島田順子のライフスタイルはパリで培われた!未婚で娘を出産、その後結婚した夫とは?

島田順子のおしゃれライフスタイルに憧れる!身長やプロフィール、経歴は?

島田順子のパリ暮らしは50年?おしゃれライフスタイルに憧れる!

ファッションデザイナーの島田順子は、1980年代に「JUNKO SHIMADA」を率いてデザイナーズブランドブームを盛り上げた人物。現在も、豊かな白髪をアップスタイルにまとめ、タイトな服を颯爽と着こなす姿を女性誌等で目にすることもしばしばです。

ファッショナブルな装いと、20代から50年近く暮らすパリで培われたこだわりのライフスタイルは、幅広い世代の女性たちの憧れの的に。現在は、東京のほか、パリのモンマルトルに家を構えて行き来する精力的な日々を送っているそうです。

島田順子の身長やプロフィール、その偉大すぎる経歴は?

島田順子は、1941年生まれで、出身は千葉県館山。千葉県立安房高校(当時は安房二高)から、杉野学園ドレスメーカー女学院に進み、1966年に、憧れの地であったフランスに渡ります。1968年に、パリの百貨店プランタンの研修室に入った島田順子は、1970年には、デザイナー集団マフィアへ。

1975年にキャシャレル社に入社して、子供服や紳士服、婦人服のチーフデザイナーとして活躍した後、1981年に「JUNKO SHIMADA DESIGN STUDIO」を立ち上げ、パリコレクションに参加しました。その後33年連続でパリコレに参加するという偉大な経歴の持ち主です。

島田順子は未婚で娘の今日子を出産!その後結婚した夫とは?

島田順子は未婚で娘の今日子を出産!父親はフランス人!

25歳でフランスに渡り、デザイナーとしてのキャリアを積みあげてきた島田順子は、キャシャレル社に入社して、チーフデザイナーとしてバリバリと活躍していた35歳のときに、娘の今日子を出産しています。娘の父親となったフランス人男性とは当時同棲中の仲。結婚には至らず、未婚のままシングルマザーになりました。

島田順子は、生むことを決意した理由を、「普通の女の人になりたかった。仕事だけでいくんじゃなくて。自分で決心して生んだんです」と語っています。しかし、出産から1年後には、そのフランス人男性とは別れてしまったそうです。

島田順子が結婚した夫とは?超遠距離の別居婚だった?

娘・今日子の父親であるフランス人男性とは別れてしまった島田順子ですが、47歳で、大恋愛の末に結婚します。お相手はフランス人ではなく、日本人。日本で海運会社に勤める27歳年下の山地三六郎です。パリに拠点をおいていた島田順子は、東京に住む夫とは超遠距離の別居婚の形を取りました。

しかし、優しかったという夫も、2010年に死去。それでも夫への想いは変わらないようで、離れて暮らしていたこともあって「今でも亡くなったような気がしないんです」と語っています。

島田順子が母校の制服をデザイン!……でも自分は人とは違う制服を着ていた?

70代にして、着こなしから、インテリア、ライフスタイルまでもが、多くの女性の憧れの的となっているファッションデザイナーの島田順子。2017年9月に「徹子の部屋」に出演すると、ファッショナブルさだけでなく、ライフスタイルにまで発揮される類まれなるセンス、さらに番組で語られた波乱万丈ながら自由で自立した人生に注目が集まりました。

ちなみに、2016年にパリコレクションデビュー35周年を記念して発売された単行本「島田順子おしゃれライフスタイル」の売り上げが順調だとか。「徹子の部屋」出演の効果もあって、島田順子についてもっと知りたいと思った視聴者が早速手に取った結果なのでしょう。

そんな島田順子のファッションセンスや自分の意思を自由に貫く姿は、すでに高校生の頃から存分に発揮されていました。千葉県の名門女子高・安房二高(現在の千葉県立安房高等学校)に進んだ島田順子は、紺のセーラー服が制服だったにもかかわらず、「黒のほうがシックでいい」と、1人だけ、黒のセーラー服を着て通学。通学鞄も真っ赤なものを選び、体操着もブルマーが主流だったところを、ショーツタイプのものを自ら選択するなど、周囲に迎合することなく自分流を貫いていたと言います。

そんな島田順子が、2008年に母校が合併するのに伴い、新しい制服のデザインの依頼を受けました。「品良くすてきで、誰にも似合いそうに……と、これまでの仕事で一番緊張しました」と、生徒たちのことを思ってデザインした制服は、ダブルタイプの金ボタンの紺色ジャケットという、シンプルながら個性的なもの。島田順子らしいスタイリッシュさにあふれています。

生徒たちへのメッセージを求められると、「八方美人のいい子にならず、周囲に反対されても興味のあるものをとことん追い求めてほしい」と答えるあたり、島田順子の自由で己を貫く姿勢がうかがえるというものです。さすが、1人だけ黒色のセーラー服を着て、真っ赤な鞄をもって通学していただけはある島田順子。何物にもとらわれない自由な姿勢を徹底させ、自らの力だけで成功をつかんだ人ならではのメッセージと言えそうです。

関連記事

ページ上部へ戻る