高橋名人の連打記録の現在!伝説の16連射のコツとは?

高橋名人の連打記録の現在!伝説の16連射のコツとは?出典:http://ascii.jp

高橋名人の連打記録の現在!伝説の16連射のコツとは?

高橋名人はファミコン全盛期のカリスマハドソン社員だった!ボタン連打記録17回超えの現在は?

高橋名人と呼ばれる男は、1980年代のファミコン全盛期に、子供たちのカリスマ的存在だった”ゲームの達人”です。ゲームソフト開発を行うハドソン社・宣伝部に所属する一介の社員にすぎない高橋名人。一世を風靡したきっかけは、1985年のゲーム大会「ハドソン全国キャラバン」のシューティングゲーム「スターフォース」で披露した”16連射”でした。

ゲーム機のボタンを1秒間に16回押すという、高橋名人の超高速の離れ技に、ファミコン少年たちは熱狂しました。高橋名人の登場は、”連射ブーム”という社会現象を起こし、ハドソンからは、連射速度測定玩具「シュウォッチ」なるものまで発売されています。全盛期の高橋名人は、「シュウォッチ」を使用して、”16連射”を超える17.4連打/秒という前人未到の記録を叩き出しています。

2016年現在では57歳となり、以前の精彩は欠くものの、相変わらず12~13連打/秒の実力を保っているという高橋名人。今でも、その連射のコツを見出そうとする人が後を絶ちません。

高橋名人の16連射は”こすり”ではなかった!コツは”震え”にあり!?

高橋名人の伝説の”16連射”に憧れ、ファミコン世代の子供たちは、誰しもボタンをこするように連打してみたものです。しかし、”こすり連射”は、ボタンへの引っかかりから、ロスが生じ、あまり連打回数は伸びないとか。高橋名人が、歌手として2010年にリリースした「高橋名人伝説-魂の16連射-」の歌詞では、”16連射”は”叩き攻撃”と位置付けられていました。

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しかし、動画を検証してみると、叩くというオーバーな動きではなく、上下運動の幅が最小限となる”震え”に近いといえそうです。実は、高橋名人は、小学4年生の頃から、毎日のように重量18kgの灯油缶を持ち運びしていたためか、ゲーマーとは思えない筋骨隆々とした肉体と、運動能力の持ち主。握力においては、成人男性の2倍弱相当の85kgもあるそうです。

この筋力をもって、腕全体に力を込めると、自然と手が痙攣します。あとは、この”震え”が、ゲームコントローラーのボタンに均等に当たる位置を把握すればOK。伝説の”16連射に近づくためには、まず、肉体を鍛えることから始めましょう。

高橋名人のプロフィール!ハドソン退社後の現在は?

高橋名人の本名や出身!スーパーマーケットの店員がハドソンに入社するまで

高橋名人こと本名・高橋利幸は、1959年5月23日生まれの北海道札幌市出身です。地元の東海大学附属第四高校を卒業し、北海道自動車短期大学を3カ月で中退した高橋名人は、短大時代のアルバイト先だったスーパーマーケットに就職しました。社会人3年目の1981年になり、8ビットパソコンを購入したことをきっかけに、初歩的なプログラミング言語をわずかばかり独学したところで、スーパーマーケットを退職。カルチャーセンターの講師に転職し、生徒の質問に答えるために知識を補っていくうちに、プログラミング技能を培っていきました。

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1982年2月にハドソンに入社した高橋名人は、会社のファミコン参入と共に、営業部から宣伝部に移ります。そして、ゲーム実演要員として参加した1985年の「月刊コロコロコミック」主催のゲームイベントで、卓越したゲームテクニックを披露して、子供たちの人気者となっていきました。

高橋名人のハドソン退社理由とは!現在は会社社長としてゲームに命を捧げる日々

高橋名人は、ハドソンとNECが共同開発したゲーム機・PCエンジンの発売と共に、1987年からは、ファミコン業界を離れています。そのため、”高橋名人ブーム”は下火になりましたが、その後も、ハドソンによる名人推しは続き、2006年には、”名人”という役職名を与えられました。

実際は、宣伝部部長という重役となっていた高橋名人でしたが、ハドソンが家庭向けゲームから撤退したことを理由に、2011年に退社。ドワンゴの子会社・MAGES(メージス)で、ゲームプレゼンターとして活躍し、現在は、2014年に設立した(株)ドキドキグルーヴワークスの代表取締役として、ゲームにかかるすべてのプロデュースを行っています。

また、高橋名人は、2011年から始まったニコニコ生放送のゲームバラエティ番組「ゲッチャ」(現:「電人☆ゲッチャ」)の、レトロゲームを紹介する”高橋名人伝説”にて、現在も活躍中です。

高橋名人伝説がファミコン復活と共に再び!中高年が胸を焦がした古き良き時代は永遠に……

高橋名人は、”16連射”で、「月刊コロコロコミック」に取り上げられて以来、「高橋名人の冒険島」などのゲームシリーズや、漫画、映画でキャラクター化されて親しまれてきました。生い立ちを紹介する漫画作品では、「首に巻き付いたヘソの緒を自ら引きちぎって誕生した」とデフォルメされたり、「何よりなすびがコワイ」といった愛すべき一面が紹介されたりして、子供たちを魅了しました。

現在は、加齢によりスキンヘッドとなってしまいましたが、後ろに1つでまとめた長髪も、当時としてはインパクトが大きかったように思えます。だからこそ、少し姿が見えなくなると、死亡説や逮捕説が飛び交うなどということは、お約束といえばお約束。かの”16連射”についても、「コントローラーのボタンにバネが仕込まれていたのでは?」といった声も挙がりました。

この噂を払拭すべく、実際にバネを仕込んで検証してみると、かえって連打速度が落ちてしまったという高橋名人。イベント出演の度に、マイコントローラーのボタンを外して手入れを施すといった姿勢にも、時代のカリスマに相応しい熱を感じさせられます。

現在は、技術面の向上から、より複雑で、クオリティの高いゲームが次々と登場しますが、初期ファミコン世代にとって、単純に連射に熱中した古き良き思い出は、常に高橋名人と共にあります。そんな初期ファミコン世代を熱狂させているのが、1983年に発売されたファミコンの6割サイズになって復活した、「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピューター」です。それに伴い、高橋名人のメディアへの登場回数も増えました。”カセット”と呼ばれた、かつてのファミコンソフトを中古ショップで漁る中高年の中で、再び、高橋名人の伝説が蘇ろうとしています。

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