諏訪内晶子の両親も音楽一家?夫との泥沼離婚とシャルル・デュトワ騒動をふり返る!

諏訪内晶子の両親も音楽一家?夫との泥沼離婚とシャルル・デュトワ騒動をふり返る!出典:http://www.kyotoconcerthall.org

諏訪内晶子はチャイコフスキーコンクール優勝者!両親や実家は音楽一家?

諏訪内晶子はチャイコフスキーコンクール優勝者!著名オーケストラとも共演!

諏訪内晶子(すわないあきこ)は、世界的に活躍しているバイオリニストです。3歳の頃からバイオリンを始め、数々のコンクールで第1位になってきました。桐朋女子高等学校音楽科在学中には、18歳という史上最年少で、チャイコフスキー国際コンクールの審査員全員一致で優勝しているのですから、その実力は世界が認めているといっても過言ではありません。

桐朋学園大学音楽部ソリスト・ディプロマ・コースを修了した諏訪内晶子は、1991年秋から、米ニューヨークのジュリアード音楽院へ留学し、本科・修士課程を修了。現在はパリに拠点を置き、世界的に活躍するバイオリニストとして、ニューヨーク・フィルやベルリン・フィルなど、世界各国の著名オーケストラとの共演も行っています。

諏訪内晶子の両親や実家は音楽一家?バイオリンに目覚めたきっかけは?

諏訪内晶子がバイオリンを始めたきっかけは、父親が買ってきた童謡のLPだそうですが、実家はごく一般的な家庭で、音楽一家というわけではありませんでした。LPを大変気に入った諏訪内晶子の様子を見た両親は、娘が2歳半の時に音楽教室に連れていきます。

その際にバイオリンと出合い、3歳から音楽教室に通い始めたことが、バイオリニストになる道へと繋がりました。小学4年の頃に、全日本学生音楽コンクール小学生の部の東日本大会では1位になったものの、全国大会では優勝を逃したことで意思の弱さを痛感したという諏訪内晶子。それからは、自らの生活を律して、規則正しい生活の中で練習を積み重ね、結果を出せるようになっていきました。

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諏訪内晶子とよく比較されるバイオリニストに五嶋みどりがいますが、彼女は、母親の五嶋節も、腹違いの弟の五嶋龍もバイオリニストという、絵に描いたような音楽一家に育っています。このような点からは、諏訪内晶子と五嶋みどりは、実に対照的なバイオリニストと言えそうです。

諏訪内晶子がシャルル・デュトワと不倫?夫との泥沼離婚と脱税騒動を振り返る!

諏訪内晶子が指揮者のシャルル・デュトワと不倫?整形外科医の夫との馴れ初めは?

諏訪内晶子は、2005年に、整形外科医と結婚しました。馴れ初めは、諏訪内晶子が右手首を痛めた際に受診したことで、自然に交際に発展していったと言います。結婚相手となった整形外科医は、もともと別の女性と結婚して子供もいたそうですが、離婚して、諏訪内晶子と再婚したようです。

しかし実は、夫と元妻の関係は、諏訪内晶子と結婚した後も続いていました。一方で、パリに活動拠点を移した諏訪内晶子も、クラシック界のモテ男と言われているスイス人指揮者のシャルル・デュトワと不倫騒動を起こしています。そのため、諏訪内晶子と夫は、いわゆるダブル不倫となり、その関係性は悪化の一途をたどりました。その後、第一子を出産した諏訪内晶子ですが、夫との関係が微妙な時期だったため、シャルル・デュトワとの間にできた子供なのではないかとも噂されています。

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諏訪内晶子と夫の泥沼離婚と脱税騒動を振り返る!夫が明かした脱税方法とは?

諏訪内晶子とシャルル・デュトワの不倫が発覚したことをきっかけに、諏訪内晶子と夫との仲は一気に悪化。諏訪内晶子が夫から暴力を受けたとして裁判沙汰にまで発展しました。すると、夫がさらに別の女性とも愛人関係を結ぶなど、2人の仲は修復不可能なほどに泥沼化していったと言います。

財産分与で揉めていた際には、夫が、諏訪内晶子の脱税に関する情報を暴露。それを受けて、2011年7月には、諏訪内晶子の約9000万円の巨額脱税容疑が報じられました。記事によると、海外での報酬はキャッシュで受け取り、一定額が貯まってから銀行に預金するという方法を取っていた諏訪内晶子は、海外報酬分を申告していなかったとか。

とはいえ、海外所得に関する見解の相違や事務手続きの不備により申告漏れが生じてしまったことは認めながらも、脱税は意図的なものではなかったと釈明しています。その後、泥沼化した夫との仲は、正式に離婚する形で落ち着きました。

諏訪内晶子の「国際音楽祭NIPPON」は5年目!この音楽祭を始めたきっかけについて

諏訪内晶子は、自らが企画した「国際音楽祭NIPPON」という音楽祭を2013年から行っており、2017年で5年目となります。7月には、名古屋や東京での演奏会&講習会が開催されたのに続き、母校・桐朋学園の学生らと共に、岩手県久慈市での無料コンサートも行われました。

諏訪内晶子がこの「国際音楽祭NIPPON」を企画したのは、「長く活動を続けるには演奏がうまいだけでは足りない。総合的な力がなくては」との思いを常に抱いていたからです。それに加えて、2011年に東日本大震災が起こったことで、次世代のために自分ができることが何かを考え始め、「私がいいと思う音楽を伝えていくことだ」と考えるに至ったからでした。

今が旬の作曲家に音楽祭委嘱作品を依頼し、一流アーティストである音楽仲間たちと対話を重ね、美術館や記念館など、コンサートホール以外の場所で開催される「国際音楽祭NIPPON」。それは、諏訪内晶子の「音楽を届けるべきところに継続的な支援を行いたい」という理念に基づいたもの。

「若い人への思いがこもった、未来へ向かう音楽祭」と諏訪内晶子が語るこの音楽祭は、長く続けば続くほどに、意義や価値が大きなものとなっていくに違いありません。自らのキャリアを社会のために役立てようとする諏訪内晶子の挑戦は素晴らしいものです。世界を舞台に活躍する音楽家として、また、さまざまな人生経験を重ねた1人の女性として、彼女の音色はますます深みを増し、今後も多くの人々の心を癒していくことでしょう。

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