角盈男は前立腺ガンを完治し現在はスナックを経営!息子は元千葉ロッテの選手だった

角盈男が前立腺がんを宣告されていた!現在はスナックを経営

角盈男は前立腺ガンを宣告されるも早期発見で全身転移せず!

角盈男(すみみつお)は、リリーフとして活躍した元プロ野球選手です。近年はガンに侵される有名人の話題が良く聞かれますが、角盈男も前立腺ガンが発見されています。後援者に勧められて久しぶりに検診を受けることになり、数値がよくなかったため再検査を受けたところ宣告されたのが前立腺ガンでした。

もう少し発見が遅れていたら、全身に転移する可能性が高い状態だったそうです。前立腺ガン治療方法は、摘出手術や放射線治療が一般的ですが、角盈男は、日本では4カ所しか設備がないという重粒子線治療を選択しました。完治まで約2年を要し、治療費は300万円以上かかるという高額な方法ですが、少し前に妻が特約のガン保険に加入していたため、それほど金銭負担はかからなかったとのことです。

ガンが発見されたことは相当なショックだったでしょうが、妻の明るさに励まされ、いつも前向きに過ごせたことが何よりの救いだったと明かしています。

角盈男は夫婦でスナックを経営!店の名前の由来は?

現在、角盈男は、東京の恵比寿で、歌謡スナック「m-129」を経営しています男。オープンは2009年で、それ以来ずっと夫婦で切り盛りしてきました。自身がオーナーを務めているこのスナックに、角盈男は、仕事がない日はよく顔を出しているとのことです。

店の名前「m-129」は、次男がかつて所属していた千葉ロッテマリーンズの「m」と、入団時の背番号「129」に由来しています。スナックは、連日ファンの男性客が訪れて繁盛しているものの、年齢層は比較的高めとか。そのため、オーナーとしては、「若いお客さんがいないから、この先どんどん客足が減っていってしまうかもしれない」と心配することしきりなようです。

しかし、妻からの「先のことを悩むより、今のお客さんを大切にすることが大事でしょ」という一言で、悩みが吹っ切れたそう。若手芸人の女の子が店でアルバイトをしていた際には、お笑いの仕事が入ると「店はいいから」と配慮したり、収入が厳しい時は給料に上乗せしたりと、オーナーとして懐の広さを見せている角盈男。働く人にも優しいのですから、店が繁盛するのもうなずけるというものです。

角盈男の現役時代の成績は?結婚した妻や息子は?

角盈男の現役時代は主にリリーフ役で通算99セーブ!変則的なフォームでバッターを翻弄!

左サイドの変則フォームから球速以上に伸びのある速球を放ってバッターを翻弄。1980年代の巨人軍で、勝利の方程式の一角として存在感を発揮しました。現役引退後は、野球解説やコーチを務めるほか、タレントとしても活躍しています。
角盈男の現役時代の通算成績は、15年間で618試合に登板して、38勝60敗99セーブ、防御率3.06。961と2/3回を投げ、先発43試合中3完投、888奪三振です。主なタイトルは、最優秀救援投手1回と新人王でした。

1976年に、ドラフト3位で読売ジャイアンツから指名を受けてプロ入りした角盈男は、ルーキーイヤーの1978年に、5勝7セーブの成績で新人王を獲得しました。ノーコンで不調に陥ったものの、サイドスローに転向したことでコントロールが向上。変則的なフォームでバッターがタイミングを取りにくいことや連投が利く利点を生かして、早くからリリーバーとして登板します。

1981年には、8勝20セーブの成績を挙げて、勝利の方程式として大活躍!最優秀救援投手のタイトルを獲得し、チームのリーグ優勝と日本一奪回に貢献しました。長く巨人のリリーフ陣の核として存在感を見せながら、救援失敗などで出番が減った角盈男は、1989年シーズン途中に、出場機会を求めて日本ハムへ移籍します。

すると、先発として初完投するなどシーズン3勝を挙げ、1992年にはヤクルトへ移籍して、再びリリーフ役に回り、チーム14年ぶりのリーグ優勝に貢献。同年限りで通算100セーブを目前に現役引退しています。当時の監督だった野村克也は、「引退するとは思っていなかった。それなら100セーブ獲らせてやればよかった」と語るも、本人はセーブポイントで100を超えているので納得しての引退だったようです。

角盈男は現在の妻とは再婚!息子は元千葉ロッテの選手だった!

角盈男の家族構成はどうなっているのでしょうか?実は、社会人野球時代に結婚し、子供ももうけたものの離婚した角盈男はバツイチです。その後、大学教授の秘書をしていた現在の妻と出会い、30歳で再婚しました。当時の角盈男は、前妻への慰謝料や養育費などで一説には1億円ともいわれる借金を抱え、本業の野球も低迷。酒浸りで、生活も荒れ放題だった角盈男は、「実は死のうと思ってた」と後に告白するほど最悪の状況でした。

しかし、現在の妻との出会いで立ち直りのきっかけをつかみます。妻は、借金返済に充てるため、上京してようやく手に入れたマンションを売却するなど献身的に尽くしました。精神面でも、荒みきった角盈男をサポートし、ついに結婚。妻の協力のかいもあり、莫大な借金はすべて返済を終えています。

その妻との間にもうけた息子は2人です。長男は、独立リーグに所属して野球を続けていましたが、現在は会社員として暮らしています。次男は、プロ野球千葉ロッテの選手でしたが、現在はBCリーグ武蔵ヒートベアーズに所属。親子でプロ野球選手になれたということ自体、非凡さの証明と言うべきなのでしょう。一方で、プロで親子鷹として活躍することは、やはり相当難しいのだとも思い知らされます。

角盈男が野村沙知代お別れの会に参列!かつての大食漢も還暦を迎えて美食家に変身!

ヤクルトなどの監督を歴任した野村克也の妻で、2017年12月に逝去した野村沙知代の「お別れの会」が開かれ、角盈男ら故人とゆかりの深い顔ぶれが参列しました。1995年にヤクルトの1軍ピッチングコーチを務めていた角盈男によれば、コーチ陣はこっそりと「サッチー」と呼んでいたそうです。

また、ヤクルトが日本一になった時に、「監督がバスを降りたところでサッチーが抱きついてきた」出来事が印象に残っていると明かしています。それには、オーナーから「今年が最後」と言われたそのシーズン、目にもの見せるという覚悟で臨んでいたという背景がありました。

「リーグ優勝した時と、日本一になった時に『ありがとう』と言われた」という話からも分かるように、サッチーの喜びもひとしおだったのでしょう。そのハンパない存在感は「陰の監督だった」という角盈男の感想が的を射ているようです。そんな角盈男は、昔から大食漢で知られていました。

何しろ、スポーツ選手は体が資本ですから、食べることも大事です。1日6食平らげるほど食欲旺盛だった角盈男が、量ではなく質に目覚めたのは、プロ入りして以降のことでした。先輩に連れて行ってもらった寿司屋で初めて食べた中トロの美味しさにすっかりハマった角盈男は、以後、寿司屋では中トロしか注文しないように。プロともなると、行きつけの店でいただくのは、寿司にフグ、ステーキの絶品ばかり。

それらを食するたびに、プロの世界で頑張ろうというモチベーションがさらに湧き、プレーする原動力になったのだそうです。しかし現在は還暦を迎えたこともあって、大食漢から美食家に変身。今こだわっているのは、1個100円くらいする卵とか。前立腺ガンを患ったこともあり、良いものを適量食べることで、健康に留意していると明かしている角盈男。現在は、ガンを患っていたとは思えない精力的な活動ぶりを見せている角盈男には、ますます活躍を続けていってほしいですね。

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