杉田祐一は天才ガスケを破って急浮上!錦織圭に次いでATPツアー初制覇!

杉田祐一は天才ガスケを破って急浮上!出身校やテニス経歴は?

杉田祐一が天才ガスケを撃破する大金星!大金星で自己最高73位に急浮上!

2017年7月に、トルコで開催されたアンタルヤ・オープン決勝でATPツアー初優勝を果たした、プロテニス選手の杉田祐一(すぎたゆういち)。実は、同年4月に行われたバルセロナ・オープンでも、7月の優勝を予見させるような活躍を見せていました。

もともと予選で敗退した杉田祐一でしたが、第2シードで出場予定だった錦織圭の欠場により本戦に出場。1回戦で、元世界ランキング5位のトミー・ロブレドに勝利すると、2回戦では、第9シードのリシャール・ガスケ(フランス)と対戦します。第1セットは落としたものの、第2セットで粘り強くポイントを重ねてセットカウント1-1のタイに持ち込んだ杉田祐一。ファイナルセットでは双方譲らぬ攻防が続きましたが、ミスが増えてきたリシャール・ガスケの隙をついて杉田祐一が先にブレークに成功しました。

2本のマッチポイントを握った直後の第10ゲームでタイブレークをものにして、天才と謳われたリシャール・ガスケを撃破する大金星を挙げています。続く3回戦でも第7シードのパブロ・カレーニョ・ブスタに勝利するなど、杉田祐一はシード選手を続けて撃破し、ATP500大会で初のベスト8進出を果たしました。準々決勝で第4シードのドミニク・ティエムに敗れたものの、大会後のランキングでは、自己最高の73位に急浮上しています。

杉田祐一は早稲田大入学後スランプに苦しんだ!低迷期を経てトップ50入りへ!

杉田祐一は、1988年9月18日生まれで、宮城県仙台市出身。身長176cm、体重67kgです。7歳からテニスを始めた杉田祐一は、ジュニア時代、国際的に活躍できる選手育成を掲げる吉田記念テニス研修センター等で練習に励みました。神奈川にある湘南工科大学附属高校に進学すると、2005年のインターハイシングルスで優勝を飾り、2006年10月に、三菱電機と契約してプロに転向。直後に開催された世界スーパージュニアテニス選手権大会で、日本人として12年ぶりとなる男子シングルス優勝を決めています。

早稲田大学に進学した2007年には、デビスカップ日本代表にも選ばれ、当時の最年少勝利を記録しました。その後はスランプに苦しみ、ATPランキングが1000番台まで落ち込むなど低迷しますが、2008年6月に日本で開催されたツアー下部のフューチャーズ大会で優勝すると、以後はフューチャーズ大会4連覇。シングルスランキングも、1007位タイから341位まで大幅にランクアップしました。

2014年に念願のウィンブルドン選手権に初出場したほか、2016年には推薦枠でリオオリンピック初出場。シングルス2回戦で敗退したものの、同年の世界ランキングではトップ100位に入るなど躍進し、2017年も徐々にランキングを上げてきました。アンタルヤ・オープン優勝後は、44位と、トップ50入りを果たしています。

杉田祐一は遅咲きの天才!ATPツアー初制覇の内容は?

杉田祐一は遅咲きの苦労人!開花まで時間がかかったプロ人生にも「苦労してよかった」と語る!

杉田祐一の経歴は、松岡修造や錦織圭のように恵まれた環境でテニスの英才教育を受けたエリート選手とはやや異なります。もともと「将来性豊かな期待の天才」として知られていた杉田祐一は、高校3年生のときに「大阪スーパージュニア選手権」で優勝し、三菱電機とプロ契約。トップアスリート入試で早稲田大学へ進学するなど、順風満帆のように見えました。

しかし、大学進学後にスランプに陥り迷走し始めます。その低迷ぶりは、テニスファンの間で「あの人は今」と呼ばれるほどでした。当時を振り返った本人の弁によると、低迷の原因は、「ランキングに気を取られてしまい、何もかもグチャグチャになった」から。その後も、錦織圭に注目が集まる裏で、華々しい活躍とはあまり縁のないテニス人生を送ってきました。

しかし、アンタルヤ・オープン優勝で、世界ランク46位が最高位だった松岡修造を抜いて、44位に浮上。現在28歳と、開花するまでかなりの時間を要した遅咲きのプロ人生とも言えますが、「苦労してよかった。何度も腐りかけたが、戻ってこられた。そんな人生を経験できた」と振り返っています。

杉田祐一のATPツアー初優勝までの試合!「今までの選手生活でもっとも感動した」と感極まる!

杉田祐一のATPツアー初優勝までが気になる所。アンタルヤ・オープン大会は、2017年度から新設されたウィンブルドン選手権の前哨戦です。2回戦で、第4シードで元世界ランキング3位のダビド・フェレール(スペイン)を撃破した杉田祐一は勢いに乗ります。続く準決勝では、元世界ランキング8位のマルコス・バグダティス(キプロス)が脱水症状で棄権したため、自身初となるATPツアー決勝進出を果たしました。

決勝では、同じくツアー初優勝を狙うアドリアン・マナリノ(フランス)と対戦し、積極的な試合運びで相手に揺さぶりを掛けて、第1セットを先取。日中は気温40度を超える過酷な環境で、「何とか気力で戦った」と振り返っている杉田祐一は、ブレーク合戦になった第2セットを気力でしのいで見事に同大会の初代王者に輝きました。

このATPツアーシングルス優勝は、日本人選手では、松岡修造と錦織圭に続く3人目の快挙で、芝コートでのツアー大会としては、日本人初優勝となります。初制覇の瞬間は、芝コートに倒れ込んだ杉田祐一は、感極まってか両手で顔を覆いました。「信じられない。今までの選手生活でもっとも感動した」というコメントが、彼の心中をよく表しています。

杉田祐一を錦織圭が「本当にストイック」とリスペクト!松岡修造も「2人目の師匠が誕生した!」と喜び爆発!

杉田祐一を評して、「サーブだったり、前に入ったりというプレーができれば、世界ランキング30位とか20位に上がって来ると思う」と会見で語ったのは錦織圭です。「彼の長所はストロークで弱点がなく、他の選手と打ち合える力がある」ともコメントしています。また、1歳年長の杉田祐一について、「ストイックで、時には仙人みたいな、修行に出るみたいな発言や行動がある。学ぶところはかなりあります」とリスペクトする様子ものぞかせました。

一方、スポーツキャスターの松岡修造は、自身のブログで、ATPツアー初制覇した杉田祐一の快挙に喜びを爆発させています。「ウィンブルドンの前にとんでもないことが起きた!」と冒頭から熱さを炸裂させ、「一番うれしいことは……僕のランキングを抜いてくれたことだ!」と喜びが爆発。さらに、「次はウィンブルドンだ。錦織圭選手についで、僕にとって2人目の師匠が誕生した!」とエールを送りました。

こうして2017年7月3日に開幕した、テニスのウィンブルドン選手権。世界ランキング44位の杉田祐一は、錦織圭に続く2回戦突破に挑みました。対戦相手は、アンタルヤ・オープンの決勝で撃破したアドリアン・マナリノです。結果は、第5セットまで持ち込んだものの、ブレークを許してしまい、自分のペースに持ち込めないままリベンジを許す形に。

「最後は体力的に粘り強く打ち続けられなかった」と試合を振り返った杉田祐一ですが、一方では「ベストなプレーを出せばハイレベルな選手にも勝てる」と手ごたえをつかんだ様子でした。ウィンブルドンでは2回戦で敗れたものの、「できればグランドスラムでのシード権(世界ランク32位)を狙いたい」とコメントしていた杉田祐一ならば、近いうちにまた快挙を演じてくれそうな予感がします。

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