田中圭一が手塚治虫タッチで漫画を描くようになったワケ!手塚プロ公認作家”つのがい”も負けてはいない

田中圭一が手塚治虫タッチで漫画を描くようになったワケ!手塚プロ公認作家”つのがい”も負けてはいない出典:https://www.amazon.co.jp

田中圭一が手塚治虫タッチで漫画を描くようになったワケ!サラリーマンと漫画家の兼業作家

田中圭一が漫画の神様・手塚治虫タッチで描くようになったワケ!手塚プロ公認作家”つのがい”も負けてはいない

田中圭一は、自らのうつ病経験や、同様にうつ病から脱出した人々をレポートしたコミック「うつヌケ ~うつトンネルを抜けた人たち~」が大ヒットしている漫画家です。

田中圭一の漫画で特徴的なのは、漫画の神様・手塚治虫のタッチを完全に真似ている点。また、手塚治虫にそっくりな作画で有名になった、「ブラック・ジャック」のパロディで一躍時の人となった、漫画家つのがいもいます。Twitterに投稿していた「#こんなブラック・ジャックはイヤだ」が手塚プロダクション認められ、今では手塚プロダクション公式作家に。

イラストばかりかパーツを書く手順までそっくりだと言いますが、田中圭一も負けてはいません。手塚治虫の娘で手塚プロダクション取締役の手塚るみ子とイベントに出演した際には、手塚作品の絵の特徴を事細かに紹介。いかに手塚治虫風に描くかを深く分析し、自分のものにしたかを示しています。

田中圭一は、もともと劇画タッチの絵柄で描く下ネタギャグを得意としていました。しかし、流行の移り変わりの激しいギャグ漫画界にあって、編集部から絵柄が古いと言われてしまいます。こうして試行錯誤する中でたどり着いたのが、日本の漫画の原点ともいうべき手塚治虫のタッチです。「この絵柄こそ今の時代にあって圧倒的に新鮮なんじゃないか?」と考えて、絵柄を変えました。

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田中圭一は兼業作家!勤務先や仕事内容は?

田中圭一を語る上で外せないのが、手塚治虫の絵柄を完全に体得しているという点と、サラリーマンと漫画家の二足の草鞋をはいた兼業作家であるという点です。大学を卒業すると、タカラ(現在はタカラトミー)に入社した田中圭一の仕事内容は営業でした。

1994年に退社すると、ゲーム開発を手掛けるアートディンク社、ウェブテクノロジ社と渡り歩き、プロデューサーとして漫画作成ソフトの開発を手掛けたこともあります。2012年には、電子書籍配信のBookLiveへ転職。営業からソフト開発まで仕事内容は幅広くて濃いと言う田中圭一は、なかなか優秀なサラリーマンのようです。

田中圭一「うつヌケ」が異例のヒットを記録!師匠・小池一夫の暴露本を執筆中?!

田中圭一「うつヌケ」が30万部超え!異例のヒットを記録!

田中圭一の名は、これまで漫画好きの間では知られていましたが、得意とするのが下ネタギャグとあって、女性読者や漫画をあまり手に取らない層には全くアピールする存在ではありませんでした。しかし、「うつヌケ」が33万部にのぼる異例の大ヒットし、流行語大賞にノミネートされるなどして、一躍時の人となっています。

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日本国内に100万人の患者がいるといわれるうつ病から回復した人々の体験が描かれていたことや、手塚治虫調のポップな絵柄もあって手に取りやすかったこともヒット要因の一つと言えるでしょう。

田中圭一の師匠は小池一夫!劇画村塾出身で暴露本を執筆中!?

田中圭一のもともとの絵柄は劇画タッチのものでした。その出発点は、「子連れ狼」等の名作を数多く生み出した漫画家・小池一夫にあります。実は田中圭一は、小池一夫劇画村塾神戸教室出身。大学在学中に、「コミック劇画村塾」で漫画家デビューを果たしています。

しかし近年、師である小池一夫が、弟子に対して「デビューが決まったら返却する」として受け取っていた保証金を返金していないという金銭トラブルが発生。田中圭一は、それらについて取材を重ね、漫画にして発表するとツイッターでつぶやいています。しかし今のところ暴露本は未発表のようです。

田中圭一はバブル期の猛烈サラリーマンだった!半自伝作品「サラリーマン田中K一がゆく!」にも注目

田中圭一は、1962年5月4日生まれです。「うつヌケ」の発売は2017年1月ですから、50代半ばにして大ブレイクを果たしたことになります。大学在学中に漫画家デビューしている田中圭一本人も、30年以上の漫画家生活の末、ここまでブレイクするとは思っていなかったのではないでしょうか。

しかも田中圭一は、サラリーマンとの二足の草鞋をはきながらの漫画家生活です。田中圭一が社会に出たのは、バブル期真っ只中のことでした。バブル期と言うと、景気が良過ぎて働かなくてもお金が入ってくるようなイメージがあります。しかし実際は、好景気に乗じて設定されたハイレベルな目標を、多くのサラリーマンが猛烈に働いて達成することで支えられていたという一面も。

田中圭一もそんなバブル期を駆け抜けたサラリーマンの1人でした。大学卒業と同時に入社したタカラで、玩具メーカーの営業マンとして、前年比130%のノルマを抱え、深夜まで猛烈に働いたと言います。同時に月6ページの漫画連載も抱えていた田中圭一は、土日は机に向かって漫画を描くという日々。きつい生活ではあったそうですが、「全く違う2つの生活があったから、どっちも頑張れたと思う」と、当時を振り返って語っています。

ちなみに、そのハードなタカラでの営業マン時代に、ギャグ漫画「ドクター秩父山」で最初のブレイクを果たしている田中圭一。当時の絵柄は、もちろん手塚治虫調ではなく、劇画タッチのシリアスな絵柄でした。ブラックな下ネタをくりだして男性読者を中心にヒットし、フジテレビの人気深夜番組「オールナイトフジ」内でアニメ化もされています。

田中圭一のハードな営業マン生活と漫画家生活は、実は漫画でも読むことが可能です。それが、田中圭一の半自伝的な作品「サラリーマン田中K一がゆく!」。「うつヌケ」人気を受けて、2017年10月に新装版が発売されると同時に、電子書籍の配信もスタートされました。

これを読むと、田中圭一が、サラリーマンと漫画家としてバブル期をどう乗り切ったのかをうかがい知ることができるでしょう。「うつヌケ」同様に手塚治虫タッチのポップな絵柄と軽妙なギャグで、楽しく読める「サラリーマン田中K一がゆく!」。これによって田中圭一は、「うつヌケ」で取り込んだ新たな読者層をしっかりつかまえることができるのではないでしょうか。

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