高倉健の伝説(共演者、周囲の人への心遣い)エピソード集!

高倉健の伝説(共演者、周囲の人への心遣い)エピソード集!

高倉健伝説を、2つのキーワードでひも解く

高倉健が亡くなって早1年。その存在感の大きさは、ますます深まっているようです。高倉健に出会い、仕事を一緒にした人々とのエピソードが伝説化していく中、ほんとうの高倉健とはどういう人であったかという検証が、今こそ必要かもしれません。いくつかの話を調べてみると、エピソードは大きく2つに分類できそうです。

1つは、仕事に対する真摯な姿勢や、スタッフに対する心遣い。これは、ビートたけしが広めた話ですが、極寒の地の撮影であっても、自分は一切たき火にあたらず、ずっと立ったままスタンバイするため、逆にスタッフたちが暖を取れず困ったとか。また、俳優たちのために豪華な食事が出ても、決して箸をつけず、スタッフと同じ食事を食べるというような話です。

そしてもう1つが、共演者やスタッフを喜ばせるサプライズ。後から遅れて現地入りするビートたけしを、花束を持って現地の駅まで迎えに行ったり、共演者たちには、撮影後に必ず、自らの名前を記した記念の時計や万年筆を送ったりしています。共演者ならまだしも、ときには、スタッフの家族が高倉健ファンだと聞いて、ある日突然「高倉です」といって自宅に訪れたりするのですから、たまりません。

高倉健は、映画作りでスターという役割を果たした男

しかし、これらの気配りやサプライズは、映画作りという仕事が、スター一人では決して成り立たず、共演者や周囲の人との共同作業で成り立っているという、強い信念と理解があったからこそ。高倉健は、その中でのスターの役割を、誰より真面目に果たした人なのではないでしょうか。

高倉健と江利チエミの結婚生活や子供は?養女に遺産40億円を渡した理由

高倉健が一生思い続けた女、江利チエミ

高倉健は、女性が苦手な男性と思われているようですが、決して女性が嫌いなわけではありません。江利チエミと不幸にも離婚して以後は、高倉健というスターとしての虚像を守り続けてきただけです。もし江利チエミとの結婚がうまくいき、子供も生まれていたなら、高倉健は家族を持つ父親として、新たな俳優像を築いていたはず。

二人が結婚したのは1959年、高倉健が28歳、江利チエミが22歳で、結構若い時でした。江利チエミはすでに、美空ひばり、雪村いづみとともに、元祖三人娘として、歌だけでなく映画でも活躍していました。しかし、一方の高倉健は、俳優としてこれからという時期。1962年、江利チエミは妊娠しますが、重度の妊娠高血圧症候群を発症し、中絶を余儀なくされました。これが不幸の始まりだったのです。

江利チエミの生まれは複雑で、父の違う姉が名乗り出て、高倉健と江利チエミの間に入り込み、家政婦として働きます。この義姉がとんでもない女性で、ともに人気が出て、忙しくなった二人の会計を預かったことをいいことに、億単位の金を使い込み、また土地を抵当に莫大な借金をします。当時、それら全てを合わせると数億円とも言われました。その上、これら問題を高倉健と江利チエミ二人に押し付け、裁判沙汰に持ち込んだのです。

当然この問題は世間に知られることとなり、江利チエミは、これ以上高倉健に迷惑をかけられないと離婚を決意。1971年、高倉健と江利チエミは離婚します。そして江利チエミは、クラブ歌手などもして莫大な借金を返しますが、1982年、旅先のホテルで酒を吐いて、独り寂しく亡くなってしまったのです。まだ45歳でした。

皮肉なことに、高倉健は、離婚して以後、亡くなるまで日本屈指の俳優として活躍し続けます。江利チエミと離婚後も、独身を通した高倉健。そして江利チエミの命日には、毎年墓参りを欠かさず、花を手向け、本名を記した線香を贈っていたそうです。高倉健は生前、「どんなに愛し合っていても、別れなければならないことがある」と、語ったことがあるとも言われています。

高倉健の資産40億円を引き継ぐ養女

高倉健は、江利チエミに対して、生涯強い思いを抱き続けていたのでしょう。しかし、決して聖人君子ではありませんでした。江利チエミの死後、高倉健は、幾人かの女性と交際していたようです。そして晩年は、高倉健の養子となった女性が身の周りの世話をしていました。世間の手前、彼女を養女にしたというのは、高倉健らしいといえそうです。

その女性は、女優としてドラマやCMなどに出演した後、ライターに転身し、現在51歳。もともと高倉健のファンで、10数年前に知人の紹介で知り合い、交際を深めていったそうです。高倉健が残した遺産は、マンションや別荘、自宅を含めた不動産資産が約8億円のほか、金融資産が約30億円で、総額40億円とも言われる相当なもの。また高倉健の肖像権なども、今後は、養女である彼女が管理することになります。
えてして人気タレントや俳優が亡くなると、その遺産をめぐって醜悪な相続スキャンダルが起こりがちですが、この養女による遺産相続は確かに話題になったものの、あまり尾を引いていません。高倉健は、死んでも高倉健であり、気配り心遣いの人であった証しでしょう。

高倉健を語る前に観るべき、6本の映画はこれ!

NHKは、高倉健没後1年関連番組として、「幸福の黄色いハンカチ」など高倉健の主演映画6本を、11月2日から11日にかけてBSプレミアムで放送すると発表しました。NHKによると「同じ人が出演する映画6本を短期間に一気に放送するのは異例」ということですが、これは今もなお劣えない高倉健人気の証しでしょう。

ライナップは、放映順に「居酒屋兆治」「駅STATION」「君よ、憤怒の河を渡れ」「海峡」「幸福の黄色いハンカチ」「夜叉」の6本です。さらにBSプレミアムでは、11月7日に特別番組「ザ・プレミアム拝啓高倉健様」を放送することを決定。出演全205作品を「殺陣」
「決めゼリフ」「ラブシーン」などの切り口で分析し、高倉健の謎と魅力に迫ります。

高倉健の生き様を証言するゲストも豪華で、山田洋次監督、加藤登紀子ら、ゆかりの人々がその魅力を語るそうです。石原裕次郎、勝新太郎、緒方拳、三國連太郎、菅原文太と、昭和を代表する映画スターの多くがすでに鬼籍に入りました。
しかし高倉健だけが、彼等とは全く一線を画する存在であったことは事実。本人の意志に関わらず、昭和という時代にあって、生身の男でありながら、究極の男の理想像を死ぬまで演じ続けた男、高倉健。

高倉健は今、愛し続けた母や江利チエミに囲まれて、誰はばかることなく屈託のない笑顔を見せていることでしょう。

関連記事

ページ上部へ戻る