田沢純一のメジャー挑戦は成功?失敗?上原浩治と共に絶賛されたワケ

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田沢純一のメジャー挑戦は成功?失敗?上原浩治と共に絶賛されたワケ

田沢純一のメジャーリーグ挑戦は失敗?メジャーでリリーフに定着したから成功では?

田沢純一は、メジャーリーグでリリーフ投手として活躍しています。日本プロ野球でのプレー経験がないまま、メジャーリーグ挑戦したことで話題となった田沢純一。日本プロ野球のドラフト上位指名が確実視されながら、プロ野球入りを拒否し、メジャーリーグ挑戦を表明したことは、日本プロ野球のドラフト制度に一石を投じる騒動に発展しました。

これが、通称「田沢問題」です。この結果、「日本プロ野球のドラフト指名を蹴って海外のプロ球団と契約した選手は、当該球団を退団した後も、一定期間は日本プロ野球配下の球団と契約できない(契約できない期間は大卒・社会人は2年間、高卒選手は3年間)」とする「田沢ルール」が設けられることに。こうまでしてメジャーリーグ入りした田沢純一の挑戦は、果たして成功だったのか、それとも失敗だったのでしょうか?これは、見る人によって評価が分かれるようです。

当初のアメリカでのキャリアは厳しいもので、右ひじの靭帯損傷が見つかり、トミー・ジョン手術を受けるなど、田沢純一には、戦力として定着できないまま現役を終えていた可能性もありました。しかし、2012年頃からリリーフに定着。翌2013年には、チームのワールドシリーズ制覇にも貢献した田沢純一の評価はうなぎ上り。

「変なルールで縛りをかけられながらも、メジャー挑戦でのし上がったのだから大したもの」と絶賛する声もあれば、「メジャーで活躍しているから成功だろうけど、日本プロ野球を経由していれば、ダルや田中(将大)レベルになれた可能性もあるから失敗ともいえる」と、評価相半ばとする声もあります。

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田沢純一は2013年ワールドシリーズ優勝に貢献!上原浩治と共に勝利の方程式に絶賛

田沢純一のキャリアハイは、2013年シーズンです。レッドソックス4年目でしたが、勝負どころのセットアップ役として活躍した田沢純一は、クローザーの上原浩治への橋渡し役としてフル回転しました。その活躍で、ワールドシリーズ優勝に大きく貢献しています。シーズン当初は、リリーフ陣が固まらない陣容で、田沢純一が暫定的にクローザーを務める事態にもなりました。

その後の試行錯誤を経て、田沢純一から上原浩治へという勝利の方程式が築き上げられます。直後には、得点圏での被打率が0.088と打たれ強い田沢純一を再度クローザーに据えるべきというマスコミの意見などもみられました。しかし結局は、精度の高いボールを持つ上原浩治がクローザーに座り、結果を出すことに。上原浩治までのセットアップ役を務めた田沢純一も、「終盤に欠くことができない投手に成長した。今シーズンの貢献度は計り知れない」と、ピッチングコーチから絶賛されるほどの大車輪の活躍ぶり。

このシーズンは、自己最多の71試合に登板し、シーズン通して、1度も戦線離脱することなく投げ抜きました。余勢をかって、田沢純一は、ポストシーズンにも13試合の登板で1勝、防御率1.23と安定ぶりを示し、初めてワールドシリーズ制覇を体験。右ひじの手術を受けたこともありながら、たくましく這い上がり、世界一のリリーフになりました。「MVPを選ぶなら、真っ先に2人の名前を挙げる」と、田沢純一が上原浩治と共に絶賛されたワケは、その大車輪のリリーフにあったのです。

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田沢純一の年棒、成績推移は?出身中学、高校、プロフィールは?

田沢純一2年連続年俸調停寸前に!リリーフで好成績推移するも遅漏蓄積に?

田沢純一の成績と年俸ですが、2008年12月にボストン・レッドソックスと、3年間総額400万ドル(約3億8000万円)でメジャー契約合意しました。翌2009年のシーズンは、6試合登板2勝3敗で、防御率7.46と、パッとしない成績。2010年は、開幕メジャー入りを目指すも、右ひじの靭帯損傷が判明。手術を受けた影響で登板機会はなく、1シーズンをリハビリに費やすことになります。2011年シーズン終盤にメジャー昇格した田沢純一は、勝ち星こそなかったものの、約150kmのスピードを記録するなど、少しずつ復活へと歩み出しました。

2012年は、レッドソックスと、1年契約年俸92万ドル(約9200万円)で契約更新。単年契約に切り替わり、後がないシーズンでしたが、一気に出番が増えて、37試合にリリーフ登板。1勝1敗1セーブ(5ホールド)で、防御率は1.43の好成績。奪三振数も44投球回を上回る45個を記録するなど、リリーフ定着へ足がかりを作るシーズンとなりました。そして、2013年は、71試合に登板して5勝4敗(25ホールド)、防御率3.16の成績。このシーズンの年棒は、日本円で約8200万円だったといわれています。

この活躍により、翌2014年は、約1億3000万円の年俸になりますが、71試合で4勝3敗(16ホールド)、防御率2.86という前年同様の大車輪ぶりを見せた田沢純一。2015年は、年俸調停寸前までもつれましたが、結局2億2500万円で合意。シーズン中は、61試合に登板し、2勝7敗3セーブ(16ホールド)、防御率4.14で、疲労蓄積もあってかキレのないものでした。2016年も2年続けて年俸調停寸前となりましたが、最終的には、約3億9600万円の1年契約で合意。

しかし、53試合に登板したものの、3勝2敗(16ホールド)、防御率4.23と、キレのなさがさらに顕著となっています。新天地マイアミ・マーリンズとの契約では、2年総額1200万ドルで、2017年は約5億9千万円、2018年は約8億2600万円の年俸を手にすることになりそうです。

田沢純一は出身中学で軟式野球部だった!メジャー入り表明が「田沢問題」に発展!

田沢純一は、1986年6月6日生まれの30歳。神奈川県横浜市出身です。球歴は、小学3年から始めた少年野球にさかのぼり、出身中学の横浜市立松本中学では、軟式野球部に所属していました。このときの最高成績は、2年時の横浜市大会ベスト16です。横浜商科大学高等学校へ進学後は、1年夏からベンチ入り。2年生のときに、背番号10を背負い、夏の甲子園に出場しますが、登板機会は回って来ませんでした。

3年では、エースとして神奈川県予選ベスト4まで進出したものの、準決勝で、涌井秀章のいる横浜高等学校の前に屈し、涙を呑みます。中学、高校と出色の成績は残していませんが、田沢純一が開花したのは、社会人野球入りしてからです。高校卒業後に入社した新日本石油では、リリーフをメインに投げ、入社2年目の2006年には、社会人野球選手権大会ベスト4進出の原動力となっています。

2007年には、複数のプロ球団が、ドラフト候補に田沢純一をリストアップしますが、前年に比べると精彩を欠くなど、内容がイマイチだったため残留。2008年は、夏の第79回都市対抗野球大会全5試合で1完封を含む4勝を挙げ、橋戸賞を受賞するなど大活躍。秋のドラフト上位候補として熱い視線を浴びますが、突然メジャーリーグ挑戦を表明し、日本プロ野球12球団へ、ドラフト指名を見送るよう文書送付を行いました。

の後、ボストン・レッドソックス入りした田沢純一は、リリーフでメジャー定着を果たし、来シーズンからは、マイアミ・マーリンズのユニフォームに袖を通す予定となっています。

田沢純一をマーリンズが2年総額1200万ドルで獲得!その陰にはイチローの推薦があった!

ボストン・レッドソックスからFAとなった田沢純一でしたが、このほど、マイアミ・マーリンズと、2年で総額1200万ドル(約14億円)の契約を交わしました。年俸の内訳は、2017年は500万ドル(約5億9000万円)、2018年は700万ドル(約8億2600万円)という、リリーフ投手ではエース級といえる厚待遇です。

マーリンズでの起用は、レッドソックス同様に7、8回の重要な局面のセットアップ役が確実視されています。通算奪三振率も8.88と、三振が取れるのが田沢純一の持ち味ですが、マーリンズが田沢純一を獲得した陰には、イチローの推薦による後押しもあったとか。

マイケル・ヒル強化担当責任者は、「事前にイチローと話したところ、彼も認める投手で、安心して獲得に動いた」と話しています。イチローによれば、「チームに貢献できる非常に優れたピッチャー」とのことで、この参考意見が大きなアシストになったのは間違いなさそうです。同責任者によれば、「ハイレベルなア・リーグ東地区で投げ続け、打者を打ち取る経験も豊富。現在のチームにはうってつけの人材」と、チームの補強ニーズに合致していたことも明かしています。

主にセットアップの起用が濃厚ですが、場合によってはクローザー役もありそうな田沢純一。これまで長く本拠地としてきたボストンのメディアも、「タザワの功績を称えよう」と貢献をねぎらう記事を組んだほど、シビアでな米メディアからも高い評価を受けています。この評価を励みに、新天地でも、大車輪の働きを見せて欲しいものですね。

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