田宮二郎の苦悩と猟銃自殺の真相!「白い巨塔」財前五郎は鬼気迫る演技だった

2019年5月28日 更新

田宮二郎の苦悩と猟銃自殺の真相!

田宮二郎は戦後俳優にないタイプのクールでスマートな二枚目俳優だった

田宮二郎は、43歳で猟銃自殺したことはもちろんですが、その演技や生き様で、昭和世代に鮮烈な印象を残した俳優でした。

晩年の田宮二郎は、スマートでニヒルなイメージとは異なり、重い躁鬱病を患っていて、彼の代表作であり遺作となったフジテレビ「白い巨塔」では撮影すら危ぶまれるほど、ひどい症状だったそうです。田宮二郎演じる医師・財前五郎の、死に対する鬼気迫る演技は、田宮二郎自身の苦悩そのものであったのかもしれません。

田宮二郎自殺の真相は死の直前まで奔走していた怪しげな投資や借金が原因だったのか?!

田宮二郎の自殺の原因としては、躁状態の時、自分は日本のハワード・ヒューズになると、M資金(戦後実しやかに囁かれた日本軍の隠匿資産)をはじめ、内外の怪しげな詐欺話に、莫大な投資や借金をしてしまったからだと伝えられています。そして最後は、鬱状態が高じて自ら命を絶つに至ったのだろうと……。マスコミは、残された遺書に関してあれこれと詮索しましたが、元大映の美人女優で妻の藤由紀子は、彼の死について、長く口を開くことはありませんでした。

田宮二郎の死後35年ぶりに、夫人が明かしたところによると、遺書に記されていたのは、当時マスコミが騒いでいたような陰謀の真相ではありませんでした。妻や子供たちに対する深い愛情と、先に逝く自分をひたすら詫びる内容であったそうです。

田宮二郎の出身地やプロフィール!2人の息子たちの現在は?

田宮二郎は、映画、テレビ、2つの「白い巨塔」でその名を残した!

田宮二郎は、1935年生まれ。父は、戦前、住友財閥の番頭をしていた家柄でしたが、両親とも早くに亡くなり、京都で親族に育てられます。すでに、この頃より深い孤独感が生まれていたのかもしれません。成績が優秀だった田宮二郎は、外交官になるべく学習院大学政経学部に進学。在学中に「ミスターニッポンコンテスト」で優勝し、1955年、大映に入社します。しかし、どこか日本人離れした二枚目ぶりはなかなか認められず、色悪のような役ばかりが続きました。

やっと脚光を浴びるようになったのは、1961年、勝新太郎と共演した「悪名」です。彼が演じた「モートルの貞」は、最後に刺殺されてしまう役でしたが、2人の軽妙な掛け合いが話題を呼び、「悪名」は、以後シリーズ化されていきます。田宮二郎は、貞の弟・清次という役で復活したことで人気が沸騰。長身にジーンズ、スタジャンを羽織った清次が、英語交じりに繰り出す啖呵や、「梅に鶯、松に鶴。浅吉親分には、この清次兄さんやがな」という決め台詞は、当時、街の不良や悪がきの憧れでした。

一躍、大映のスターダムにのし上がった田宮二郎でしたが、いつまでたっても、扱いは昔の大部屋俳優のまま。役者として圧倒的評価を得た田宮二郎は、1968年、宣伝ポスターの序列をめぐって、大映の永田雅一社長と対立。ついに大映を辞めます。永田雅一社長は、当時の五社協定を持ち出して、田宮二郎が他社の映画に出ないよう露骨な圧力をかけました。しかし、田宮二郎は、テレビ界に活躍の場を見出します。手始めが、1968年から自殺を遂げた1978年まで続いた「クイズタイムショック」。

彼の洗練された司会ぶりが、視聴者参加のクイズ番組を、上質のエンタテイメントショーへと昇華させ、その後のテレビ界では、司会者が、番組の重要な要素となりました。そして、1973年の「白い影」や、翌年の「白い滑走路」など、白シリーズと呼ばれる一連のドラマで、田宮二郎のクールでスマートな魅力が爆発。俳優として絶頂期を迎えます。

しかし田宮二郎本人は、緊張と多忙から、いつか仕事がなくなってしまうという不安や焦燥感がつきまとい、躁鬱の感情が激しくなっていきました。ドラマの白シリーズが、回を重ねるごとに駄作になっていっても、仕事がなくなることを恐れ無理に継続し、撮影の合間には、公衆電話に張り付き、危ない投資話を延々としていたようです。

それほど精神的に追い詰められていた最中に決まったのが、1977年、テレビ版「白い巨塔」の制作でした。田宮二郎は、自分自身と役である財前五郎との間を、虚実彷徨いながら、死の直前まで鬼気迫る演技を見せました。以後「白い巨塔」は、あまりにも田宮二郎のイメージが強すぎて、ドラマ化されずじまい。2003年になって、フジテレビが開局45周年記念ドラマとしてようやくリメイクされたときには、大きな話題を呼びました。

田宮二郎が残した2人の息子!兄の意外な現在と、弟の早すぎた死を看取った大物女優

田宮二郎には、2人の息子がいて、共に成人して、俳優の道を目指します。「あの田宮二郎の息子」として、最初は話題となりましたが、田宮二郎が持っていた、軽やかさやスマートさを見せることはできませんでした。2人とも、どちらかといえば、彼の内向的な生真面目さを受け継いでいたようです。

兄の柴田光太郎は51歳。俳優や司会者を経て、現在は教師をしているといいます。弟の田宮五郎も俳優をしていましたが、2012年にくも膜下出血に倒れ、2014年11月6日に、47歳で急死してしまいました。長い療養を支え最期を看取ったのは、事実婚状態にあった女優の浅野ゆう子でした。

田宮二郎の死とともに伝説化したドラマ「白い巨塔」

田宮二郎の猟銃自殺は、世間に大きな衝撃をもたらしました。まだ放送を2回残していた「白い巨塔」は、田宮二郎という俳優の名とともに、テレビ史に残るドラマとなります。「白い巨塔」で、田宮二郎演じる財前五郎と対峙する医師・里見脩二役を演じた山本學は、握手するシーンのリハーサルで、田宮二郎が手が痛いぐらいに握ってきたその痛みを今も思い出すそうです。

「悪名」でコンビを組んだ勝新太郎は、最終回で見せた田宮二郎の死の演技を「恐ろしい」と評し、「さぞ背伸びして、どれほど苦しんだか」と、その心中を慮りました。後に伊豆の海で事故死した太地喜和子は、彼の死に対して、「ばかねえ」と一言、深く嘆いたそうです。今も映像に残る田宮二郎は、昭和の日本人男優にはない、独特のスマートさ、インテリジェンスを備えていました。

それは、大阪弁のしたたかなチンピラであっても、英語を流暢に話すジャンボジェットの機長であっても、天才外科医であっても同じ。ある意味、田宮二郎は、時代に早すぎた俳優であったかもしれません。彼が大映を離れた時に目指そうとした、今ならば渡辺謙のような国際俳優も、決して夢ではなかったでしょう。今確かなことは、田宮二郎は自らの死によって、その名を戦後の映画史に刻んだことだけです。

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