タモリが2度目の紅白司会者に?!右目失明、挫折と伝説の自然体人生!

2015年11月6日 更新

タモリが2度目の紅白司会者に?!右目失明、挫折と伝説の自然体人生!

タモリ 嫌いなタレントから国民的おもちゃに

タレントの好き嫌い調査ほど、あてにならないものはありません。嫌いなタレント第1位から、国民的おもちゃになり、NHKの顔になってしまうこともあるのですから。かくいうタモリも、かつては「嫌いなタレント1位」の常連組でした。

しかし、昨年「笑ってもいいとも」を終えたタモリは、視聴者にタモロス現象を起こしただけでなく、フジテレビ「夜タモリ」やNHK「ブラタモリ」で、いっそうその存在感を高めています。そして、早くも今年の紅白歌合戦の司会者はタモリだとの話も聞こえてきているのです。

タモリ 可愛げのない子供が、福岡一面白い男になるまで

「笑ってもいいとも」終了決定あたりから、樋口毅博「タモリ論」や、近藤正高「タモリと戦後ニッポン」など、あらためて、タモリとはいったい何者かという人物論が話題となっています。タモリは1945年、終戦の年に生まれ、現在70歳です。福岡の比較的裕福な家庭に生まれましたが、家庭環境は複雑で、祖父母に育てられたといいます。

タモリは幼い頃、幼稚園を見に行き、園児たちがお遊戯をしているのを見て、あんなくだらないことはしたくないと、入園を断固拒否したそうです。小学三年生とき、目に、電柱に巻いたワイヤのつなぎ目が刺さり、右目を失明してしまいます。

しかしこの失明によって、タモリの性格がどうこうなったということはなく、もともと感情にまかせてはしゃいだり泣いたりすることがきらいで、可愛げのない醒めた子供だったというタモリ。その性格は今も変わらず、タモリは、自分の人生に執着したり、絶望したりすることがないようです。タモリは、相手や世間に求められるままに、独自の笑いを築いてきたのかもしれません。

タモリと赤塚不二夫のいい関係!葬儀で読みあげた弔辞に感涙

タモリ 赤塚不二夫とめざした、狂気の笑い

タモリと赤塚不二夫の関係は、いまや伝説と化しています。タモリは、大学を中退後福岡に帰り、いくつかの仕事をそつなくこなしながらも、30歳になったら全ての仕事を辞めてしまおうというと飛んでもないことを考えていました。そして、今までに見たことがない芸を見せる男が福岡にいるという噂が、東京の数寄者たちの間に広がり、タモリは、彼らに呼び出されるままに東京へと向かったのです。

1975年、タモリ30歳の時でした。なかでも赤塚不二夫は、自分のマンションを貸し与え、飲み食い、果ては小遣いまで渡しても、タモリを傍に置いてその芸を見続けます。赤塚不二夫は、いまでこそ日本を代表する天才ギャグ漫画家とされていますが、トキワ荘の中ではもっとも出世が遅く、苦しみもがいてたどり着いたのが、ギャグ漫画。

赤塚不二夫はギャグ漫画を描けば書くほど、売れれば売れるほど、ギャグに行き詰まり、放蕩生活を繰り返していました。こんな時に、赤塚不二夫はタモリに出会ったのです。そして赤塚不二夫とタモリは、死ぬほど真面目に笑いを追求していくのです。

逆説的に考えれば、ともに笑いを生業にしながら、もっとも狂気に近いと思われた赤塚不二夫は、根っからの常識人であり、いかにもインテリ然としたタモリが、もっとも狂気を背負った人間であったと言えます。

タモリ 赤塚不二夫の葬儀で読んだ、伝説の弔辞

赤塚不二夫は長年の放蕩生活がたたってか、最後は植物状態となり2008年に亡くなりました。関係の深かったタモリが弔辞を読むことになりましたが、これがまた話題に。まさに勧進帳、タモリは白紙の弔辞を、いかにも読んでいるように見せたのです。

その8分近い弔辞の中で、タモリはこのように言っています。「私もあなたの数多くの作品の一つです」。この一文に、天才ギャグ漫画家赤塚不二夫とタモリ二人だけの関係が、全て凝縮されているのではないでしょうか。

タモリ 2015年年末の紅白歌合戦総合司会者に内定?!

タモリが、2015年大晦日の紅白歌合戦の総合司会者に内定したというニュースが、早くも流れています。意外にもタモリは、過去に一度、紅白歌合戦の総合司会者を務めていて、それは1983年のこと。名実ともに、国民の嫌いなタレントから好きなタレントとなり、国民のおもちゃとなった時でした。

今回の起用に関してスポーツ誌のデスクは、「もともと『笑っていいとも!』で国民的な知名度があるし、最近は『ヨルタモリ』で往年の味わいを発揮し、70歳にして再評価されている感があります。若い人たちからしてみると、あの番組でタモリさんの新しい魅力に触れたという感じでしょうし、『ブラタモリ』でNHKに対する貢献度も高く、間違いなく紅白司会の有力候補と言っていいでしょう」と語っています。

最近出たタモリ論「タモリと戦後ニッポン」の中で、筆者の近藤正高は、タモリと森繁久彌の共通性を見出しています。森繁久彌といえば、2009年、96歳で大往生した昭和を代表する天才コメディアン。彼との共通性から、来たるべき老人社会における、タモリの新たな可能性を説いているのです。タモリの「反省しない」「やる気もださない」という論理は、決してマンネリ礼賛ではありません。常に新たなライブの一瞬に賭ける、タモリ特有の逆説的な、笑いに対する確固たる信念といえます。

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