竹内智香(スノーボード)は日本女性初オリンピックメダリスト!結婚、実家の温泉旅館の評判は?

竹内智香(スノーボード)は日本女性初オリンピックメダリスト!実家の温泉旅館の評判は?

竹内智香は日本女性初のオリンピックメダリスト美人スノーボーダー!

竹内智香(たけうちともか)は、1983年12月21日に生まれ。幼い頃に2人の兄の影響を受けてスキーを始め、10歳の時にスノーボードを始めました。14歳で競技に参加しだした竹内智香は、わずか4年で2002年のソルトレークオリンピックに出場し、パラレル大回転で22位に。2006年のトリノオリンピックでは9位、2010年バンクーバーオリンピックでは13位と、決して順調に成績を伸ばしてきたわけではありません。


しかし、2014年のソチオリンピックでは、事前の世界ランキングで2位につけ、万全の状態で臨んだパラレル大回転の予選を1位通過。スノーボード界において、日本人女子として初めての決勝進出&メダル確定という快挙を達成しました。これによって竹内智香を始めて知った人たちの間からは、「この美人は誰?」「ハーフ顔の美人」との声も。こうしてにわかに美人スノーボーダーとしても注目されるようになりましたが、決勝の2本目で惜しくも転倒してしまい、銀メダルという結果に終わりました。

竹内智香の結婚、実家の温泉旅館の評判は?

竹内智香は、本格的に競技を始めた14歳の頃から、スノーボードの技術向上のために高校を転校したり、スイス代表チームに合流してトレーニングに励んだりと、常に競技第一の人生を歩んできました。そのためか、現在まで結婚はしていません。そんな竹内智香の実家は、北海道旭川市の旭岳温泉にある「湯元 湧駒荘(ゆこまそう)」という旅館。アイヌ語で“湯の向こうの沢”という意味の“ユコマンベツ”という言葉から命名された宿です。

竹内智香も宿泊用の部屋をプロデュースしたり、竹内智香を応援する宿泊プランが用意されたりしています。源泉は5つすべてが自噴泉で、皇族や元総理などのVIPも御用達という宿は、温泉も料理も大好評です。2017年11月に、湧駒荘売店の人気商品「白い珈琲ぷりん」が「マツコ&有吉 かりそめ天国」で紹介されたことでも高い注目を集めました。

竹内智香は驚異的な回復力で大怪我を乗り越えた!北海道出身なのにスポンサーが広島ガスのワケ

竹内智香は驚異的な回復力で大怪我を乗り越えた!

2016年3月にドイツで開催されたスノーボードのワールドカップで、コースの状況を見て「ジャンプする前から何か嫌な予感がした」という竹内智香は、左膝前十字靱帯断裂という大怪我を負いました。ケガとは無縁の競技人生を歩んでいた竹内智香にとってこの上ない悲劇かと思いきや、本人は「面白い、絶対にこの困難を乗り越えてやる!」と燃え上がったそう。

靱帯の再建手術から全治10カ月という診断だったにもかかわらず、過酷なリハビリと筋力トレーニングを乗り越えて、ケガからわずか4カ月で左右の足の筋力差がなくなるほどの回復を見せました。さらに、5カ月半後には雪上に復帰し、コース練習を開始。竹内智香の大怪我は8カ月で完治し、2016年12月にイタリア・カレッツァで開催されたW杯では6位という成績を収めました。

竹内智香のスポンサーが広島ガスのワケ!

竹内智香は北海道出身で、過去には、北海道のチョコレートメーカー「ROYCE’(ロイズ)」と社員契約を結んでいました。しかし、2009年のシーズンをもって契約が終了してしまい、それ以降は、いとこが住んでいた縁で関係を深めていった広島県の企業からサポートを受けています。

2010年シーズンに支援していたのは、広島のテレビ朝日系列のローカルテレビ局「広島ホームテレビ」です。そして2011年以降のシーズンは、竹内智香のために社内にスキー部を創設した「広島ガス」がサポートを続けています。北海道出身の竹内智香ですが、広島に大いなる魅力を感じたということで、2010年11月からは広島県知事に直訴して「ひろしま観光大使」にも就任し、広島の冬の魅力を発信中です。

広島と良好な関係を築いている竹内智香の愛用のボードには、広島の私鉄会社「広島電鉄」のステッカーも貼られています。

竹内智香が平昌オリンピックで目指すは悲願の金メダル!!

竹内智香が、2018年2月開催の平昌オリンピック出場を決めました。初めて挑んだソルトレークオリンピックは出場自体が目標で、終わったら引退して大学に進学するつもりだったという竹内智香。しかし、オリンピックで海外選手と熱戦を繰り広げる先輩選手に触発され、決勝進出を目標にトリノオリンピックにも挑戦することに。結果は入賞目前の9位で、「なぜ、もっと高い目標を掲げなかったのか」と強く後悔したそうです。

次のバンクーバーオリンピックでは、メダル獲得を目標に、一流選手と共にスイスでのトレーニングを敢行。「初めからスイスに生まれていればもっと簡単にトップ選手になれたのに」という思いを秘めて挑んだ結果はまさかの13位で、22歳にして大きな挫折感を味わったと明かしています。

その経験から思い至ったのは、オリンピックという大舞台で勝利の女神を味方につけるためには、「ネガティブな思考は捨てて、常に前向きな気持ちでいることが大切」という考えでした。また、応援の気持ちや声援といった「目には見えない大きな力も、メダルを引き寄せることには必要」と考え、日本帰国を決めたと言います。

そうして挑んだソチオリンピックでは、見事に銀メダルを獲得。金メダルを獲得したら引退と決めていたという竹内智香ですが、レース中に転倒して優勝を逃した瞬間に、早くも平昌オリンピックのことを考えていたというから驚きです。自身5度目のオリンピックで悲願の金メダルを獲得できるよう、国民一丸となって応援したいですね。

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