鈴木亜久里のF1現役時代とは?マシントラブルの原因はすべて電気系?

鈴木亜久里のF1現役時代とは?マシントラブルの原因はすべて電気系?出典:https://jp.motorsport.com

鈴木亜久里のF1現役時代はどんな選手?父・鈴木正士とは?

鈴木亜久里はF1現役時代に日本人初の3位を獲得!

鈴木亜久里(すずきあぐり)は、日本人で初めてF1の表彰台に上ったレーシングドライバー。父・鈴木正士の影響でカートを始めた鈴木亜久里は、中嶋悟に次いで、1988年に、日本グランプリにスポット参戦する形でデビューしました。

翌1989年から、チーム「ザクスピード・ヤマハ」に所属し、F1にフルタイム参戦しはじめます。しかし、さまざまな要因が絡み合い16戦全てのレースで予備予選落ちする結果に。1990年には、鈴木亜久里のパーソナルスポンサーだった、伊東和夫がオーナーのチーム「ラルース」に移籍し、ランボルギーニ製エンジンを搭載した「エスポ・ラルース・ランボルギーニ」マシンで参戦しました。

背水の陣の覚悟で臨んだこの年は、シーズン中盤から入賞圏内に入り、日本グランプリで、念願の3位となり表彰台に上ります。鈴木亜久里の次に日本人ドライバーが3位表彰台に上がるのは2004年であることを考えれば、いかにスゴい快挙を成し遂げたかが分かるというもの。自分の経験不足を補うために、F1レース以外にも、スポーツカーの耐久レースに出場するなど努力を重ねて手に入れました。

鈴木亜久里を育てた父・鈴木正士はカート発展に尽力した人物だった

鈴木亜久里の父・鈴木正士は、日本人とフランス人の間に生まれたハーフです。つまり、鈴木亜久里はクォーターです。父・鈴木正士は、大学卒業後、当時の本田技研に入社。本田航空で整備などを経験した後に、自らカートショップ「ビック」を設立しています。かねてよりレーサーの浮谷東次郎と親交があったという鈴木正士は、その影響で、レーシングカートの普及活動にも力を入れました。

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そして、息子の鈴木亜久里もカートを始めます。日本の自動車産業の勃興期を生きた父・鈴木正士は、他にも、レーシングドライバーの生沢徹や、本田宗一郎の息子・本田博俊とも交友関係にあるなど、幅広い人脈を持っていました。そのため、息子の鈴木亜久里は、本田宗一郎にも可愛がられていたといわれています。

鈴木亜久里といえば名物・電気系統ネタ!妻や息子は?

鈴木亜久里の名物・電気系統ネタ!マシントラブルの原因はすべて電気系?

F1にデビューを飾った当初は、「ヤマハ」や「ラルース」チームから参戦していた鈴木亜久里。1992年に「フットワーク」へ移籍後は、マシントラブルに苦しめられ、思うような戦績を残せない苦難の時期を迎えていました。「フットワーク」移籍当初、鈴木亜久里の乗るホンダ製V10エンジン搭載マシンには大きな期待が集まりましたが、思ったような結果を残せずにシーズンを終了。

翌年は、改良によってマシンバランスが改善し、シーズン中盤は予選上位に食い込むレースを続けたものの、後半は、マシントラブルによるリタイヤが続きました。リタイヤ後のインタビューを受けるたびに、「電気系統のトラブルが……」「んー、電気系が……」とコメントする鈴木亜久里には、「名物・電気系統ネタ」と揶揄する声も。

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言い訳男というイメージが定着してしまいますが、実際のところは、リタイヤ直後ではトラブル原因が不明なことも多く、理由を的確に説明することは難しかったという面も否めません。

鈴木亜久里が妻と結婚した理由は?イケメン息子はF1レーサーになるのか?

鈴木亜久里は、イケメンドライバーとして大人気で、現役当時は、数多くのCMにも起用されていました。とはいえ、積極的に芸能活動を行っていたわけではないので、鈴木亜久里の妻や息子について公にされている情報はそれほどありません。鈴木亜久里と妻が知り合ったのは、大学時代だったようで、F1にデビューした1988年頃に結婚しています。

付き合っていた当時は交際を秘密にしていましたが、新聞にスクープされたことがきっかけで結婚を決意したとか。鈴木亜久里の息子は、鈴木瑞翔(すずきみずは)です。海外の学校に留学経験があり、進学先として、フランスにある名門校パリ政治学院や、イギリスのLSE(ロンドンスクールオブエコノミクス)の名前が挙がっています。

英語やフランス語も堪能な鈴木瑞翔は、父親譲りの爽やかな笑顔のイケメンで、身長が190cm近くあります。2014年には、FIA(国際自動車連盟)でインターンとして働く姿がキャッチされていることから、レーサーになる可能性は限りなく低そうですが、F1に関わる仕事を選択することはあるかもしれません。

鈴木亜久里とF1!お金にまつわる事情

鈴木亜久里は、中嶋悟に次いで日本人2人目となったF1フルタイム参戦レーシングドライバーです。1990年に開催された日本グランプリにおいて3位となり、F1の表彰台に上りました。これは日本人としてばかりでなく、アジア人としても初めての快挙でした。

チーム「ラルース」で3位入賞などの活躍を遂げた後は、「フットワーク」や「リジェ」に移籍。アイルトン・セナや、ミハエル・シューマッハとも交流があるなど、一見するととても華やかなレーサー人生を送っていました。しかし、F1とは、やはり非常に厳しい勝負の世界。

1995年、最後の花道と思い定めた日本グランプリ予選中に、肋骨骨折および肺挫傷という重傷を負ったことから、現役を引退した鈴木亜久里。以後は、レーシングチーム監督などを務めてきました。2017年3月に放送されたテレビ東京系のバラエティ番組に出演した鈴木亜久里は、当時のF1レースにまつわるお金事情について告白しています。

F1レースの現役として活躍していた時代は、1年間の契約金がおおよそ7~8億円程度で、ピーク時には「10億円弱くらいだった」と明かし、会場中が驚きの声が広がりました。現役引退後には、自身のF1チームを立ち上げ、レースに参戦した経験も持つ鈴木亜久里。

当時は、チームをレースにエントリーさせるだけで保証金として「55億円いるんです」とのことで、自身のチームの1年間の運営費は120億円ほどだったそうです。ちなみに、タイトルを争うようなトップチームの運営費は700億円くらいということですから、F1とは、想像以上に破格のお金がかかるモータースポーツ。現在、鈴木亜久里は、ARTAプロジェクト(オートバックスレーシングチームアグリ)を運営する会社で代表取締役をしています。今後は、鈴木亜久里が育てたレーシングドライバーが世界に羽ばたいていくことでしょう。

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