鈴木明子はバセドウ病、摂食障害と2つの病気を抱えていた!克服のきっかけや治療法は?

鈴木明子はバセドウ病、摂食障害と2つの病気を抱えていた!克服のきっかけや治療法は?

鈴木明子はバセドウ病、摂食障害と2つの病気を抱えていた!というのは間違い。摂食障害のみ

元フィギュアスケーター鈴木明子が、バセドウ病・摂食障害の病気ではないか?といわれています。ですが、、鈴木明子が実際に患っていたのは摂食障害のみ。バセドウ病とは、甲状腺ホルモンのバランスが崩れ、新陳代謝が活発になり過ぎて体に異常をきたす病気です。

そのため、汗をかきやすく、暑さに弱い、周囲からの理解が得られ辛い、いつ治るか分からないというのが特徴です。もう一つ、バセドウ病では、目が出る方がいます。そのため、目が大きいのが印象的な顔立ちの鈴木明子は、バセドウ病ではないかと噂されてしまたというのが事の真相でしょう。

摂食障害は、大学1年生の2013年頃のこと。体重が48Kgから32kgまで激減してしまいました。当然、顔も痩せ細ってしまったため、当時は、大きな目がより目立つようになりました。

とはいえ、鈴木明子の顔は、摂食障害で痩せ細ってしまったこと以外で特に変化はないため、バセドウ病の発症と共に目が出ているようにみえるというのは、やはり誤りのようです。

鈴木明子が克服したきっかけや治療法は?心のケアが重要!

鈴木明子はフィギュアスケーターとして体型を気にし過ぎてしまったこと、そして最大の原因として、母親との関係があったようです。鈴木明子の母親は、料理屋の女将をしており、何でもできる方だそう。自分ができることは、家族もできて当然という価値観。自分の娘が摂食障害に陥ってしまっても、なぜ克服できないのかが理解されなかったことが一番の悲しみだったと鈴木明子は語っています。

しかし、鈴木明子が摂食障害を克服していくきっかけとなったのもまた、母親の存在だったそうです。鈴木明子の母親も、娘が痩せこけていく姿を見て悩んだに違いありません。毎日のように、鈴木明子に「食べなきゃダメ」と言っていた母親の口から、「食べられるものから食べようね」という言葉が出たその時、鈴木明子は摂食障害克服へとスタートを切れたのです。

そして、スケートの舞台に戻りたいという一心で1年半という時間を掛け、見事、摂食障害の克服にいたった鈴木明子。摂食障害の治療法は多くの場合、何らかの不安障害や気分障害、パーソナル障害などの精神疾患の併存症がみられるため、心のケアが非常に大事です。そういった意味でも、鈴木明子の克服のきっかけとなった母の言葉は、鈴木明子にとって一番の薬になったのでしょう。

鈴木明子の性格は?摂食障害を告白したワケ!

鈴木明子の性格は?弱さと強さが極端な性格

鈴木明子の性格ですが、とても繊細な部分と、うまく行かないことに不満を露わにする気の強さ、そして、病気さえもねじ伏せるタフネスさをあわせ持っている性格です。ソチ五輪では女子フィギュアチームの主将を務め、若い選手の支えとなる大役を任せられるほど、鈴木明子はスケート連盟からの信頼も厚い選手でした。

引退の際には、恩師である長久保裕コーチが好きな「愛の賛歌」を選び現役最後を締めくくる、という粋なはからいのできる優しい性格でもあります。

鈴木明子が摂食障害を告白したワケ!

鈴木明子は2014年に写真週刊誌フライデーで、スケート人生が病気との闘いであったと告白しました。現役時代を振り返るとき、鈴木明子にとって病気を克服した事は、競技生活と切っても切れないものであったことは間違いありあません。現役引退したことにより、ようやく話せるようになったのでしょう。
フィギュアスケートに関するコラムも好評だという鈴木明子。現役引退をしても、支え続けるファン層の厚さがうかがえます。

鈴木明子の今後は!?裏方として好きなフィギュアスケートを支えていく!

鈴木明子は、グランプリシリーズ中国杯に出場した中京大の本郷理華選手のショートプログラムの振り付けをし、振付師として新たなデビューを果たしました。引退してからの鈴木明子は、顔つきが穏やかで、より健康的な印象になりました。振付師として、今後は、大好きなスケートの裏方として活躍できる喜びが伝わってきます。

鈴木明子自身も現役時代に苦しみ努力してきたからこそ、選手の辛い気持ちや苦しい場面での乗り切り方を後輩選手たちに指導できのでしょう。振付師としてだけでなく指導者としても、後進を育ててほしいですね。

鈴木明子は浅田真央の活躍に隠れがちでしたが、実は中学一年の時に、第一回全日本フィギュアスケートノービス選手権大会Aクラスで3位。高校では2000年から2001年のシーズンに全日本フィギュアスケートジュニア選手権で2位、全日本選手権で4位と常にトップに名を連ねる実力者。

尊敬していた長久保裕コーチに指導を仰ぐため、高校時代からは親元を離れて練習に励んできたそうです。ジュニア選手の中には鈴木明子と同じように、親元を離れる選手もいるでしょうから、そういった若い選手に対しても対応していけるはずです。
鈴木明子には、フィギュアスケートという華やかな舞台の縁の下の力持ちとして、頑張ってもらえるよう応援したいですね。

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