新庄剛志は伝説の宇宙人野球選手!引退理由が前代未聞だった!

新庄剛志は伝説の宇宙人野球選手!引退理由が前代未聞だった!

2022年1月19日 更新

新庄剛志は伝説の宇宙人野球選手!出身校やプロ野球入りの経緯は?

新庄剛志は野村克也に「宇宙人」と呼ばれた伝説の超個性派野球選手!その魅力は天才肌と華やかな雰囲気にあり!

新庄剛志は、人には想像のつかないパフォーマンスや奇抜なファッションで伝説となった超個性派プロ野球選手です。阪神時代には、野村克也監督が「宇宙人」と呼び話題になりました。数々の言動ばかりが取り上げられがちですが、抜群の外野守備と、勝負強いバッティングも印象に残る新庄剛志。通算成績だけで見ればそれほど突出したものはないにもかかわらず、なぜか伝説の宝庫となっています。

何より新庄剛志の魅力は、天才肌なプレーと華やかな雰囲気にありました。1972年1月28日生まれ、45歳となる新庄剛志。長崎県下県郡美津島町(現・対馬市)生まれで、福岡県福岡市南区出身。小学校時代から野球を始めていますが、その身体能力の高さと、目立ちたがり屋の性格はすでに表れていたようです。

西日本短期大学附属高校から1989年に、ドラフト指名5位で阪神タイガースへ入団。3年目の1992年5月にスタメン出場すると、特大のホームランで一躍人気者となります。亀山努とともに、そのシーズンの優勝争いの原動力となった新庄剛志は、「亀新フィーバー」と呼ばれる熱狂を巻き起こします。

決して確実ではないものの、勝負どころで放つ劇的な一打と、ゴールデングラブ賞を10回も受賞した華麗な守備力は、ファンを大いに沸かせました。2001年から3年間はメジャーリーグでプレー。新庄剛志のプレースタイルはアメリカのファンをも釘つけにします。

2004年からは、日本に戻って北海道日本ハムでプレーし、2006年のチーム日本一を花道に現役引退。その後は、タレント、実業家、クリエイターなどとして活動し、現在は、バリ島で優雅に暮らしているとのこと。本人は、「宇宙人」と呼ばれることを嫌っていたといいますが、物事に束縛されない彼の本質を言い当てていたように思えます。

新庄剛志の出身校は西日本短大附属高!プロ入りの決め手は父親の一言だった?

新庄剛志の出身校は、福岡県にある西日本短期大学附属高校です。入学に至った経緯には、父親からの薦めの影響もあったと伝えられています。高校入学後は、野球部で寮生活を過ごす日々。高校3年の1989年、1番センターで出場した全国高校野球福岡大会4回戦で、高校時代初のサヨナラ安打を記録。決勝では初のサイクルヒットを達成したものの試合には敗れ、甲子園出場にはとうとう手が届きませんでした。

同年秋のドラフト会議では、阪神タイガースから外野手として5位指名。その強肩は、高校生選手として破格の評価がされていたと言われます。しかし、指名順位が「5位」だったこともあり、親子でプロ入りの是非を話し合ったようです。もし、プロ球団からのドラフト指名がなければ、九州産業大学への推薦入学が決まっていた新庄剛志。最終的には、「おまえが行けなかった甲子園でプレーできる」という父親の一言が決め手となり、阪神に入団することとなりました。

新庄剛志の現役時代の年収と通算成績!引退理由が前代未聞だった!

新庄剛志の現役時代の通算成績は3割30本塁打1度もなし!その年収は10億円だった?

新庄剛志の現役時代の日本球界通算成績は、実働13年間で、1411試合出場5163打数1309安打205本塁打716打点、打率2割5分4厘。メジャーリーグでみると、実働3年間で、303試合出場876打数215安打20本塁打100打点、打率2割4分5厘を記録しています。打率3割、30本塁打を達成したシーズンは1度もない新庄剛志。単に打撃成績だけで見ると、物足りなさすら感じます。

打率2割前半にとどまるシーズンも多いですが、その反面で、劇的な場面で魅せる才能には天賦のものがありました。特に、1999年6月の巨人戦で、敬遠球をサヨナラ打してみせたシーンは伝説として記憶されています。引退後の2015年に行われた阪神球団アンケート「思い出のシーンベスト10」でも第6位に選ばれたほどです。

2004年の日本ハム時代にも、オールスター戦でホームスチールを演じてみせるなど、記録ではなく記憶に残る選手として、新庄剛志はトップクラスでしょう。外野守備においては、メジャーリーグでは「ロケットアーム」と呼ばれた強肩で、ゴールデングラブ賞を受賞すること実に10回。たびたび敢行してみせるダイビングキャッチなど、魅せる才能は、守備でも随一でした。

野村克也監督が、「あれほどの強肩。キャッチャー経験者としてどんな球を投げるか興味が湧く」と、ピッチャー起用したのも納得できます。気になる新庄剛志の年収ですが、一時期は、野球で3億円、CMやテレビ出演で6~7億円、計10億円ほど稼いでいたようです。

しかも、その年収が7年ほど続いたとか。破格レベルの年収ですが、今はほとんど収入がないとも伝えられています。それでも海外生活を謳歌しているということは、暮らしていけるだけの年収は十分確保できているのでしょう。チャラチャラと遊んでいるだけのように見えますが、ビジネスマンとしての才覚があるのかも知れません。

新庄剛志の現役引退発表はシーズン序盤!前代未聞の引退理由は体調面にあった?

新庄剛志が現役引退したのは2006年のシーズンのこと。その理由もまた、世間をあっと驚かせる前代未聞のものでした。引退発表時期も唐突で、シーズン序盤の2006年4月18日、東京ドームのオリックス戦で、シーズン1号ホームランを「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニフォームを脱ぎます打法」と命名。開幕してまだ間もない時期にもかかわらず、シーズン限りでの現役引退を表明しました。

改めてヒーローインタビューで引退宣言すると、メディアは騒然。引退表明以降のマスコミからの注目度はいやがうえにもアップし、彼の言動は、「新庄劇場」として、ワイドショーなどでも取り上げられるようになりました。ファンの署名活動や球団からの撤回要請を受けるほど、引き留められ続けた新庄剛志。しかし、前言撤回することはなく、チーム日本一となったところで花道を飾ることになりました。

さて、彼の引退表明には、幾多の理由が挙げられています。それは、「動体視力の低下」「守備能力の衰えと体力の限界」「左内太股の故障」などの体調面に加え、「開幕戦観客満員による達成感」。特に目の衰えは数年来深刻化していたようで、2002年頃から原因不明の痛みに悩んでいたことも明かしています。新庄剛志の天真爛漫な笑顔の奥には、他人には分からない体調の悩みが隠されていました。それを一切気付かせなかったわけですから、彼は真のプロフェッショナルだったと言えるでしょう。

新庄剛志「しくじり先生」で22億円損失の過去明かす!離婚のやり取りもメールで済ませていた!

今やバリ島で悠々自適の生活を過ごしているはずの新庄剛志ですが、テレビ朝日系「しくじり先生 俺みたいになるな!!」へ出演し、自らの失敗談を赤裸々に告白しています。番組中では、彼が稼いだ驚きの収入額と、その収入をほとんど知人に流用された過去が明かされました。現役時代は、野球だけでなく、テレビやCM出演のギャラも膨大に手にし、「野球はマジでバイトみたいなものだった」と振り返りました。

しかし、信頼していた会社経営者に自身の金銭管理を任せっきりにしていたところ、その知人は、新庄剛志の金を自分の会社経営資金へと転用。新庄剛志がその事実を知ったのは、現役引退後のことでした。バリ島移住を決めた際、「結構残っているだろう」と収入残高を確認したところ「残っているのは2200万円だけ」。大半の金銭が知人の会社経営に充てられてしまい、裁判沙汰にまで発展しました。

結局、戻ったのは8000万円だけで、2006年に、知人の破産手続き完了したことで裁判も終了。騙されていたことを知った新庄剛志は、「一番悪いのは、他人に金の管理を任せた自分」と生徒へ教訓を示しました。また、現役引退と時期が重なった離婚についても言及しています。元妻でタレントの大河内志保との離婚が、メールのやり取りだけで進められたという仰天のいきさつが明かされました。

バリ島から、「今日からバリ島に住むことに決めたので、離婚しよう」とのメール連絡で済ませたとか。ううむ、さすがは新庄剛志。現在は、モトクロスレーサーを目指して練習に励む日々を送っていますが、また世間を驚かせることをやってのけるような気がしてなりません。

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