高橋恵子(関根恵子)と河村季里の失踪事件とは? 夫・高橋伴明と結婚を決意するまで

高橋恵子(関根恵子)と河村季里の失踪事件とは? 夫・高橋伴明と結婚を決意するまで

高橋恵子(関根恵子)が河村季里と起こした失踪事件の真相とは?夫や子供、孫は?

高橋恵子(関根恵子)は、70年代のグラビアアイドル

高橋恵子は最近、女性用ウィッグのTVCMで見かける美しい熟女女優です。1955年生まれの60歳。高橋恵子は1970年、中学卒業と同時に大映映画に所属。当時の芸名は、関根恵子でした。

デビュー映画「高校生ブルース」で、まだ16歳ながら大胆なヌードを披露し、以後も若者向け雑誌などで、おしげなくヌードになった関根恵子(現、高橋恵子)。たちまち当時の若者たちのグラビアアイドルとなりました。関根恵子(高橋恵子)は、今の女優で言えば、沢尻エリカや吉高由里子といった、少し尖ったイメージのある大人びた少女でした。大映倒産後、1972年には伝説の刑事番組「太陽にほえろ!」で、ジーパン刑事を演じた松田優作の恋人役を演じ、人気を不動のものとしました。

関根恵子(現、高橋恵子)は1970年代を代表する人気女優。純情可憐な見た目と、次から次へと過激な作品に挑むプッツン具合のギャップは、注目を浴びました。ところが、関根恵子自身は、世間が抱くこのイメージに悩み、一度は女優引退を考えたこともあったそうです。その時は引退を思いとどまったものの、ストレスがピークに達して、遂に1977年に自殺未遂騒動を起こしてしまいます。そして突如、女優業を休業して岐阜県の山村に引きこもります。関根惠子が女優復帰を申し出たのは、2年後の1979年初夏のこと。早々に舞台「ドラキュラ」への出演が決定しました。

高橋恵子(関根恵子)と、バンコク逃避行を行った河村季里という男

しかし、関根恵子(現、高橋恵子)は舞台をドタキャンし、タイのバンコクへと逃亡します。この2年間の山村暮らしと、タイへの逃避行を共にしたのが、劇作家であり小説家の河村季里でした。関根恵子(現、高橋恵子)は24歳、河村季里が35歳でした。タイへの逃避行生活は112日間に及び、両親から捜索願が出されるわ、マスコミが現地で張るわで大騒動。一大スキャンダルに発展します。

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関根恵子と河村季里の接点は、雑誌の対談だったそうです。芸能界を孤独に生きてきた関根恵子(現、高橋恵子)と、当時、サブカル文化の担い手であった河村季里が共に抱えていた、社会に対する強い不信感と反抗心が二人を結びつけたのかもしれません。しかしそれも男と女のこと、今となっては想像するしかありません。

関根恵子(現、高橋恵子)は数か月の逃亡後、日本に帰国。謝罪会見を開いた後は、憑きものが落ちたように女優業に開花し、大胆な演技も厭わない本格派女優の道を歩みます。しかし当時、関根恵子に共演NGを突き付ける役者も多く、風当りは相当なものだったといいます。そんな時、高橋伴明監督映画「TATOO<刺青>あり」に関根惠子(現、高橋恵子)が出演したことがきっかけで、熱愛関係に発展。半年間の交際を経て、同年にスピード結婚。これを機に、芸名も、関根恵子から高橋惠子へと変えたことを、高橋惠子は「女優・関根恵子は死んだ。」と表現しています。

今では2人の子供と孫にも恵まれ、文字通り”関根恵”子は死にました。

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高橋恵子(関根恵子)主演映画「高校生ブルース」デビュー秘話!ロマンポルノ「ラブレター」で女優開眼

高橋恵子(関根恵子)ヒット作、「高校生ブルース」「おさな妻」は、似て非なる作品だった

関根恵子(現、高橋恵子)は、中学3年の1年間、大映の研修所で演技のレッスンを積み、高校へは進学せずに、大映へ入社しています。そんな高橋惠子、当時の関根恵子の映画デビューは1970年。15歳の時でした。当初は「おさな妻」がデビュー作に決まっていましたが、怪我で降板した女優の代役として抜擢された「高校生ブルース」が正式なデビュー作。

興味本位から肉体関係をもってしまった女子高生が妊娠してしまい、相手の男子高校生が、あの手この手で中絶をさせようとするというあらすじだけでも、「高校生ブルース」は、当時としては刺激の強い作品です。同年に、高橋惠子がゴールデンアロー新人賞を受賞した「おさな妻」も、女子高生にして子持ち男性と結婚するという、決してライトなテーマの作品ではありません。しかし、「高校生ブルース」の高橋惠子は、今では考えられない衝撃的な体当たり演技をやってのけています。
何と15歳にして激しい濡れ場を演じているのです。ヘアが透け透けの下着姿などの演出の他、フルヌードまで披露するという体当たり演技は、とても清純そうな顔をした本物の女子高生とは信じがたいものでした。クラスメイト女子たちは、「妊娠なんてナンセンス!堕ろせばいいのよ!」と、セックスに対してあっけらかんとした意識を持つ中で、高橋惠子演じる主人公・北原美子は、悩み抜きます。女子高生なりの拙い愛の葛藤と、最終的に胎児の父親に腹を踏むように懇願する狂気に似た凄味。

高橋恵子は、どうしてもフルヌードや濡れ場だけがクローズアップされてしまいますが、肝心の演技のほうにも、デビューしたての15歳のものとは思えない迫力がありました。

逆に「おさな妻」は、妻を亡くした中年男の子供と出会った女子高校生が、やがて彼と結婚し、学生・妻・母役をこなすという、けなげな物語で、タイトルの割にエロティックなシーンもあまりありませんでした。当時、高橋恵子のヌードを目的に映画を見に行った青年たちは、結構がっかりしたそうです。

高橋恵子(関根恵子)は、ロマンポルノ「ラブレター」で女優開眼

高橋恵子にとって自分自身が女優として自覚し、大ヒットした映画は、逃避行から1年後に出演した日活の「ラブレター」でしょう。この作品は、ロマンポルノ史上最高の興行収入を記録しています。その後、夫となった高橋伴明監督による三菱銀行人質事件を題材とした「TATOO(刺青)あり」で、主人公の情婦を演じて以降、着実に女優の道を歩んでいきます。

高橋恵子は現在61歳。まさに年齢不詳です。その美貌は一向に衰えることなく、映画や舞台で活躍しています。高橋恵子の生き方は、ある意味、大女優の一典型なのかもしれません。

高橋恵子(関根恵子)も蜷川幸雄の舞台で演技開眼!「アウトデラックス」で分かった本性とは?

高橋恵子(関根恵子)も蜷川幸雄の舞台で演技開眼!

高橋恵子は最近、舞台づいています。1997年演出家の蜷川幸雄から、高橋恵子に自分が演出する「近松心中物語」への出演依頼がありました。初の舞台をドタキャンしてバンコクへの逃避行から、18年の歳月が過ぎていました。「近松心中物語」は、平幹二朗・太地喜和子のコンビで評判の舞台だったため、高橋恵子は役を引き受けるのをためらい、蜷川幸雄の依頼を二度断ったそうです。しかし夫の助言もあり、出演を決めた高橋恵子は、自分の中で止まった時間が動き出した感じだったと、当時を語っています。

2005年の「天保十二年のシェイクスピア」では、悪女を思うように演じることができず、思い切って眉毛を剃って舞台に立ちました。蜷川幸雄に「そこまで覚悟したのか」とすごく喜ばれるほど、高橋恵子は舞台にのめり込んでいきます。このように、高橋恵子は蜷川幸雄に声をかけられなかったら、今の自分はなかったと常に彼に褒められる芝居をめざし、努力しているようです。

高橋恵子(関根恵子)で「アウトデラックス」でさらけ出した本性とは?

高橋惠子(関根恵子)が結婚した後に封印した”関根恵子”が、「アサヒカメラ2016年7月増大号」の巻頭特集”ヌードの90年”で蘇ります。同誌の表紙を飾るのは、若き頃の高橋惠子。いかに”関根恵子”がヌード業界に影響を与えて来たかがうかがい知れるようです。

「高校生ブルース」で鮮烈なデビューを飾った15歳から、高橋惠子は、自由奔放なプッツン女優として見られてきました。彼女の中には、常に「本当の自分を見てほしい」との思いがあったそうですが、自殺未遂騒動、失踪事件と、奇行はますますひどくなっていくばかりでした。現在61歳、気品あふれる美しい母親然とした高橋惠子を見ると、あの時期は相当病んでいたのだろうと思われます。

そんな高橋惠子が、2016年6月16日放送の「アウトデラックス」に、”旦那には頭突きで絶対に負けないと思っている女優”として出演しました。頭突き談からすでに妙でしたが、「家事をやる時は、家政婦ヤナガワヨシコ(自作キャラ)になりきる」、「ゴキブリを諭したら出て行ってくれる」「犬のケージに入る」などプッツン全開の高橋恵子。一緒に登場した長女でタレントの秋山佑奈まで、「生まれた時から花が喋りかけてくる」と、プッツン遺伝の疑いを匂わせるエピソードを残しています。

あの頃の高橋惠子の奇行は確かに正気の沙汰ではなかったのかもしれませんが、「アウトデラックス」出演により、不思議ちゃんの素質は間違いなくあったことが判明されました。

高橋恵子は、本当は不器用で真直ぐな性格の人なのでしょう。高橋恵子だけでなく、デビューしていきなり人気が出た若手女優の多くは、壁にぶち当たり何がしかのトラブルやスキャンダルに見舞われることがよくあります。しかし、それを乗り越えてこそが、女優の道なのかもしれません。

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