親しんでいるといえます。

千利休はやっぱりすごかった!豊臣秀吉もびっくり!

千利休は1522年、堺の商人の家に生まれました。時は戦国、戦乱の世ですが、裕福な商人の家の生まれだったこともあり、17歳にして、茶の道を志して北向道陳、武野紹鴎らに学びました。

千利休というと、茶道の始祖と思われがちですが、決してそうではありません。茶道は以前から「茶の湯」として文化人の間で親しまれていました。しかし、まだ体系的なものではなく、千利休は、師とともに、茶の湯の改革に挑んだといわれています。
そして、織田信長が堺を直轄地としたときに、見出された千利休は、「茶頭」として雇われることに。「茶頭」とは、貴人にお茶を教える、いわゆる「先生」のことです。それだけ、織田信長が千利休を買っていたということの表れといえます。

本能寺の変で織田信長が没すると、今度は豊臣秀吉に仕えることになった千利休。豊臣秀吉というと、派手好みで「黄金の茶室」を作ったことが有名です。諸説ありますが、「黄金の茶室」は、千利休が制作にかかわったともいわれています。
しかし、そんな活動の一方で、千利休は「草庵茶室」を作りだし、わび茶の精神を完成させていきます。草庵茶室は、茅葺などの屋根の粗末な家の風情を持つ、4畳半以下のもの。土壁で、身をかがめて入るにじり窓などがあるのが特徴です。私達が「茶室」といってまず思い浮かべるのは、草庵茶室といえるでしょう。また、千利休は、過度な装飾を排し、手びねりで作られる「楽茶碗」や、竹の花入れといった素朴なものも茶道具に取り入れていきます。

このように、現代の私達が茶道といって、思い浮かべるものの原型は、千利休によって整えられたのです。
そんな、過度な装飾を排する千利休のわび茶の精神を如実に表す逸話が残っています。ある朝、千利休に茶会に招かれた豊臣秀吉が訪ねていくと、庭の朝顔がすべて切り取られて何も咲いていませんでした。不思議に思いながら茶室に入ると、床の間に一輪だけ朝顔がいけられていたそうです。たった一輪いけられているがゆえに美しさが際立ち、豊臣秀吉も深く感激したといいます。

このように、織田信長、豊臣秀吉と時の天下人を次々と魅了した千利休。そんな魅力をもった千利休が、他の人々に影響を与えなかったわけがありません。事実、千利休を慕う弟子は数多くいたそうです。
理由はどうあれ、豊臣秀吉が千利休の影響力を恐れてもおかしくはなかったのかもしれません。それでも、千利休が生み出したわび茶は現代でも強い影響力を持ち、日本のみならず世界に広がりを見せているのですから、千利休はやはりすごい人物です。

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