丹波 哲郎「大霊界」あらすじキャスト感想!死後の世界とは?

丹波 哲郎「大霊界」あらすじキャスト感想!死後の世界とは?

丹波 哲郎「大霊界」あらすじキャスト感想!死後の世界とは?

丹波 哲郎 一人6役で「大霊界」発表  幻想的な死後の世界描く

重厚な存在感で俳優として活躍した丹波哲郎。国際派俳優の草分けとして知られる丹波哲郎ですが、一方で心霊学と霊界に深い造詣を持ち、自称「霊界の宣伝マン」。

そんな丹波哲郎が満を持して(?)発表した映画が「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」。製作・企画・原案・脚本・総監督・出演と丹波哲郎が6役を兼任し、1989年1月に公開されました。そのあらすじは、若き物理学者・曽我隆が事故に遭い死亡し、その魂が死後の世界を巡ることになるというものです。

キャストは、主役の物理学者役には丹波哲郎の実子・丹波義隆。ほかに若山富三郎、渡瀬恒彦、野際陽子、千葉真一などの大物を据え、もちろん丹波哲郎も出演しています。公開当時は、丹波哲郎のネームバリューもあってか、劇場に行列ができて立ち見状態だったといわれます。

肝心の感想は賛否両論というより、否のほうが多いです。なにしろ、ネット上でのレビューでは「コメディにすればよかったのに」、「当時真剣に見ていたが、反省」、「なんだこりゃ」というコメントが並び、一言でいうと「怪作」という評価をするしかなさそうです。しかし、それではあんまりなので、丹波哲郎の「霊界」観は、他の追随を許さないというフォローを入れておきます。

スポンサーリンク

丹波 哲郎 友人の最期から「死後の世界」へ関心 「死は怖くない」

では、なぜ丹波哲郎が「死後の世界」に関心を持ったのでしょう?もともと、丹波哲郎は宗教にはとんと無関心でした。創価学会会長役を演じたある映画の撮影中に「ナムアミダブツー」とやってしまったというエピソードもあるほどです。そんな丹波哲郎は、ガンに冒された友人の壮絶な最期を目の当たりにし、もっと楽に、もっとカッコよく死ねないものだろうかと漠然と考えます。

それが「死後の世界」への関心の始まりでした。当初は、自分自身を納得させることができればいいという考えから始まった研究が、やがて丹波哲郎自身のライフワークとなっていったのです。「死ぬのは怖くない。死後の世界はすばらしいよ」という丹波哲郎ですが、「実は決して早く死になさい」と言わず「自殺は大罪だ」とも説いています。

いまいる現世は修行の場。だから、「つらいことも多いが、現世で立派に生き抜けば天国が待っている。自殺するとあの世でさらなる苦しみが待っているよ」というのが丹波哲郎の「死後の世界」観の概略です。それを映像化したのが、くだんの「大霊界」。

スポンサーリンク

それでは、あの世が本当にあるのか、ないのか。それは死んでみても分からないかもしれません。ただ、丹波哲郎は、「死」をやたらに恐れなくてもいいんだよという一つの見方を提示してくれたともいえるのです。

丹波哲郎 007での英語力!愛人や隠し子、妻、息子の現在は?

丹波哲郎 「007は二度死ぬ」で英語力発揮 本編では別の英国俳優が吹き替え

1967年公開の007シリーズ第5作「007は二度死ぬ」で、丹波哲郎は日本の情報機関のトップ・タイガー田中役を演じ、大きな存在感を発揮しました。当作は、大半が日本国内ロケで撮影されたことでも有名ですが、イギリス映画出演経験のある丹波哲郎は、プロデューサーや監督と日本人俳優やスタッフとのパイプ役をも果たし、心を砕いたといいます。さて、肝心の丹波哲郎の英語力ですが、早口で難しい言葉が次々出てくるセリフを全て英語でこなしています。俳優になる前は、GHQでの通訳の経歴がある丹波哲郎ですが、実は当初は英語力がまるでなく、通訳の仕事も逃げ回るありさま。でも、「GHQで通訳をやっていた」という経歴がモノを言ったのか、外国映画の出演が続いたことで、自然と英語力が上達して「英語も寝言で言うレベル」に達していたといいます。007撮影当時には、主役のショーン・コネリーとも見事に会話を演じ、英語力の進境の著しさを発揮しています。しかし、映画本編ではイギリス人俳優が、丹波哲郎のセリフを吹き替えました。その理由として、彼の英語は「日本の公安のトップとしての説得力に欠ける」と判断されたためといわれています。また、丹波哲郎本人の後日談では、丹波哲郎の声質がイギリス人のイメージにある平均的日本人の甲高い声とは異なり、ショーン・コネリーを食いかねない存在感に仕上がったという理由もあったのだとか。のちに、本作がテレビ放映されたときには、丹波哲郎が自らのセリフを吹き替えして、これまた話題となりました。

丹波哲郎 愛人と隠し子、 妻、息子の現在は?

「丹波哲郎には元女優の愛人との間に産ませた隠し子がいる」という女性週刊誌のスクープ記事を受け、丹波哲郎が記者会見を開いたのは、1989年6月のことでした。記者からマイクを向けられた丹波哲郎は、「知らないのは皆さんだけ」と上機嫌で肯定。しかし、「隠し子」という表現には「乗ったタクシーの運転手も知っていた。だから、全然隠し子じゃない」と反論。

「この子供を認知し、経済的にも精神的にも親として責任を果たしている」と胸を張りました。あげくの果てには、お得意の「霊界話」で、記者会見の場が丹波哲郎の独演会へと様変わりし、記者たちも呆然。丹波哲郎は、妻・貞子夫人との間に実子で俳優の丹波義隆をもうけていますが、この「隠し子騒動」以後も貞子夫人との仲睦まじさはいっこうに変わりませんでした。

貞子夫人は小児麻痺がもとで車いす生活を余儀なくされましたが、丹波哲郎はそんな貞子夫人を背負い、一緒に映画に行ったりしたそうです。ハンディキャップを抱えた母親の姿を見てきた丹波義隆は、俳優としての活動や「丹波道場」主宰のかたわら、母親との生活をテーマにした講演も行っています。

そして話題となった「隠し子」はミュージシャン、俳優の森正樹。晩年、病床の丹波哲郎を、丹波義隆と2人で交替で看病しました。葬儀が行われた際は、森正樹と母親が弔問に訪れ、義隆が席を外し、別れの時を与える心遣いを見せたそうです。これは、丹波哲郎が公言した通り「隠し子」ではなく、オープンな存在として分け隔てなく愛した結果といえるでしょう。

丹波哲郎は母親が違う息子2人に「血のつながった兄弟だから、世間に恥じぬよう仲良く暮らせ」と遺言。森正樹へは、「俳優と大霊界の活動を継げ」という遺言を残したといわれます。その後、森正樹は遺言通り、俳優と「二代目 霊界の宣伝マン」として活動しています。

丹波哲郎 その家系のルーツと素顔を息子がたどる  芸能界No.1の英語の使い手としての顔

9月4日にNHK総合で放送されたドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」。毎回、著名人になり替わり、出演者が自らの家族のルーツをたどる内容ですが、今回、取り上げられたのが丹波哲郎。「丹波義隆~父・哲郎の素顔 1000年を超える歴史~」と題して、実子の丹波義隆がそのルーツをたどります。

そもそも、丹波家は平安時代に医学書「医心方」を著した丹波康頼の子孫で、祖父には文豪・森鴎外とともに留学経験のある薬学者の丹波敬三を輩出した名門の医家の家柄。さらに、父は日本画家の丹波緑川、親戚には従弟で音楽学者の丹波明、元大審院院長の林頼三郎といった著名人が名を連ねており、まさに上流階級です。

そんな家柄で「はみだし者」だった丹波哲郎。しかし、その生涯をあらためて振り返ることは、息子の丹波義隆にも感慨深い思いと意義があったと察せられます。その丹波哲郎の生涯で、話題に上るのは芸能界でもNo.1と評される英語の使い手としての顔。彼の英語能力がいかんなく発揮されるのが、やはり「007は二度死ぬ」でしょう。

主役のショーン・コネリーとやってみせた流れるような会話のやりとりは、英語がまるでできなかったというのが嘘としか思えないレベル。後年のドラマでも英語で熱演を発揮したのが高い評価と感動を呼んでいます。「はみだし者」とはいわれながら、丹波哲郎の根底には、血統として受け継がれていた名門の知性があったのかも知れませんね。

重厚な存在感とダンディさ、ときおり見せる茶目っ気あふれる言動と暖かい人柄。これらを併せ持った丹波哲郎は不世出の名優だったという結論で締めくくりたいと思います。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る